旧遠野市は、豊かな田園都市づくりを目標にしてきた。そして、1971(昭和46)年には遠野市民センターが完成し、各地の公民館活動とともに、様々な住民活動やコミュニケーション活動の中心になってきた。また、1972年からは農村総合公園(カントリーパーク)事業が中心となって遠野地域の新しい開発がすすめられた。
さらに、1977(昭和52)年3月、「トオノピアプラン(遠野市総合開発)」を議決し、「北上山地の大自然に息吹く永遠の田園づくり」の基本構想を行政と住民が一体となって取り組むことにした。
年号が平成となってからの遠野は、「民話のふるさと遠野」としての施設整備が充実していった。1996(平成8)年に遠野ふるさと村がオープンした。また、2000(平成12)年ケーブルテレビ局が完成し、遠野市内で行われるイベントや遠野市議会の様子が放送されるなど、市内の情報網が発達した。2005(平成17)年10月1日には、旧遠野市と旧宮守村とが新設合併し、「永遠の日本のふるさと」を将来像に掲げた新遠野市が誕生した。
現在、遠野市は市の将来像を「永遠の日本のふるさと遠野」と設定し、その実現のために、遠野市総合計画を策定し、自然と共生しながら、人々が健やかに輝き、活力にあふれ、ふるさとの文化を育み、市民一人ひとりの郷土への誇りと愛着と熱意によって、みんなで築くふるさと遠野を目指している。 |