ホームページのTOPへ 遠野市のホームページへ
 
歴史的分野メニュー
1.原始時代の遠野
石器時代の遠野
縄文・弥生時代の遠野
2.古代の遠野
大和朝廷時代の遠野
平安時代の遠野
前九年の役・後三年の役
奥州文化と藤原氏
3.鎌倉時代の遠野
阿曽沼時代のはじまり
交通と文化
4.室町時代の遠野
南北朝時代の遠野
戦国時代の遠野
阿曽沼時代の終わり
5.江戸時代前半の遠野
遠野南部氏の政治
藩の経済と庶民のくらし
  <南部藩凶作・水害年表>
6.江戸時代後半の遠野
遠貨幣経済の発達と一揆
産業・文化の新しい動き
藩政の終わり
7.明治の遠野
明治新政府の諸改革
産業の発達
上閉伊郡役所
遠野商業の停滞
8.大正・昭和の遠野
恐慌
遠野と民俗学
第二次世界大戦と遠野
9.第二次世界大戦後の遠野
戦後の改革
高度経済成長と遠野
最近の遠野
  <遠野の歴史年表>

地理的分野へ公民的分野ふるさと遠野

第8章 大正・昭和の遠野...歴史的分野

2 遠野と民俗学

遠野物語

 大正デモクラシーの影響もあって、昭和のはじめには、郷土教育や民俗学研究の運動が活発になった。
 伊能嘉矩は、はやくから人類学・民俗学研究の成果を「台湾文化志」に著した。また、佐々木喜善は「上閉伊昔話集」・「聴耳草紙」などのような民話発掘の仕事をすすめて、遠野を民俗学研究の地として全国に知らせるようになった。
 柳田國男の「遠野物語」は、すでに1910(明治43)年に出版されて注目されていたが、これは佐々木喜善の民話収録をもとにしたものだった。また、同じころ鈴木重男らは、郷土史研究をすすめ、「土淵今昔物語」・「遠野の伝説」などを発表した。
 しかし、このような文化運動も第二次世界大戦のために、とだえることとなった。

▼柳田國男の「遠野物語」初版本
 此話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。昨明治四十二年の二月頃より始めて夜分折折訪ね来り、此話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話上手には非ざれども誠実なる人なり。自分も亦一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。思ふに遠野郷には此類の物語猶数百件あるならん。我々はより多くを聞かんことを切望す。国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦りつせしめよ。

▼柳田國男の「遠野物語」初版本
柳田国男の「遠野物語」初版本
▼「台湾文化志」
「台湾文化志」
▼伊能嘉矩《写真》
伊能嘉矩《写真》
▼柳田國男《写真》
柳田国男《写真》
▼佐々木喜善《写真》
佐々木喜善《写真》

〔伊能嘉矩〕
 1867(慶応3)年に遠野に生まれ、岩手師範学校を中途で上京、人類学研究をすすめた。1895(明治28)年には台湾に渡り、台湾の地理・歴史・人類学研究をし、帰郷して「台湾文化志」を著した。郷土研究にも熱心で「上閉伊郡志」「遠野史叢」「遠野夜話」などの著作がある。
 1925(大正14)年に、病のため59歳で死んだ。

〔佐々木喜善〕
 1886(明治19)年に土淵に生まれ、早稲田大学に学び、作家を志すが、24歳ごろ柳田國男に出会ってのちは、民俗学を研究して遠野を全国に紹介した。
 土淵に帰ってから村長などの公職のかたわら文学や民俗学の研究をすすめたが、1933(昭和8)年48歳で病没した。「奥州のザシキワラシの話」「江刺郡昔話」「東奥異聞」などの著作がある。

〔鈴木重男〕
 1881(明治14)年に遠野に生まれ土淵小学校長など教師をしながら郷土史研究にあたり、遠野郷土館を開設した。父の吉十郎も熱心な郷土史研究者だった。
 伊能嘉矩や佐々木喜善らと郷土研究会を結成して遠野の郷土史・民俗学研究熱を高めた。
 1939(昭和14)年に、58歳で死んだ。伊能嘉矩との共著に「石器時代遺物発見地名表」がある。


このページのTOPへ
遠野市教育委員会・中学校社会科副読本編集委員会