遠野地方に三度目の争いがあったころ、京都で1467年に応仁の乱がおこり、幕府から補任される守護大名にかわって独自に領国を支配する戦国大名が各地に生まれていった。戦国大名は、領国の武士を家臣に従えて軍事力を強め、検地をおこなって領国の農民と土地とを完全に自分の手に治めようとした。
また、農業や鉱山開発など産業開発をすすめ、商工業を保護して、領内を豊かにすることにつとめた。戦国時代、東北地方にも争いが相次いだが、北上川流域と北上山地帯は、南部氏と伊達氏が分け合って支配した。遠野地方は、両者の境に位置したため、出兵や争いをくりかえさなければならなかった。 |