2019年2月22日放送

希望の郷「絆」最後の入居者が転出

東日本大震災で被災し、穀町にある仮設住宅希望の郷「絆」で暮らしていた、最後の入居者が転居することになり、今週日曜日(18日)、地域の人たちが集まって激励会が開かれました。仮設住宅希望の郷「絆」は、2011年3月に発生した東日本大震災で、住宅を失った被災者の一時的な居住の安定を図ろうと、その年7月に穀町の市役所職員駐車場として使用していた場所に急ピッチで建設が進められ40戸整備されました。これまで40世帯およそ70人が入居していた希望の郷「絆」ですが、震災からまもなく8年が経過する中、入居者の再建や災害公営住宅への転居などにより、その役目を終えようとしてます。その中、最後の入居者となっていた大槌町出身の関綾子さんは、単身で82歳の高齢ということもあり将来のことを考え、長女が住む盛岡市にある災害公営住宅への転居を決めたということです。今週日曜日(17日)、希望の郷「絆」のサポートセンターでは、新たな出発を決意した関さんが新天地でも明るく元気に過ごすことができるようにと、地域の人たちなど30人ほどが集まり、激励会が開かれました。激励会では、はじめに遠野町第3区自治会の山本順一会長が「関さんには、ずっと地元の人として居てほしいと思っていました。関さんの印象的な笑い声をずっと忘れません。」と挨拶した後、会食に入りました。サポートセンターの職員によりますと、定期的に行っていたイベントで関さんは、自慢の腕をふるって料理を提供したり、得意の歌で場を盛り上げたりしていつも明るく過ごされていたと言います。この日は、関さん手作りの赤飯とけんちん汁も振る舞われ、集まった人たちは、その味をじっくりと噛みしめながら思い出に浸っていました。また、関さんと同じ大槌町出身で上郷町に再建した遠野おおつち会の大久保孝四郎会長も激励に駆け付け、「寂しい気もしますが今まで通りに体を大事にしてがんばってください。」とはなむけの言葉を送っていました。そして、きょう(22日、金曜日)、関さんの出発の日を迎えました。およそ7年7カ月過ごした希望の郷「絆」に別れを告げた関さんは、地域の人たちなどに見送られながら、新天地である盛岡市に向けて出発していきました。なお、遠野市では、今後の希望の郷「絆」の活用は未定としていますが、これからも市内に再建、また、災害公営住宅に入居した人たちへのサポートを継続していくということです。

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