谷村 志穂
2005年4月16日(土) 「海猫」(谷村志穂・著)を読む 第3章は必要だったのか? |
同僚のM氏が貸してくれた本である。映画(監督:森田芳光、主演:伊東美咲、佐藤浩市)も観たが、映画は「第2章〜氷柱の愛、昭和34年、南茅部〜」までをほぼ原作どおりに映像化したものだった。薫、邦一、広次の3人が見事に、伊東美咲、佐藤浩市、仲村トオルに重なるのは、映画を観ているから当然か。それにしてもあの3人、原作のイメージにぴったりの演技だったと思うな。 第2章のクライマックス、あの吹雪の黒鷲岬での修羅場は、映画と全く同じように、本当に読み続けるのが切なくなる、悲し過ぎる展開である。あのまま、薫と広次、美樹、美哉の4人が何とか逃げてくれ!と思ったのは映画でも小説でも同じだった。美輝の、「お父さん、かわいそう」は分かるが、薫の「止めて、もう一度だけ」は分からなかった。最後の最後に、何が彼女を思い止まらせたのか。本当に、美輝にさよならを言わせようとしただけなのか。夫、邦一への未練?それはいくらなんでもないだろう。結局、薫のあの一言が悲劇の結末を生むことになるのだ。 映画はここまでの第2章で終わるが、原作本には、この後、「第3章〜流氷の愛、昭和52年、札幌〜」がまだ200ページ以上ある。美輝は北海道大学に入学し、修介と出会い学生結婚する。美哉は高校生となり、叔父の孝志に恋愛感情を持つ。祖母タミは商売がうまくいき裕福になっている。かつての姑、みさ子はガンで余命いくばくもない。邦一は啓子と再婚している。幸子は何度も流産を繰り返し、子どもはいないが孝志とそれなりにうまくやっている、とまあこんな内容である。 第2章までを読み終えた読者は、当然第3章でもさらなる波乱万丈を期待する。しかし何とも肩透かしを食らうことになるのだ。陳腐である。第2章までの激流の余韻とするには長すぎるし、美輝にも美哉にも前半ほどのドラマチックな展開はない。後半とも言えるほど長い第3章は何のためにあったのだろう。エピローグ(終章)として、2、30ページでいいと思ったのは私だけか。 谷村志穂の小説は初めて読んだ。短めのワンセンテンスはリズミカルで、思いがけない展開をさりげなく軽い筆致で進めるその作法は、作者の力量を十分に感じさせるものだった。 |
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