〔「小○」の旗〕
嘉永の一揆は先頭に「小○」の旗をかかげたといわれる。一揆の人々が伊達藩に出した「藩政府改革46ヶ条」には南部藩の悪政があますところなく盛りこまれてある。
一揆の後、藩の責任者たちは処分され、藩主みずから倹約令を実行する等をしたが、根本的な改革にはならなかった。
〔「三浦命助」〕
嘉永6年の南部三閉伊一揆は、藩が弘化の一揆での約束を破ったことに始まった。
この一揆の指導者のひとり、三浦命助は栗林村の人で若いときに遠野の寺子屋で学び、青年期には釜石と花巻間で米の仲買い商人をしていた。