トップページ>>歴史的分野…第6章 江戸時代後半の遠野_2.産業・文化の新しい動き
〔製鉄業〕 1319(文政2)年に、遠野新町の石懸仁右衛門が大橋山久子沢鉱山の採掘を願い出て、許可されて事業をはじめた。これが釜石鉱山開発のはじまりだった。 このような動きは、遠野地方にも新しい産業が生まれたことを示しているといえる。
〔信成堂〕 1853(安政6)年に開かれた藩士の子弟のための漢学塾だった。そのころ儒学・国学・洋学があり、尊皇論・討幕論などで学問や思想は混乱をしていたため、遠野の人々は学問・教育の必要性を感じたのではないだろうか。信成堂は尊皇論だったといわれている。