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第7章 明治の遠野...歴史的分野

4 遠野商業の停滞

遠野商業の停滞

 明治時代の後半の日露戦争後、日本の重工業は、鉄鋼・造船・機械などの部門で本格的な発達をとげ、資本主義の発展は、めざましいものがあった。
 商品や労働力の市場が東京や大阪などの大都市中心になった。交通機関の発達にともなって、人馬を中心とする中継商業の町として発展してきた遠野は、しだいにその役割を失うようになった。
 釜石は、製鉄の町として発展をみせ、遠野・釜石間の道路も整備された。
 また、1915(大正4)年には、花巻・釜石間に軽便鉄道が開通し、仙人峠では鉄索輸送がおこなわれるようになった。
 ▼軽便鉄道(花巻─仙人峠)
軽便鉄道(花巻─仙人峠)

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日清・日露戦争

 明治の後半になっても、東北の稲作は安定せず、凶作や不作の年がつづいた。借金のため、貧しい農民は、農地を手ばなして小作人となったり、都市に働きにでたり、軍人となるものも多かった。
 いっぽう、豊かな農民や町の商人・高利貸は、農地を集めて地主となり、農村経済を支配するようになった。
 明治時代の後半に、日清・日露戦争や八甲田遭難事件があったが、そのどれにおいても東北の貧しい農村出身者の犠牲が多かった。
 遠野の村々でも、これらの犠牲者を悼んで、碑を建てた。

〔八甲田遭難事件〕
 明治35年の冬、青森県の第8師団第5連隊が八甲田山の雪中行事訓練で遭難し、岩手県出身の兵が139名も凍死した。
 そのころの日本は市場を中国に求めようとしてロシアとの戦争の準備をしていたが、この雪中訓練もそのひとつだった。
 第5連隊は東北の農村、とりわけ岩手県出身者が多かった。
 ▼日露戦争の犠牲者の碑
日露戦争の犠牲者の碑

 

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遠野市教育委員会・中学校社会科副読本編集委員会