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明治時代の後半の日露戦争後、日本の重工業は、鉄鋼・造船・機械などの部門で本格的な発達をとげ、資本主義の発展は、めざましいものがあった。 商品や労働力の市場が東京や大阪などの大都市中心になった。交通機関の発達にともなって、人馬を中心とする中継商業の町として発展してきた遠野は、しだいにその役割を失うようになった。 |
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釜石は、製鉄の町として発展をみせ、遠野・釜石間の道路も整備された。 また、1915(大正4)年には、花巻・釜石間に軽便鉄道が開通し、仙人峠では鉄索輸送がおこなわれるようになった。 |
▼軽便鉄道(花巻─仙人峠)
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明治の後半になっても、東北の稲作は安定せず、凶作や不作の年がつづいた。借金のため、貧しい農民は、農地を手ばなして小作人となったり、都市に働きにでたり、軍人となるものも多かった。 いっぽう、豊かな農民や町の商人・高利貸は、農地を集めて地主となり、農村経済を支配するようになった。 明治時代の後半に、日清・日露戦争や八甲田遭難事件があったが、そのどれもが東北の貧しい農村出身者の犠牲が多かった。 遠野の村々でも、これらの犠牲者をまつり、記念碑を建てた。 |
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