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1960(昭和35)年ごろから、日本は「高度経済成長政策」によって、技術革新がすすみ第2次産業がめざましく発展した。 しかし、経済の高度成長がすすむにつれ、さまざまなひずみが現れた。第1次産業の低成長のままとり残され、他の産業との格差がめだつようになった。 遠野での省力化のための機械化・経営の多角化などの努力がなされたが、しだいに兼業化や都市への人口流出がすすみ、過疎問題もおこるようになってきた。 |
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さらに、1968(昭和43)年ごろからは、米の生産過剰と食糧管理制度が大きな社会問題となり、米作中心の農業のみなおしがはじまった。 また、高度経済成長は、乱開発をまねくことになり、公害問題を全国的にひきおこし、各地で住民による公害反対運動がおこった。そして、人間の生存やそのための環境と調和する開発のあり方が問われるようにもなってきた。 |
飛躍的にすすめられた農業の機械化
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1960年代の高度経済成長は、大量のエネルギーの使用によってささえられてきた。ところが、1973年の「石油ショック」により、わが国をはじめとする石油消費国は大きな打撃をうけ、高度経済成長はとまり、世界の経済は長い不況の時代にはいった。 1980年代にはいると、黒字貿易国の日本に対して、アメリカを先頭にEC諸国や発展途上国は、農・畜産物などの市場開放や内需拡大を要求し、貿易摩擦が強まってきて、わが国をとりまく世界経済はいちだんときびしくなってきている。 高度経済成長時代には、商品の流通が活発になり、遠野でも商店の数がふえ、いろいろな商品が目に入るようになった。 1965(昭和40)年ころから、人口流出対策や地域産業の多角化をはかるために工場誘致も進められた。しかし、さまざまな試みにもかかわらず、産業の格差は、そのまま地域の所得や生活水準の格差となって残り、長い経済不況のなかで、その解消はいっそうむずかしくなり、今でも課題として残っている。 |
