1590年、阿曽沼氏は、豊臣秀吉の小田原城攻めに参加しなかったために、領地の没収はまぬがれたものの、南部氏の家臣の地位に落とされてしまった。
また、1600年の「天下分け目の戦い」といわれた関ヶ原の戦いでは徳川方に味方して、最上氏を応援するため南部氏とともに山形に出陣したが、その留守中におきた一族の家臣の反乱によって、気仙の世田米に追われてしまった阿曽沼氏は、三度にわたって横田城をとりもどす戦いを起こしたが成功しなかった。
その後、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康により南部氏が遠野郷を領有することが認められた。これによって遠野地方は、名実ともに南部領となり、400年あまり続いた遠野地方の阿曽沼時代は完全に終わったのである。 |