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第4章 室町時代の遠野...歴史的分野

2 戦国時代の遠野

戦国大名

 遠野地方に三度目の争いがあったころ、京都で1467年に応仁の乱がおこり、守護大名にかわって戦国大名が各地に生まれていった。
 戦国大名は、領国の武士を家臣にしたがえれ軍事力を強め、検地をおこなって領国の農民と土地とを完全に自分の手におさめようとした。
 また、農業や鉱山開発など産業開発をすすめ、商工業を保護して、領内を豊にすることにつとめた。戦国時代、東北地方にも争いがあいついだが、北上川流域と北上山地帯は、南部氏と伊達氏が分け合って支配した。遠野地方は、この二つの大名にはさまれて、出兵や争いをくりかえさなければならなかった。

〔戦国時代の阿曽沼氏〕
1499 葛西氏の内紛に出兵
1515 葛西氏と大崎氏の対立に葛西に援軍を送る。
1557 綾織西風館が葛西氏に襲われ宇夫方氏が死ぬ
1579 葛西氏が遠野を襲うが敗退する

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横田城の移転

 織田信長が全国統一の事業にとりくんだころ、阿曽沼氏は横田城を松崎光興寺から鍋倉山へ移転し、城下町建設をすすめた。
 しかし、この横田城の移転に対して、今までのあいつぐ争いの負担に苦しんだ領民たちは、この移転によってさらに負担が増えるので反対するものが多かった。

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遠野市教育委員会・中学校社会科副読本編集委員会