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大日本帝国憲法が発布された1889(明治22)年の4月、市町村制度が実施され、横田村は遠野町となり、新しく上郷・青笹・土淵・松崎・附馬牛・綾織・小友の7ヶ村が、宮守には宮守・達曽部・鱒沢の3ヶ村ができた。その後、これらの町村は、1954(昭和29)年まで続き、この制度によって、現在の遠野市・宮守村の範囲が定まったのである。 1897(明治30)年からは、遠野に上閉伊郡役所が置かれ、西は達曽部・宮守、東は大槌・釜石にまたがる広い上閉伊郡の行政の中心地となり、1900(明治33)年までに、遠野には郵便局・警察署・裁判所・営林署・税務署などの行政官庁が置かれた。 |
1901(明治34)年、県立遠野中学校(現遠野高等学校)が、県下で3番目の中学校として、県北の福岡中学校とともに開校された。
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遠野中学校に学ぶ生徒は、沿岸地方を含む広い地域から集まり、遠野は教育の中心地となった。 また、1907(明治40)年には、当時、県下でもめずらしい女子教育の機関として、女子職業補修学校が開設され、後に、県立遠野高等女学校となった。 |
▼遠野中学校(現遠野高等学校)
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