2014年7月3日放送

鱒沢佐馬助の舘跡を見学

地域に古くから言い伝えられている戦国時代末期の阿曽沼氏の重臣鱒沢佐馬助の舘跡見学会が先週土曜日(6月28日・土曜日)地域の人たちを集めて開かれました。上鱒沢地区自治会が主催した舘跡見学会には、地域の人たちなど30人あまりが参加しました。鱒沢佐馬助の舘跡は、上鱒沢地内にある長泉寺の裏山の尾根にあり、山の持ち主が木を伐採をしたことで舘跡の形状が明らかになったものです。見学会では、遠野文化研究センター文化課の職員が、舘跡の規模や造りなどについて説明しました。さらに鱒沢氏と阿曽沼氏の歴史背景についても説明がありました。説明によりますと、遠野阿曽沼氏の一族であった鱒沢佐馬助広勝などが、鱒沢と小友村の半分を領地としていましたが、領地をさらに拡大し統治したいとの思いから、慶長5年、遠野横田城主の阿曽沼広長が出羽の国、現在の山形に出兵中に南部氏の後押しによって反乱をおこし広長を追放しました。しかし、遠野奪還のため攻めてきた広長の軍勢との戦いに広勝が討ち死にし、さらに南部氏の家臣だった広勝の子も陰謀の疑いをかけられ命を落とし、鱒沢家は滅んでしまったということです。舘跡は、家臣の建物跡を取り囲む規模の大きな2重の空堀のほか、迷路のような複雑な空堀も造られているなど阿曽沼氏と鱒沢氏の抗争や南部と伊達との境に位置していたこともあり、戦いに備えた緊張感のある舘跡となっています。この日の見学会で参加者たちが舘跡の形状が残る山を登ったほか、場所を上鱒沢地区集会所に移し遠野市文化財保護審議会委員の水原義人さんを招いての講話会も開かれました。上鱒沢地区自治会では「今後も鱒沢佐馬助に関する学習会を開催したい」と話しています。

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