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第2章 古代の遠野...歴史的分野

1 阿曽沼時代のはじまり

遠野の地頭阿曽沼(あそぬま)氏

 源頼朝は12世紀の終わりごろ、平氏をたおして鎌倉幕府をひらくとともに、全国に守護・地頭をおき、武士による全国支配の基礎をきずいた。また、奥州の藤原氏をほろぼし、東北地方を分割して御家人の所領にした。
 その結果、奥州の地は関東御家人に分給されることになり、葛西氏が奥州惣奉行に任じられ、このとき奥州の北部が南部氏、遠野十二郷は阿曽沼氏が地頭として領有することになったと考えられているが明らかではない。

〔阿曽沼氏〕
 源頼朝によって阿曽沼広綱が遠野十二郷の地頭になった。阿曽沼氏は栃木県に本領があり、佐野市には阿曽沼城があった。
 阿曽沼氏は、最初は代官宇夫方広房を派遣し遠野地方を治め、広綱の死後二男の親綱から定住したといわれる。

〔遠野十二郷〕
 阿曽沼氏に与えられた遠野十二郷は、はっきりしないが遠野市のほかに花巻市田瀬・釜石市・大槌町・山田町を含むものだったと考えられる。

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横田城の築城

 13世紀のはじめ、阿曽沼氏は遠野の松崎光興寺の地に横田城を築いた。また、一族の家臣たちは、領内の各地に館を築いた。彼らは、それぞれに土地の開発につとめ、遠野地方の産業の発達はめざましかったと想像されている。
 松崎・綾織などの猿ヶ石川の流域では、本格的に稲作農業が取り組まれるようになり、上郷や青笹のような高冷地や扇状台地では畑作が行われ、ムギ・ヒエ・アワ・マメなどの穀物の栽培が進んだと考えられる。

 

遠野地方の主な館
遠野地方の主な館・・・クリックで画像拡大
御家人配置図
ご家人配置図・・・クリックで画像拡大

▼松崎館跡
松崎館跡
▼安倍屋敷跡(土淵)
安倍屋敷跡(土淵)

▼当時の武士の館(予想見取り図)
当時武士の館(予想見取り図)・・・クリックで画像拡大
中山館(埼玉県飯能市)見取図
▼安倍屋敷見取り図
安倍館屋敷見取り図・・・クリックで画像拡大
安倍館屋敷見取り図

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遠野市教育委員会・中学校社会科副読本編集委員会