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大正デモクラシーの影響もあって、昭和のはじめには、郷土教育や民族学研究の運動が活発になった。 伊能嘉矩は、はやくから人類学・民族学研究の成果を「台湾文化志」に著した。また、佐々木喜善は「上閉伊昔話集」・「聴耳草子」などのような民話発掘の仕事をすすめて、遠野を民族学研究の地として全国に知らせるようになった。 柳田国男の「遠野物語」は、すでに1910(明治43)年に出版されて注目されていたが、これは佐々木喜善の民話収録をもとにしたものだった。また、同じころ鈴木重男らは、郷土史研究をすすめ、「土淵今昔物語」・「遠野の伝説」などを発表した。 しかし、このような文化運動も第二次世界大戦のために、とだえることとなった。 |
▼柳田国男の「遠野物語」初版本 |
此話はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。昨明治四十二年の二月頃より始めて夜分折折訪ね来り此話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話上手には非ざれども誠実なる人なり。自分も亦一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり。思ふに遠野郷には此類の物語猶数百件あるならん。我々はより多くを聞かんことを切望す。国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦りつせしめよ。 「遠野物語」
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▼柳田国男の「遠野物語」初版本
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▼「台湾文化志」
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▼伊能嘉矩《写真》
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▼柳田国男《写真》
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▼佐々木喜善《写真》
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〔伊能嘉矩〕
1867(慶応3)年に遠野に生まれ、岩手師範学校を中途で上京、人類学研究をすすめた。1895(明治28)年には台湾に渡り、台湾の地理・歴史・人類学研究をし、帰郷して「台湾文化志」を著わした。強度研究にも熱心で「上閉伊郡志」「遠野史叢」「遠野夜話」などの著作がある。 1925(大正14)年に、病のため59歳で死んだ。 〔佐々木喜善〕 〔鈴木重男〕 |
