ホームページのTOPへ 遠野市のホームページへ
 
歴史的分野メニュー
1.原始時代の遠野
石器時代の遠野
縄文・弥生時代の遠野
2.古代の遠野
大和朝廷時代の遠野
平安時代の遠野
前九年の役・後三年の役
奥州文化と藤原氏
3.鎌倉時代の遠野
阿曽沼時代のはじまり
交通と文化
4.室町時代の遠野
南北朝時代の遠野
戦国時代の遠野
阿曽沼時代の終わり
5.江戸時代前半の遠野
遠野南部氏の政治
藩の経済と庶民のくらし
  <南部藩凶作・水害年表>
6.江戸時代後半の遠野
遠貨幣経済の発達と一揆
産業・文化の新しい動き
藩政の終わり
7.明治の遠野
明治新政府の諸改革
産業の発達
上閉伊郡役所
遠野商業の停滞
8.大正・昭和の遠野
恐慌
遠野と民俗学
第二次世界大戦と遠野
9.第二次世界大戦後の遠野
戦後の改革
高度経済成長と遠野
最近の遠野
  <遠野の歴史年表>

地理的分野へ公民的分野ふるさと遠野

第4章 室町時代の遠野...歴史的分野

2 戦国時代の遠野

戦国大名

 遠野地方に三度目の争いがあったころ、京都で1467年に応仁の乱がおこり、幕府から補任される守護大名にかわって独自に領国を支配する戦国大名が各地に生まれていった。戦国大名は、領国の武士を家臣に従えて軍事力を強め、検地をおこなって領国の農民と土地とを完全に自分の手に治めようとした。
 また、農業や鉱山開発など産業開発をすすめ、商工業を保護して、領内を豊かにすることにつとめた。戦国時代、東北地方にも争いが相次いだが、北上川流域と北上山地帯は、南部氏と伊達氏が分け合って支配した。遠野地方は、両者の境に位置したため、出兵や争いをくりかえさなければならなかった。

〔戦国時代の阿曽沼氏〕
1499 葛西氏の内紛に出兵
1515 葛西氏と大崎氏の対立で葛西氏に援軍を送る
1557 綾織西風館が葛西氏に襲われ宇夫方氏が死ぬ
1579 葛西氏が遠野を襲うが敗退する

このページのTOPへ


横田城の移転

 織田信長が天下統一に向け取り組んだころ、阿曽沼氏は横田城を松崎光興寺から鍋倉山へ移転し、城下町建設をすすめた。
 しかし、それまでのあいつぐ争いの負担に苦しんだ領民たちは、この移転によってさらに負担が増えるので反対する者が多かったという。

このページのTOPへ
遠野市教育委員会・中学校社会科副読本編集委員会