第一次世界大戦中に好景気でわいた日本も、戦後は不景気にみまわれ、全国各地に米騒動がおこり、軍隊も出動した。この不景気が回復しないうちに世界恐慌におそわれたため、日本の経済は大きな打撃をうけ不景気はさらにひどくなった。都市では、多くの会社が倒産し、失業者があふれた。
農村では、農産物が値さがりし、生糸の輸出もへったため、養蚕を行う農家の痛手はとくに大きかった。多くの失業者が農村にもどったため、農家の生活はいっそう苦しくなった。
1931(昭和6)年と1934(昭和9)年には、東北地方は冷害で大凶作となり、「娘の身売り」が行われるほど深刻な状態になった。1934年の大凶作の時には、上郷や青笹ではほとんど収穫のない農家が多く、その状況が全国に新聞で知らされた。
授業料を納められない中学生もあり、賃金を支払えない村役場や事業所も多かった。岩手県下には、欠食児童が約1万人もあった。 |