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第4章 世界と遠野市のつながり...公民的分野

2 遠野市の国際交流活動

姉妹都市イタリアサレルノ市

 遠野市も国際交流を積極的にすすめ、外国の自治体との友好・親善関係を深めている。1984(昭和59)年8月にイタリアのサレルノ市と姉妹都市交流を始めた。遠野市とサレルノ市を結びつけたのは、村野鐵太郎監督の映画「遠野物語」。同映画が第35回イタリアのサレルノ国際映画祭でグランプリを受賞。この映画を観たサレルノ市長が遠野市との姉妹都市締結を野村監督に託したことがきっかけとなった。
 遠野市は「サレルノ友好委員会」(後に「国際交流協会」に発展)を発足し、文化交流を中心に事業を展開してきた。1992(平成4)年に中学生を含む42名の使節団を派遣し、ホームステイや地元中学生との交流を行った。また2000(平成12)年には飯豊神楽(土淵町)が招待されて、小中学生を含む一行がイタリア各地を公演し文化の交流を行った。2005(平成17)年には、鷹鳥屋しし踊り(小友町)の公演をサレルノ市で行った。
 また、サレルノ市にはプロサッカーリーグ「セリエC」の「サレルニターナ」というチームがある。サッカーのさかんなサレルノ市に遠野高校サッカー部も派遣されスポーツ交流も行われた。

 サレルノ市はイタリア南部、カンパニア州サレルノ県にあり、州都のナポリの南東約60キロのところに位置する港湾都市である。サレルノ県(約147万人)には158の市町村があり、サレルノ市はその県都である。人口は約15万人で、パスタなどの食品工業、陶磁器製造がさかんな工業都市でもある。美しい海岸と歴史的な遺跡も多く、観光地としても有名な都市である。
▼サレルノ市の位置
サレルノ市の位置
▼サレルノ市の様子
サレルノ市の様子

姉妹都市交流の歴史
1982年
「遠野物語」第35回サレルノ国際映画祭グランプリを受賞
1984年
姉妹都市締結調印式(サレルノ市から来遠)
1985年
第1回遠野市答礼使節団サレルノ市派遣
1989年
遠野仙人太鼓 サレルノ市公演
1992年
(財)遠野国際交流協会設立
1997年
遠野高校サッカー部 イタリア遠征
2000年
飯豊神楽(小中学生5人含む)サレルノ県の招待でサレルノ訪問
2002年
松田宰氏ワインとイタリア料理研修のためサレルノに渡る
2002年
姉妹都市交流を推進する市民グループ「トネーゼ」サレルノ訪問
2003年
サレルノ市出身クラリネット奏者ロムアルド・バローネ氏遠野でオペラコンサート
遠野市長を団長とする親善使節団サレルノ市訪問
2004年
姉妹都市交流20周年記念式典(市民センター)
2005年
サレルノ市へ剣道指導者派遣(11名)
鷹鳥屋しし踊り等市民サレルノ訪問団一行訪問(59名)
2007年
サレルノ県経済ミッション(6名)来遠、ワサビ中心に商談
2008年
姉妹都市サレルノ市訪問団派遣(13名)
サレルノ市民訪問団受け入れ(18名)
2009年 サレルノ市訪問団(6名)

▼サレルノ市の飯豊神楽公演
サレルノ市の飯豊神楽公演

 

盟約宣言
 日本国遠野市とイタリア共和国サレルノ市は、両市間における市民文化の交流を深め、両市民の理解と連携を密にし、相互の友好親善と市民外交が促進され、両市市勢の伸展と市民福祉の向上に寄与することを念願するとともに、日伊両国ひいては、世界平和と人類の福祉に貢献することを確認し、ここに両市が姉妹都市として提携することを盟約とする。
昭和59年8月8日

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交換留学アメリカチャタヌーガ市

 1990(平成2)年に遠野高校と遠野緑峰高校が交換留学をはじめようとして、紹介されたアメリカのチャタヌーガ市のCSAS校と姉妹校提携をした。ここから、相互交換留学がはじまった。ホームステイをお互いにしながら、交流を深めてきた。
 また、2000(平成12)年から中学生の派遣も始まった。さらに、2003(平成15)年には市民レベルまで交流を拡大しようと市民訪問団が派遣された。
交換留学
交換留学
交換留学

 チャタヌーガ市は、テネシー州東部に位置し、テネシー川の豊かな流れに恵まれた人口約15万人の都市である。アメリカ先住民のことばで「岩がせまってきているところ」が語源。1880年、同市とオハイオ州シンシナティを結ぶアメリカ初の旅客列車「チャタヌーガ・チューチュー」が運行され、同名の曲も作られ世界中のチャタヌーガの名が広がった。  テネシー川の水運と鉄道の発達により、鉄工業を中心とした重化学工業地帯として発展を遂げたが、1960年代から70年代にかけて深刻な河川・大気汚染に見舞われた。その後30年間にかけて、環境対策、街の再生に力を注ぎ、電気バスの開発にも成功した。そして、「最も汚染された街」から30年経て、現在は「最も住みやすい街」へと生まれ変わった。

 ▼チャタヌーガの位置
サレルノ市の飯豊神楽公演

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国内の交流事業

 遠野市は、国内のいくつかの都市とも交流している。国内交流は遠野市の歴史や文化を通してゆかりのある都市との間で行われている。
 青森県八戸市とは、1984(昭和59)年から、遠野南部氏が八戸から江戸時代に入部したことを縁として交流がはじまった。遠野市がサミットを提案し、遠野市と八戸市が旧南部氏とゆかりのある盛岡市など9市町村に呼びかけ、「南部首長会議」(南部サミット)を開催してきた。また、八戸市及び七戸町とは小学生の使節団交流や伝統芸能の交流などが活発に行われている。
 熊本県菊池市とは、遠野市に菊池姓が多いこと(およそ4人に1人の割合)、両市とも剣道がさかんであることなどを縁に1998(平成10)年8月1日に「友好都市宣言」をして、剣道の交流会、菊池一族ふるさと祭り(菊池市)訪問などの交流を続けている。東京都武蔵野市・三鷹市、愛知県大府市とも青年交流や物産展の出店などの交流を行っている。
国内の交流事業
国内の交流事業
国内の交流事業

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遠野市教育委員会・中学校社会科副読本編集委員会