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第2章 古代の遠野...歴史的分野

3 前九年の役・後三年の役

地方豪族の反乱

 11世紀、藤原氏による摂関政治が衰えると、地方の政治は乱れ、領地や財産を守るため、武装した地方の豪族たちは、有力な農民たちをしたがえて武士団をつくり、各地で反乱をおこした。
 東北一帯で勢力をもっていた安倍氏が、税を納めることを拒否したとして、朝廷から討伐されたのが前九年の役である。この戦乱で、安倍氏が滅び討伐軍と手を結んだ清原氏が東国の支配者となった。その後、清原氏の同族争いに源氏が介入し、後三年の役がおこった。この2つの戦乱を生き抜いた藤原清衡が、その後奥州藤原氏として東北をおさめた。

〔安倍伝説〕
 安倍氏は奥州一帯のエミシの長であり胆沢地方がその中心だった。
 安倍氏は各地に私民をもっていた。
 遠野地方には、「貞任山」「貞任岩」など貞任と名のつく山や岩がある。「安倍伝説」が多く残っているのは、安倍氏の私有地や私民が多かったことを物語っていると思われる。

 

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遠野市教育委員会・中学校社会科副読本編集委員会