奥州藤原氏は、平泉を中心として、積極的に京都や中国・唐の文化をとりいれ、のちに源頼朝に滅ぼされるまで3代約100年間にわたり栄えた。
平泉には、当時の浄土芸術の粋を集めてつくられた中尊寺金色堂・毛越寺などが建てられた。
奥州藤原氏は、戦乱に明けくれた東北を平定するとともに、仏教を積極的にとりいれることによって安定をはかろうとした。また、平安京に並ぶほどの東北の都を建設することによって、その力を朝廷や貴族に認めさせようとしたとも考えられている。
平泉文化を支えた豊かな財力は、東北で得られる砂金や良馬の輸出によるものであった。