宮古高校野球部史 甲子園スコア メンバー紹介 チーム成績
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佐々木忠夫監督のこと 私が佐々木監督の下に行動した6年間で、甲子園出場チームは別格として、最も強かったと思われるチームは昭和63年のチームである。佐々木監督が昭和61年から1年半の充電期間を経て、カムバック後早速作り上げたチームである。増坂、石田、佐竹という3人の好投手を擁し、クリーンナップは、沢田(厚)、芳賀、佐々木であった。キャッチャーは、野球センス抜群であり1年生からレギュラーの沢田(厚)がおり、ショートストップには県内屈指の内野手と言われた井上がいた。 そして忘れもしない平成3年秋。佐々木監督は、エース元田、キャプテン沢田(靖)を中心に据え、総合力でハイレベルのチームを作り上げた。63年のチームが攻撃型・パワフル野球で快進撃を続けたのに対して、今度のチームは制球力抜群の元田と鉄壁の守り、そしてチャンスに発揮する集中力とチームワークで勝ち進んだ。決して圧倒的強さを誇ったわけではない。沿岸地区予選では宮古工業に5対4、県大会で盛岡四高に1対0、東北大会では田村高校(福島)に3対2という1点差ゲームをものにした。東北大会準決勝、仙台三高戦での7回の集中打は見事であった。一挙6点を挙げ7対3で快勝し、センバツ出場をほぼ手中に収めたのだった。 佐々木監督は通算28年間母校で監督を務められたことになる。私はそのうちの6年間を佐々木監督と共に過ごし、平成4年には甲子園出場という感激も味わった。私の貴重な財産である。本当に有り難うございました。本当にお疲れ様でした。 |
星稜高校・山下監督と