|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() ![]()
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
源頼朝は12世紀の終わりごろ、平氏をたおして鎌倉幕府をひらくとともに、全戸に守護・地頭をおき、武士による全国支配の基礎をきずいた。また、奥州の藤原氏をほろぼし、東北地方を分割して御家人の所領にした。 その結果、葛西氏が奥州全域の守護となり、奥州の北部は南部氏、遠野十二郷は阿曽沼氏が地頭として領有することになった。 |
〔阿曽沼氏〕 源頼朝によって阿曽沼広綱が遠野十二郷の地頭になった。阿曽沼氏は栃木県に本領があり、佐野市には阿曽沼城があった。 阿曽沼氏は、最初は代官宇夫方広房を派遣し遠野地方を治め、広綱の死後二男の親綱から定住したといわれる。 〔遠野十二郷〕 |
13世紀のはじめ、阿曽沼氏は遠野の松崎光興寺に横田城を築いた。また、一族の家臣たちは、領内の各地に館を築いて遠野盆地の開拓につとめた。そのため、遠野地方の産業の発達はめざましかった。 松崎・綾織などの猿ヶ石川の流域では、稲作農業がとりくまれるようになり、上郷や青笹のような高冷地や扇状台地では畑作がおこなわれ、ムギ・ヒエ・アワ・マメなどの穀物の栽培がすすんだ。
|
遠野地方の主な館
![]() |
ご家人配置図
![]() |
▼松崎館跡
![]() |
▼安倍屋敷跡(土淵)
![]() |
▼当時武士の館(予想見取り図)
|
▼安倍館屋敷見取り図
|
