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第1章 遠野の自然...地理的分野

3 暮らしと災害

暮らしと災害

 ここ遠野での暮らしの中で、多い災害は風水害があげられる。毎年、5月から9月にかけての梅雨や台風の影響で河川などが氾濫する。1981(昭和56)年の台風15号では、8月22日午後から23日午後まで雨が降り続き、平地で147mm、山地では300mm以上の降雨を観測した。人命の被害こそなかったものの、市内を流れる各河川が氾濫し、河岸の欠損、堤防の破損等の被害を受け、県内最大の被害地となった。
台風15号による川の氾濫
来内川 遠野市民センター前 来内川 柳玄寺付近
 そこで洪水の被害を防止するため、遠野第二ダム及び洪水吐きトンネルの建設が進められ、2011(平成23)年に完成した。
 また、1995(平成7)年に発生した阪神・淡路大地震の教訓を生かし、岩手県でも防災意識啓発を図るため合同防災訓練が実施されている。2002(平成14)年1月17日には、遠野市において関係諸機関及び住民併せて2,049名(車両130台、ヘリコプター2機)が参加し、「平成13年度1・17合同防災訓練」が実施された。
 防災訓練は毎年継続され、地域においては「自主防災組織」を結成し、防災意識を高めながら生活をしている。平成19年の岩手県総合防災訓練では、沿岸部への医療救護訓練と救援物資輸送訓練をあわせて実施した。また、平成20年には、「陸上自衛隊東北方面震災対応訓練(みちのくALERT2008)」を行った。
遠野第二ダム 洪水吐きトンネル
(遠野市綾織町)
防災訓練の様子
(平成21年度遠野市防災訓練より)

東日本大震災

 2011(平成23)年3月11日午後2時46分、国内観測史上最大となるM9.0の大地震が日本列島を襲った。この東日本大震災による地震・津波は、東北地方沿岸部に甚大な被害をもたらした。遠野市は、震度5強の地震により市内全域が停電・断水、市役所本庁舎中央館が全壊するなど総額約32億円の被害を受けたが、人的被害はそのほとんどが軽傷者であり、住家被害等も比較的少ないことが同日の夕方には確認された。このことから遠野市では、沿岸被災地への後方支援活動のため、13日に「東日本大震災後方支援活動本部」を設置。岩手県沿岸部への後方支援活動を展開してきた。
 遠野市は、2007(平成19)年11月には「三陸地域地震災害後方支援拠点施設設備推進協議会」を遠野市周辺の8市町村とともに設立し、想定される災害の際の連携準備を進めてきた。2008(平成20)年10月には、「陸上自衛隊東北方面隊震災対応訓練(みちのくALERT2008)」を開催。全国でも類を見ない大規模な訓練を実施してきた。東日本大震災における沿岸被災地への後方支援活動は、まさにこれらが現実になったものだった。
 3月12日未明には、大槌町からの緊急支援の要請に応え、遠野市ではすぐに物資を調達し、職員を現地に向かわせた。その後、沿岸被災地への後方支援活動を本格化させ、13日には釜石市へ、14日には大船渡市と陸前高田市へ、16日には山田町へと支援活動を広げた。
 遠野運動公園には、陸上自衛隊や遠方の地域からの消防援助隊が集結し、支援活動の中心拠点となった。また、市民ボランティア等による炊き出しや支援物資の仕分けも行われたり、遠野市内に拠点を置き支援活動を展開する機関・団体・企業の数は増え続け、遠野市は後方支援活動の拠点となっていった。
 3月28日には、「遠野被災地支援ボランティアネットワーク 遠野まごころネット」が結成され、官と民との役割を棲み分けしての支援活動を展開していった。
 現在も、「遠野まごころネット」を中心としながら、全国から多くのボランティア団体等が集結し、被災地支援と被災者の自立に向けた支援を中心に行っている。
ハザードマップ

 

 

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遠野市教育委員会・中学校社会科副読本編集委員会