コンサート、観劇など
2018年12月8日(土) 仙台へ 劇団四季「オペラ座の怪人」を観る 秋保温泉 |
![]() 劇団四季「オペラ座の怪人」は10月22日〜1月14日まで。土曜日は2回公演となる。 秋保温泉ホテル華の湯・泊 |
2016年12月11日(日) ミュージカル「ミスサイゴン」を観る 12:00〜県民会館で |
![]() オリジナル・プロダクション 製作:キャメロン・マッキントッシュ 作:アラン・ブーブリル、クロード・ミッシェル・シェーンベルク 音楽:クロード・ミッシェル・シェーンベルク 演出:ローレンス・コナー 歌詞:リチャード・モルトビー・ジュニア、アラン・ブーブリル ミュージカル・ステージング:ボブ・エイヴィアン オリジナルフランス語テキスト:アラン・ブーブリル 追加振付:ジェフリー・ガラット 追加歌詞:マイケル・マーラー 舞台美術原案:エイドリアン・ヴォー 翻訳:信子アルベリー 訳詞:岩谷時子 ベトナム戦争末期のサイゴンの売春バー。米兵たちはもうすぐアメリカに帰るからいつにも増して混みあっていた。そこに17歳のベトナム人女性キムがいる。最初の客が米兵のクリスだった。 のっけから女性達が衣服を脱ぎ下着だけで踊りまくる。奥や左右の暗がりでは絡み合いも見て取れる。好き放題、やりたい放題の男女の賑わいが冒頭からバーで展開する。そしてミスサイゴンを選ぶ女性達のコンテストが行なわれる。ミスサイゴンはジジと決まる。キムが初めて相手をする客はクリスだった。 前半はクリスとキムとの愛、キムの婚約者トウイとの三角関係、そして別れ。圧倒的な踊りと歌声、それを増長させる音響にびっくりしながらステージに引き込まれる。 25分の休憩の後第2部が始まる。場面はアメリカだ。サイゴン陥落の後アメリカ兵たちはベトナムから撤退。キムはクリスとの間に生まれた3歳の子どもタムと暮らしている。いつかはクリスが自分たちを迎えに来てくれるだろうと信じて。しかし、その頃クリスはエレンと結婚をし幸せな生活を営んでいた。サイゴンでの悪夢を忘れ新しい女性と新たな人生を歩んでいたのだ。 ここから後半怒涛のステージが繰り広げられる。なんとヘリコプター(最大の見せ場)やキャデラックが出てくるのだ。ヘリコプターはCGだったが、大きなステージでは本物の一部が使われるとか。 最後のカーテンコールではスタンディング・オベーションだった。腰が痛くなっていた私は座ったままだったが、周りがほとんどスタンディング・オベーション。初めての経験だった。 12・00〜15:00、久しぶりのミュージカルだった。夏に行った東京で、劇団四季の「ライオンキング」は都合で見ないでしまったのは残念だった。 |
2016年4月8日(金) すずらんフェスタ |
![]() 卓球仲間のS原氏に誘われ参加。遠野商店街の満点スキップカード4枚で参加できるディナーショーである。参加者は圧倒的に女性が多かった。 演奏者はプロヴァイオリンシンガーの絵美夏さん(盛岡二高出身らしい)と、ピアニストの高木香織さん(遠野市出身)。 絵美夏さんはヴァイオリンシンガーと言うが、今夜演奏した楽器は南米の楽器アルパ、つまりラテンハープだった。絵美夏さんはシンガーでありヴァイオリニストであり、アルピストでもあるのだ。 まず食事。もちろん飲み物もビールやワイン、酒などフリーである。S原氏と、隣の知らない男性3人で飲んで食べる。S原さんはビール党、右側の男性は日本酒が好きのようだ。間に挟まれ私は両方飲むことになる。 やがて絵美夏さん登場。彼女の説明によると、アルパは基本的に左手でベースやリズムを刻み、右手でメロディーやアルペジオを弾くのだそうだ。半音操作のためレバーを押したり引いたりもするのだとか。 パラグアイの滝(カスカーダ)という曲を弾き、日本のハナミズキも弾き語りしてくれた。声量があり声もとてもいい。外国航路の機関士をしていたS原氏はスペイン語も少しできるらしい。南米の曲を弾き語りした後、「ブラボー、セニョリータ!、ムーチョ、ムーチョ」などと声を挙げる。少し恥ずかしかった。 最後は抽選会。商店街からの食品や飲み物などが当たる。残念ながら私もS原氏にも当たらなかった。最後の発泡スチロールに入っていた物とは、なんとカニだったようだ。うらやましい。 |
2016年4月23日(土) 3.11東日本大震災 心に刻む集い 大船渡市リアスホールで |
![]() ![]() メニューは少なく、ざるそば550円、大盛り650円など。とても安い。暖かい天ぷら蕎麦はあるが天ザルはない。天ぷらは白身魚の天ぷらだそうで、器からはみ出すほど大きい。何人かの客が天ぷらそばを食べていた。人気メニューのようだ。 我々は3人が大盛のざるそば、9人が普通盛りのざるそばを注文した。大盛りはざる容器そのものの大きさも違った。ほんの100円増しであるが大ザルの量は普通盛りの1.5倍ほどはあったと思う。かなりお得だ。 13:00〜心に刻む集い。熊本地震の募金もしていたので皆で少しずつ協力した。第一部の法要や法話が終わり、休憩後に臼澤みさきのミニライブが約1時間。盛岡さんさ踊りとのコラボレーションが何曲かあり、アンコールに応えて「花は咲く」を歌った。まだ高校生(盛岡中央高校3年生)、合い間のトークも初々しく、楽しいミニコンサートだった。 |
2015年12月22日(火) 老人クラブ10周年記念式典 祝賀会など |
![]() 13:30〜開式 記念講演は漆原栄美子のトーク&民謡ショー「生き生き歌って楽しい人生」 日本民謡大賞日本一を受賞したという。何度も日本一を強調していた。矢巾町や盛岡市などにいくつも民謡教室も持っている。 福田こうへいは自分の弟子だという。え〜!という驚きの声が挙がった。いろいろ指導したそうだ。 宮古出身の演歌歌手(兼民謡歌手)小田代直子も弟子だそうだ。2人には歌、民謡だけではなく、楽屋でのマナー、人間としてのたしなみ、たとえば下手な字でもいいから礼状を書くことなども、厳しく指導した。今や福田こうへいはNHK紅白に2度も出場する大歌手になった。小田代直子も演歌でCDデビュー、頑張っているそうだ。さらに吉田なるみという弟子は踊りで日本一になったという。 そうか、福田こうへいが今あるのは、漆原栄美子が指導した賜物だったのか。へ〜、へ〜、へ〜! 招待で沖縄に行った。この着物は大島紬で、20年ほど前に沖縄のある人からもらったものだ。当時は町長さんだったが、今は市長。この着物は、普通でも片手、いいものは両手だ。つまりこの着物は50万〜100万円もする高級品なのだ。今は大島紬の観光大使も務めている。 高校を卒業後JAに入社し、結婚もし、子どもも生まれた。今自分が歌の道で活躍できるのは主人のお蔭である。主人には大感謝。国庫補助を受け、9人で立ち上げた6次産業「みそ工房」も順調だ、などなど、幸せ節と自慢話のオンパレード。 少しは苦労話でも紹介した方がいい。失敗談もあっていい。同情を誘い、人間臭くて、さらに人気も出るだろう。自分の成功談、自慢話、弟子もダンナも日本一、ダンナに感謝など、幸せの押し売りばかりではつまらない。一部の聴衆はシラケただろう。例によってCDの宣伝と販売(2500円)もあるという。 17:00〜祝賀会、サンパーク柳で。市長や教育長、工藤県会議員も参加。 受賞者や役員などが参加する会だったようだ。受付で会費を払うが参加者名簿に私の名前がない。参加すると届けていたが、役員でもなんでもないから名前がなかったのか。後で聞いたら6区老人クラブの会長が参加できなくなり、その代わりの参加という形だったらしい。6区から受賞者を含めて6人も参加していた。 |
2015年6月15日(月) 希望舞台プロジェクト「焼け跡から」 実行委員として一日中動き回った |
![]() 8:00に家を出た。8:40みやもりホール着 9:00劇団のスタッフ・キャストと顔合わせ。我々実行委員は30名ほど。チケット販売から頑張ってきた。 その後、トラックから荷物をステージや楽屋に搬入する。重い物もある。滑り止め付きの軍手を持って来てよかった。 10:00〜受付準備など 12:30〜駐車場係り。14:00と18:30の2回公演だから、駐車場誘導も2度。昼は暑い中、麦わら帽子をかぶり、ペットボトルのお茶を片手に誘導棒で車を誘導した。帰りも混雑する車を誘導。こんなに長時間駐車場係を務めたのは、たぶん初めての経験。 18:30〜2回目の公演を最後列で見た。戦後、浮浪児たちがたくましく生きる姿を描く。途中何度も涙が流れた。きな臭い昨今、もうこんな経験を子どもたちにさせてはならない。 2回公演の後、荷物搬出も手伝う。「ローホリをとばしま〜す」など、専門用語が飛び交う。 その後、舞台でスタッフ・キャストと実行委員会による交流会。いっしょに記念写真も撮った。 22:00頃すべてが終わり、それから上郷まで帰る。22:40帰宅、雑巾のように疲れ切って、は少し大げさか。 |
2015年2月15日(日) 一関へ ハッスル・マッスル一関公演 |
![]() 鱒沢インターで釜石道に乗り江刺田瀬インターで降りる。国道107号線を経由し、北上江釣子インターから東北道に乗る。前沢SAで時間調整、11時ちょっと前に前沢インターで降り平泉へ。11:10〜A先生宅へ。お土産は妻からの花束と岩泉ヨーグルト。 11:30〜一関文化センター大ホール。開演前の貴重な時間だったと思うが、「ハッスル・マッスル」の代表を務める教え子のT橋に花束を持って行く。高校では応援団リーダーも務めたT橋。40歳を過ぎても身体は締まり、ますます精悍な顔つきになっていた。 「ハッスル・マッスル」とは、チラシによると、「マッスルミュージカル元メンバー×シルク・ドゥ・ソレイユ出演メンバー×中国雑技団」。そして、「日本人で唯一ラスベガスでロングラン公演を成功させたメンバーがアドレナリン全開で挑む筋肉サーカス」などと、すごい文句が踊る。 シルク・ドゥ・ソレイユ(意味は太陽のサーカス)や中国雑技団のメンバーも所属する「ハッスル・マッスル」、それを率いるのがT橋とは、すごいじゃないか。プロデュースから構成、演出までも彼が担当すると書いてある。開演前のアナウンスも彼だった。もちろんカーテンコールでの挨拶もT橋だった。 器械体操、太鼓、柔道、モンスターボックス、ダンス、棒術、剣術、バレエなどをモチーフに、スピーディーな演目が次々と繰り出される。時々はコミカルなパフォーマンスも。観客と一体感を創りだす演出もなされ、みんな大満足だった。 ビン4本に椅子を10個ほども積み上げバランスを取りながらのパフォーマンス(これぞ中国雑技!)はハラハラドキドキ、手に汗を握った。足を踏み鳴らす太鼓パフォーマンスのリズムが心地よかった。跳び箱や鉄棒など、器械体操がらみの筋肉サーカスはその力技に見ている方も力が入った。ダンスはAKB48的なものからストリート系、さらにはカンフー的なものまで息をもつかせぬ連続で圧倒された。 団体を運営するのも過酷な練習もたいへんだろう。見た目の華やかさの陰には人知れず苦労もあるものだ。挫折も味わったと聞くが、見る人々を元気にしてくれるこの「ハッスル・マッスル」、T橋にはぜひこの活動を続け、ますます発展させていってほしい。身体能力が並はずれているT橋のことだから、まだまだ現役でこのパフォーマンスを続けられるだろう。ガンバレ。 一関公演を支えたのが、当時の生徒指導課長S藤先生やT橋のクラスメートたちだった。開演前や終わった後に教え子たちに何人かと会った。名前を言われても思い出せない元生徒もいた。申し訳ない。 |
2014年7月21日(月) 栗コーダーカルテットコンサート |
![]() 4時半頃シャワーを浴びる前、それでも開演の時間を確認しようとチラシを見た。えっ、16:30開場?じゃあ、開演は、しまった、17:00〜だった! 急いで5分間だけシャワーを浴び、着替えて車に飛び乗った。15分ほどは遅れるが、とにかく急ごう。コンサートで途中入場はまずいが、何とか入れてもらおう。 受付に知っている人がいた。「すみません、時間を間違えました。今からでも入られますか」 「大丈夫ですよ。担当者が空いてる席に案内しますから」 会場の入り口ドアを開けてもらい中に入ると、中にも知っている人がいた。人数2人を確認し、空いてる席に案内してくれた。聞こえるか聞こえない声で、「すみません」 会場は子どもたちが多かった。市内の少年少女合唱団やバレェスクール、音楽教室の子どもたちのようだ(受付で渡された入会申込書などを見ての類推)。子どもたちに大人気のNHKEテレのピタゴラスイッチでもお馴染みのサウンドなのとか。そう言えば聞いたことがある。リコーダーやウクレレ、ピアニカ、メロディオンなど、あまり演奏会に向かない楽器が主役のようだ。リコーダーやピアニカなど小学校の教材楽器だ。 それでも4人の手や口からサウンドが発せられると、大人でも十分に楽しめるノリノリの演奏になるのだ。トークも気取らず自然体。力を入れず気負いもせず、パンフレットに書いてあるように、なるほど脱力系バンドなのか。 15分間の休憩やアンコール数曲を入れても2時間にも満たないコンサートだった。初めて聞く口琴という楽器の音色にびっくりした。ビヨヨヨ〜ンという音。栓抜きみたいな小さな楽器だった。夜店で売るおもちゃだったらすぐに買ってしまいそうな楽器だ。 |
2014年11月16日(日) 日本舞踊公演 岩手県民会館 侍ジャパン1−6アメリカ |
![]() 妻の友人は水木流の名取さん。プログラムの出演者を見ても本名はない。襲名された、水木なんとかさんの名前で紹介されているから、写真を見てやっと、あっ、この人だと分かる。最後に近い順番だった。 第67回岩手芸術祭参加ということで、水木流単独の発表会ではない。若柳流や他の流派の踊りもあったが、すべて歌は長唄や常磐津(ときわず)だから、退屈この上ない。歌謡曲や演歌に合せて踊る大衆芸能ではないのだ。 1人15分〜20分も踊る。広い舞台に大きなセット、豪華絢爛な衣装、さらにその衣装を2度、3度と変える。脱ぐ早技もあり、観客席から拍手が起こる。ときどきは歌舞伎のような声をかかる。ようっ、ご両人!とか。 見ていて思った。日本舞踊は金持ちの趣味なんだろう。この発表会に出演者はいったいいくらお金を出すのだろう。たった1人か2人のため、広いステージにセットが組まれ、豪華な着物を何枚も着て、小道具もあれこれといっぱいある。お師匠さんへのお礼や着替えさせる男性、音響効果、ステージ使用料など。後ろの方から聞こえてきた金額を聞いてびっくりした。 「1回の公演で1人何十万もかかるらしいですよ。100万円を越えたりすることもあるそうよ」 観客席を見渡すと、圧倒的に女性が多い。それも和服姿の女性が多い。男性は数えるほどだ。その男性の声も耳に入って来た。 「娘は30歳、早く嫁にいけばいいのに、こんなことばっかりやっている。今日はカメラマンですよ」、そう言ってカメラを持って前の方に進んで行った。まんざらでもなさそうだ。 12時から4時間近くも座っていて疲れてきた。いびきをかいて寝て妻に突っつかれ、しようがないから一足先に出てきた。 17時頃終わったようだ。妻が駐車場に来た。どこかで夕食を食べてから帰ろう。 |
2014年12月21日(日) ウインターコンサート2014 |
![]() 「A列車で行こう」、「パパ・ラブズ・マンボ」、「ウォーターメロンマン」など、ジャズのスタンダードは聞きごたえがあった。ソロのパートをたぶん必要以上に入れ、それぞれが前に出てきてノリノリで演奏していた。見ていて聴いていて演奏者の楽しさが伝わってきた。もちろん観客も楽しいが、演奏者はそれ以上に楽しんでいるようだった。 つい、調子に乗り過ぎヴォーカルも入る。メンバーが歌ったり、今回特にお願いしたヴォーカリストがいたり。しかし、このヴォーカルはいただけない。 「峠越え」は高音が出てないし、「Let it Go」は緊張し過ぎてまったく自分が楽しむ余裕がない。「銀河鉄道999」を宮澤賢治ふうの衣装で歌った団員は忘年会の余興であろう。英語で歌った女性は難しかったのはLとRの発音と言っていたが、そんな細かいところより〜。 特別出演のカントリーシンガーは良かった。ヨーデルがギター演奏とよく合い、雰囲気が出ていた。 女性司会者が目立ち過ぎだった。進め方もインタビューもうまいし声も滑舌もいい。司会業には慣れているようである。しかし少々出過ぎ。ソロの奏者を曲ごとに何度もするが、1回紹介すれば十分である。「盛大な拍手を」と何度も我々に促すのもやり過ぎるとシラケる。 イントロクイズでピアノとトランペットを演奏したのは、下組町の夏祭りで私が「星屑の街」を当てた時の2人だった。また「星屑の街」が出てきたらまっさきに手を挙げようと思っていたが、今回その曲はなかった。 県立病院のトランぺッターS原先生ががんばっていた。何度も前に出て演奏したり、マイクや譜面台を出したり入れたり、そろそろ世代交代で次期のバンドマスターか。 パーカッションの若い女性はハートフル・ステージで歌曲を披露してくれた高校生のようだ。声楽を習っており、ジャズコンサートでもパーカッショニスト。音楽が大好きな高校1年生、将来を期待しよう。 |
2014年4月28日(月) 狂言風オペラ「ドン・ジョヴァンニ」を観劇 遠野市民センター |
![]() 演奏:ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン管楽ゾリステン 鼓:中村寿慶 演出:茂山あきら 公演日程を見て驚いた。4月25日いずみホール(大阪)、4月26日三井住友海上しらかわホール(名古屋)、4月27日東京エレクトロンホール宮城(仙台)、4月29日遠野市民センター大ホール(遠野)、4月 ![]() 聞くところによると、遠野市長の強力なコネと働きかけで何とか遠野公演が実現したのだという。前売り券の売り上げ状況が芳しくなくて、市の職員が危機感を持って売りさばいたという。お陰さまで後ろの方、若干空きは見えたが、満席に近い状況だったようだ。 ステージ下手にドイツから来た管楽団が座り、その周りでコミカルな狂言が繰り広げられる。演目はモーツァルト作曲のオペラ、「ドン・ジョヴァンニ」である。 オペラとはそもそもたわいもない男女間のラブコメみたいなもんである。浮気をしたり、プレーボーイがいたり、三角関係になったり、恋のさや当て(一人の女性をめぐる男どうしの戦い)などが、面白おかしく音楽と共に進行する。 そんなオペラを狂言師たちが日本を舞台に演じるのだ。面白くないわけがない。西洋と東洋のコラボレーションなどと学術的にコメントしている評論家もいるが、要するにドタバタ劇である。何が出てくるか予想が付かない。演奏する人にちょっかいをかけたり、鼓の人までが演技したりする。挙句はみんなでステージで遠野の地酒「國華の香」をグラスに注いで、カンパーイ!だ、本当に飲む。狂言の演者も管楽団の演奏者も飲む。前から4列目の席まで酒の匂いがぷ〜んと鼻をつく。 そして、ローカルネタに、座敷わらし、カッパ、エロガッパ、菊池のおっさ〜んなど。しかし、遠野市長の名前を間違え、「山田市長も来るのかなあ」には失笑。 いやあ、楽しかった。こんな楽しいステージを提供してくれた遠野市に感謝である。普通ならば1万円ぐらいの入場券が前売りで3000円だったのも、協力なバックアップがあってのことだろう。 写真右は終演後にロビーで演奏してくれた楽団の人たち。 |
2014年3月11日(火) 佐々木優花東日本大震災チャリティーコンサート |
佐々木優花(フルート)は遠野市上郷町で開業医だった人の孫(ひ孫?)とか。上郷町の人たちも大勢行っていた。およそ花束の似合わない(失礼)上郷町のK池さんが一番最初に花束を渡していた。 メンバーは他に、井上智(ギター)、遠藤征志(ピアノ)、吉田豊(ベース)、高橋幹夫(ドラム)。本格的なジャズ演奏に酔いしれた。 彼女が作曲した曲も何曲か演奏したが、震災後被災地で見る夕日にインスパイアされたという「サンセット」、これもとてもよかった。同じ岩手県出身だが、福田こうへいの「南部蝉しぐれ」では、「あれをごらんよ真赤な太陽 落ちてゆくのにまだ燃えている」とある。まったく関係ないが、彼女の演奏に「まだ燃えている落ちていく太陽」を自分勝手にイメージした。和洋折衷である。 座席は一番後ろだった。終わってロビーに出て、CD「ダンサーズ・イン・ラブ」を買い、ジャケットに5人のサインをしてもらった。混雑する前であり、ラッキーだった。優花さんに名前を聞かれたので「中*といいます」と答えた。「真ん中の中に〜」と言ったが、「Nakahara さんへ」とローマ字、しかも1文字が違っていた。まあ、いいか。 |
2014年1月3日(金) 音楽のお年玉 新年コンサート あえりあ遠野交流ホール 参加者80名 |
18:00〜コンサート、19:00終了 19:46発釜石行に乗り上郷へ。 食事はお正月らしい飾り付けの和食だった。ワンドリンク付きだという。ビールなら中瓶1本。ワインや焼酎の水割り、ウィスキーなどはワングラスのみ。もっと飲みたい人は別オーダーになるという。 「オールワンコイン(500円)です」と、司会者がワンコインを強調していたが、焼酎やウィスキーなどグラス1杯で500円かい。ケチクサイな。オールフリーでもいいじゃないの。 隣の席のKさん(上郷町)は焼酎を飲んでいたが、すぐに飲み干し、ドリンクコーナーに行き500円を払い買ってきた。それを何度か繰り返していたようだ。 「1万円の会費払って、2杯以上飲む場合には金を取るのか。普通は飲み放題だよな」、とぼやいていた。同感である。追加のドリンクはテーブルでオーダーするのはNGと言われた。ドリンクコーナーまで歩いて行ってそこでお金を払い自分で持ってくるのだという。 私のワンドリンクはビールを頼んだ。同じテーブルに市議会議長や議員、〜委員なども座っている。半分ぐらい飲んだ後、さらにビール2本を買ってきて、その人たちにあいさつを兼ねてビールを注いで回った。同じテーブルにはキクコーの奥さんもいた。お世話になっております、などとあいさつをする。 そうこうしている間に主催者のあいさつが始まった。ゆっくり食事を楽しむ時間もない。司会者も主催者もあいさつはけっこう長い。もちろんその間も、遠慮がちにではあるが、飲んだり食べたりしていた。その後、空くじなし抽選会も行なわれた。全員が抽選会コーナーまで移動し、くじを引きその番号により景品が当たる。ワインなどが当たっていた人もいたが、残念、私の景品は百円ショップでも買えるような小さいメジャーと免許証(パス)入れだった。一緒に行った娘の景品はのど飴とキーホルダーだった。 やがて6時、コンサート開始の時間である。ごちそうもビールもまだ残っているが、ステージの方にぐるっと向きを変え、コンサートに集中することにした。 遠野在住のバイオリニストは不来方高校出身で東京音大で学んだと言うSさん。出演者プロフィールを見て思い出した。彼女はT橋先生の教え子であった。いつかT橋先生から、「遠野で会ったらよろしく言っておいて」と言われたのを思い出した。帰りにタイミングが良ければそのことを言ってみよう。平泉在住のT橋先生は、岩手県内の音楽関係者なら知らない人はいないほど有名な先生なのだ。 |
2013年9月5日(木) 新派「三婆」を観劇 遠野市民センターで 笑った笑った! |
![]() 出演:池乃久里子 水谷八重子 沢田雅美 佐藤B作 ポスターのキャッチフレーズ;この三人のバトルって、そりゃもう怖すぎ!?/お妾の駒代(水谷八重子) 「本妻だと思ってエバンじゃないよ!」/本妻の松子(波乃久里子) 「何よ!このイカズゴケ!」/イカズゴケのタキ(沢田 雅美) 「妾のくせにナマイキな!」 金融業の亭主が死んだ。本妻宅に転がり込んできたのはなんと妾と小姑(亭主の妹)。海千山千の3人の婆の抱腹絶倒のバトルが幕開けする。 第1幕はまだ序の口。ニヤニヤ、クックックと遠慮しがちな笑い声が響く。やがてゲラゲラ、ワッハッハと手をたたいて笑う。場内は三婆ならぬ、三百婆以上。高齢者女性が圧倒的に多い。 第2幕、3人のババアの意地と欲が佳境に入り、さらに3人の間に入る元・専務の重助(佐藤B作)が鳥取から落ちぶれて帰ってからは、もう場内大爆笑。4人の奇妙奇天烈、奇想天外なセリフや演技が爆裂する。 やがて、老いが迫るとともに心を通じ合わせていく、まさに現代の高齢社会を写す芝居だ。4人でビールを飲みあう2幕の終わりごろの宴会シーン。飲んで酔って歌を歌う。何度もカンパーイ!場内からも拍手が起こる。B作の歌には手拍子も。そして幕。拍手が一段と盛大になる。時計を見ると9時7分だった。6時半に開演、2時間半ちょっと、いや〜楽しかった!満足です、三婆さんと一爺さん。 そう思ったとたんに場内放送。「ただいまから約10分間の休憩です」。 えっ、まだ続きがあるのか。そして10分後、第3幕が始まる。設定はあれから15年後。家はあちこちが朽ち落ち、4人は超高齢者になりながらも生きながらえている。4人のボケ演技が冴えわたり、場内は爆笑の渦に巻き込まれる。しかし、身につまされている人も多いはずだ。いつかは私もオレもと思って見ていた人が多いだろう。それでもまだ考えたくない。今は笑って老いを吹き飛ばそうということか。 カーテンコールで4人のうち3人が涙を流した。ウソ泣きでは?という人もいたが、ベテラン女優達が感極まって泣くということがあるのか。遠野の人たちへのサービスだったのかも知れない。 有吉佐和子が「三婆」を発表したのは1961年だという。今から半世紀以上前の作品でありながら、現代の高齢化社会を見事に笑いの中に収めているではないか。 |
2012年8月24日(金) 昨夜 劇団わらび座の「遠野物語」を観る |
飯坂温泉での懇親会で隣のテーブル席に座ったのは秋田・由利本荘市のI東さんだった。私が遠野市の出身だと知るとわらび座の「遠野物語」について話してくれた。 「昨年は遠野物語100周年だったそうですね。仙北市・田沢湖にあるわらび座では今、ミュージカル『遠野物語』の練習をしてますよ。そのうちに遠野市でも公演すると思います」 それに対して、「わらび座の『遠野物語』は明日遠野市で公演されます。私もすでに券を買ってありますので観に行く予定ですよ」 I東さん、「えっ、もう?まだ練習の段階のはずだけど。昨日も練習してましたよ」。 I東さんはわらび座の関係者か、あるいはファンクラブの人なのか、わらび座に詳しいようだ。いずれ、遠野市での初演は23日のはずだ。 1ヶ月ほど前か、遠野市のある職員が言っていた。「わらび座の『遠野物語』は遠野市で初演が決まったが、本当にやれるのか。まだ構想を練っている最中だと聞いているが、前売り券の発売時期はいつにしたらよいのか」 そして昨夜、市民センターの駐車場に行くとすでに満車で入れず、別の所に車を停め大ホールに入るとほぼ満席だった。一番後ろの報道席の横が空いていたのでそこに座る。その後からも客は来るが座れず立っている人もいる。市役所の職員が後ろの通路にパイプ椅子を出し座らせていた。前売り券の売れ具合を心配することは全くなかった。 6時半に「遠野物語」が始まった。津波で妻や子どもを亡くした主人公が沿岸から遠野に来る。死に場所を探して。途中様々な体験をするのだが、その体験がつまり「遠野物語」だった。もののけ達に追われ、狐にだまされ饅頭を食い、河童と取っ組み合い、座敷わらしの子らと戯れる。やがて男の気持ちは失意から希望へと変わっていく。しし踊りも力強く主人公を励ます。 そこで休憩15分。なるほどミュージカル「遠野物語」だ。「遠野物語」を素材にしてよくできたミュージカルである。さすが、わらび座だ! 15分後に後半が始まった。海岸の網起こしの歌が力強く響き渡る。どうやら今度は浜が舞台のようだ。海の男や女たちが歌い踊る。しかし、「遠野物語」は前半からどうつながってくるのだ。前半からの流れがない。生きる希望を持ったあの主人公の物語はあれで終わりなのか。 そして虎舞が始まった。沿岸で盛んな踊りだ。大きな虎頭が舞台中央にでんと置かれ、虎の衣装がホリゾントの前に立ち上がる。お〜と声をあげそうになるステージの変化だった。ところが、ホリゾントの虎の衣装に虎頭がひっかかり、大きな虎頭がごろんと前に転がってきた。あわてて袖から出てきて虎頭をセットし直すスタッフ。キャストも客席に向かって申し訳ないと頭を下げる。 結局、後半はわらび座お得意の民俗芸能のオンパレードだった。「遠野物語」は前半だけであり、後半はわらび座いつもの歌と踊り、目新しいことはないこれぞわらび座というステージだった。アンコールにも応えてくれたが、終演時刻は8時15分。6時半から始まり15分の休憩も入るから正味は90分だ。遠野物語ファンタジーや盛岡文士劇で120分以上のステージを見ていると、90分はあっという間に感じられる。 チラシを見ると、第一部舞踏詩「遠野物語」、第二部舞踏集「故郷(ふるさと)」とある。つまり「遠野物語」は第一部だけなのだ。それなら納得。第二部は単なる付けたし、構想を練っていたというが、結局あのような第二部になったのか。少しお座なりのような気もするが。 |
2010年12月6日(月) チベットの歌姫バイマーヤンジン トーク&コンサート |
18:30〜バイマーヤンジンさんのトーク&コンサート。 「チベットから日本に来て16年になります。日本に来て一番来たかったところ、それは京都でも沖縄でもありません。岩手です。理由はお分かりですね。日本のチベットが岩手なんだそうです。NHKラジオ深夜便というラジオでそのことを話したら、盛岡の人が岩手に呼んでくれました。岩手の、どこがチベットですか。飛行機も新幹線も高速道路もあるじゃないですか」 楽しいトークとチベットの歌、日本の歌を歌う。 休憩時間にS木先生に声をかけられる。盛岡から来たんですか。「ユネスコの関係でね、今夜は遠野に泊まります」 |
2008年11月25日(火) 三浦わたる新曲コンサート 感涙にむせぶわたる君 |
マリオス大ホールに1000人以上が集まった。次々とステージにかけよるファンに笑顔で応えるわたる君。花束やお花(現金)などが多数届けられ、思わず涙を流していたわたる君。新曲の「羽越本線」、とっても良かったよ。3万枚のヒット、いけると思うよ。また夜の街で会おう。その頃までは「羽越本線」、僕も歌えるように練習しておくから。頑張ってよ。 三浦わたるの新曲「羽越本線」、「野郎船」の発表会である。5時からだったので1時間の年次を取りマリオスに行く。大ホールの1階席は満席に近そうだ。2階席に入っているファンもいる。圧倒的に中高年の女性が多い。三浦わたるを自分の息子みたいに思って応援しているのだろう。 5時から始まったのは第1部「ファンの歌声」、つまりカラオケ大会(2番まで)のようだ。踊りも何組が入る。皆さん、ステージ衣装もばっちりときまっている。しかし2時間近くも次々に歌われるカラオケ、知っている歌は1曲もなかった。「ギンコイ」や「スバル」、「サライ」など、定番と言われる(僕も知っている)歌が1つもないなんて、今どきのカラオケはこんな曲がはやってるのか。途中居眠り、ZZZ。 第2部がいよいよ三浦わたるのワンマンショー。まず、昭和歌謡をメドレー26曲も歌ってくれた。こちらはほとんど知っている曲ばかり。前の中年おばさん3人組が踊りっぱなしだった。わたる君は終始、客席に降りて歌い、握手や抱擁のファンサービスも厭わない。杉さまやエルビスのように汗を拭いたハンカチを大事そうに握り締めてるおばさんもいた。上手客席に降りてこなかったぞ。 そして持ち歌4曲の披露となる。中でもやっぱり「羽越本線」はいい。さすがに「孫」や「江釣子の女」を大ヒットさせたみちのくレコード連盟、肝いりの新曲である。水森かおりの「五能線」に似た曲調だが、「五能線」に負けないヒットが期待される新曲だ。 三浦わたるは盛岡市青山町出身の演歌歌手。6年間、作曲家・叶弦大の内弟子になり修行を積む。3年前に「北の夕焼け」でデビューし、まだまだ駆け出しの歌手。夜の街に出て地道に歌手活動を続ける。優しくて物腰の柔らかい、人間的な魅力を感じる歌手である。「羽越本線」、ヒット祈願! |
2008年10月17日(金) せんせいしょんコンサート 岩山漆芸美術館の南部曲がり家特設会場で |
「姫神せんせいしょん」が解散したのは1984年だったという。そんなに昔だったのか。27年後3人のオリジナルメンバーを中心に再起動し、「せんせいしょん」として再デビューした。今年1月にはアルバム「桃源郷」を発売した。3人はドラムの佐藤氏、ベースの伊藤氏、ギター、尺八の大久保氏。みんな味わい深い中年のおじさんになっていた。今夜はその3人に、シンセサイザーの北田氏、パーカッションの吉田氏が加わる。 岩山漆芸(シツゲイ)美術館は旧・橋本美術館を改修した漆芸美術館だ。館長の全龍福(チョン・ヨンボク)氏は韓国の漆芸家。東京・目黒雅叙園の漆美術品数千点を修復した人で有名だ。来日は1998年だったという。川井村に工房を置き、その後盛岡の橋本美術館に拠点を移し創作活動を続けている。最近では漆塗り高級時計や漆塗りのギターなどで話題になった。 せんせいしょんは姫神せんせいしょんの時代からテーマは一貫して日本の情景だという。漆は英語でjapanだ(ちなみに陶磁器はchina)。すなわち、今夜はせんせいしょんのJapanと漆のjapanのコラボレーションというわけだ。会場は美術館の3階にある南部曲がり家特設会場。観客は畳や椅子に座り150人ほどか。間近に見るせんせいしょんと間近で聴くせんせいしょんの音楽。どこか懐かしい、心地よい旋律とリズムに心も体も揺れる。エレキとドラムに、尺八の音色がよく合っていた。もちろんギターはあの漆塗りの芸術品だ。 アンコールには2度ほど応えてくれた。その後、特別出演ということか、全氏の次女が日本語で歌い、長男がギターを弾く。さらには全氏と、韓国から取材に来ていた朝鮮日報の記者が、アリリャンなど韓国の歌2曲を、踊りを交えて披露してくれた。観客の中に何人かいた韓国の人たちも踊りだした。南部曲がり家に日韓交流の輪が広がった。 会場で観客を迎えてくれた全氏、演奏の前の挨拶に終盤での歌と踊り。そして帰りも出口で一人ひとりを見送ってくれた。全氏の人柄がよく分かる演奏会だった。次は漆作品の数々をじっくり見に来ようと思った。ほろ苦い思い出もよみがえる岩山展望台にも行ってみようか。 |
2007年3月29日(木) 久慈で最後の夜は小山実稚恵オール・ショパン・コンサート |
久慈市での最後の夜は、アンバーホールで開かれた「小山実稚恵ピアノリサイタル」。オール・ショパン・プログラムで、いずれも聞いたことがある名曲に優雅な気分に浸った。 アンバーホールは、現在東京都知事選に立候補している黒川紀章氏が設計したという、音響重視型多目的ホール(1178席)だ。さらにアンバーホールの館長Eさんは、元、小澤征爾の奥さんだったそうで、アンバーホールでは有名な音楽家のコンサートなどもよく開催される。もちろん小澤征爾の管弦楽団も来たことがある。 小山実稚恵(こやまみちえ)さんも人気実力ともに日本を代表するピアニストなのだそうだ。ネットで調べたら出身は仙台で、盛岡で育ったということだ。出身高校は分からないが東京芸大、大学院で学んだようだ。名前のとおり優雅な女性で、拍手に応えるステージでのしぐさなどもまさにエレガントだった。 最後の曲はポロネーズ第6番変イ長調作品53「英雄」だった。力強くダイナミック、そして情感もたっぷりと感じられ、終わった後は一段と大きな拍手、そしてブラボー!と賞賛の声も聞かれた。 アンコールに応えて4曲も弾いてくれた小山実稚恵さん、久慈勤務最後の夜に素敵な時間をありがとうございました。 |
2005年8月31日(水) 「付き馬屋おえん」を観劇 盛岡ではトライスポーツ 久慈→県営運動公園→遠野市 泊 |
演出:金子良次 原作:南原幹雄 キャスト;山本陽子 若林豪 中山仁 三林京子 川崎麻世 山村紅葉 平成17年度松竹特別公演「付き馬屋おえん−女郎蜘蛛は笑う−」が遠野市(遠野市民センター)にやってきた。座席は全席指定でほぼ満席だった。私の席は前から2列目のほぼ真ん中である。衣装やドーランの臭いが漂い、役者の息遣いも感じられる最高の座席である。もちろん役者の表情やシワまで見て取れる。 「付き馬屋」とは今で言う「借金取立て屋」。蛇足であるが、遠野市にある地名・附馬牛(つきもうし)とは関係がない。 勧善懲悪の時代劇で借金取立てを生業(なりわい)とする女性が主人公か、と思うが、そこはエンターテインメント。吉原などでの遊び人や極悪人どもを天に代わって懲らしめてくれる痛快時代劇なのだ。大ヒットした過去の映画や演劇のいいとこ取りのような演出である。遠山の金さん、水戸黄門、藤純子の女博徒、股旅物、なぜかスケバン刑事(あれはヨーヨーじゃないが)、そしてクライマックスの20人以上の殺陣(たて)。さらに恋も別れもある。2時間半たっぷりと笑って泣いて、芝居の世界に浸れる作品だった。 決め台詞に拍手、見得を切っては拍手、登場に拍手、退場にも拍手。満席の遠野の人たちのノリに喜んでくれたのか、カーテンコールでは、出演者が懐から出した手ぬぐいを観客席に投げるサービスも。山本陽子のすぐ目の前にいた私は、彼女の投げた手ぬぐいをナイスキャッチ。まだ温かみの残る手ぬぐいに手に、すっかりミーハーになっていた自分がいた。 なお、この公演、県内では遠野の他はあと1箇所だけ。9月4日(日)に盛岡市民文化ホールで予定されている。絶対に観て損はしないですよ。大満足すること請け合いです。是非どうぞ。 |
2004年8月21日(土) 松竹特別公演 「華岡青洲の妻」(有吉佐和子・作、演出・戌井市郎、出演・池内淳子、波乃久里子、淡路恵子、勝野洋)を観劇 遠野市民センター6時〜9時 |
16年度松竹特別講演「華岡青洲の妻」は昨日スタートし、今日の遠野市公演が2度目だという。その後10月10日まで40数回の公演が予定されているようだ。市のイベントとでもあり、市長の声がけで前売り券を売りつくし遠野市民センター大ホールはほぼ満席である。ほとんどが中高年だ。若い人はほとんどいない。例によって遠野市長(相変わらずパワフルな市長だ)の挨拶に続き、いよいよ開演である。 華岡青洲の母親・於継(おつぎ)は美貌で賢く、非の打ち所のない女性である。医学を修めるため京へ行っている間に祝言をあげた嫁・加恵も心から尊敬しており、嫁・姑の仲は他もうらやむほどである。しかし青洲が京で3年の研修を終えて華岡家に戻って来てから女2人の関係はおかしくなる。やがてこの2人の女性が激しく反目しあい、嫁・姑の仲は最悪になる。 学問一筋の華岡青洲はそんな2人の仲を知ってか知らずか、全身麻酔のための犬・猫実験を繰り返す。残すは人体実験のみになったところで、於継と加恵の2人が被験者になることを強く望む。結局、青洲は2人に実験を施すことになる。曼陀羅華(マンダラゲ、別名チョウセンアサガオ)からの抽出物を主成分とする通仙散(つうせんさん)を2人に飲ませるが、より人体実験に相応しい処方の薬を飲ませた妻、加恵が失明してしまう。 最終的に青洲は、西洋医学がエーテルやクロロフォルムを使って手術するに先駆けること実に数十年、全身麻酔による乳がん摘出手術に成功することになる。 池内淳子、淡路恵子という往年の大女優が貫禄を示し、青洲役の勝野洋、加恵役の波乃久里子も熱演である。随所に笑える場面をおり交ぜ、芝居は観客を引き付けながら、やがて終演へと向かう。 6時開演で終わったのは9時だった。その後カーテンコールもある。これは少し長すぎないか。途中、休憩が2度も入るのも珍しい(15分と5分)。たいていは1度だけである。2度目の休憩で退席してしまった老人もいる。窮屈な座席で同じ姿勢で座るのが疲れたのだろう。また眠っている老人もいた。もったいない。 最近は観劇の機会は1年に1度か2度だけである。今日の「華岡青洲の妻」は全国公演2度目だったからか、プロンプターに頼っていた役者が一人いた(客席にはっきり聞こえた)。これには少し興ざめ。それには目をつぶって、いや耳をふさいで、久しぶりに質の高い芝居を堪能したと言える。 |
2003年8月28日(木) 「人情喜劇 おもろい町」(はるき悦巳・原作 吉本哲雄・演出 出演:赤井英和 音無美紀子 中尾洋子 木ノ葉のこ 小嶋慶四郎 逢坂じゅん)6:30Pmb〜9:10遠野市民センター |
松竹特別公演「おもろい町」を遠野市民センターで観た。全く予備知識なしで観たが、すぐに、あれ?この芝居はまるで「じゃりんこチエ」。小学校5年生のチエがホルモン屋を切り盛りし、父親は博徒と喧嘩に明け暮れるテツ。チエはおかっぱ頭にスカートと下駄である。昔、週刊誌で見たことがある「じゃりんこチエ」そのまんまじゃないか。大笑いしながら観ていたが、やがて15分の休憩。ホールに行きパンフレットを買って見ると。。 やっぱりそうだ。原作は「週刊漫画アクション」の「じゃりんこチエ」(はるき悦巳・作)とある。余談だが「クレヨンしんちゃん」も「週刊漫画アクション」に連載され大ヒット。「週刊漫画アクション」は漫画週刊誌の中では最も売り上げを伸ばした雑誌だったと思う。その「週刊漫画アクション」も、時代の流れに乗り切れずついに廃刊、という記事をつい先日、新聞で見たばかりである。 パンフレットによると「おもろい町」はほとんど毎日の全国公演である。今週だけでも仙台、会津若松、福島、遠野、花巻、種市町と連夜の公演のようだ。遠野市では市長の声掛けで前売券を売りまくり、遠野市民センター大ホールがほぼ満席である。出演者も気を良くしたのだろう。乗りに乗り、遠野市のローカルネタをアドリブで連発、大サービスしていた。ステージと客席が一体になった芝居に観客も大喜びだったようだ。久しぶりの観劇に私も満足。笑った、笑った。 |
2003年6月29日(日) オペラ・イタリアーナ・コンチェルト&イタリアン・ランチ in あえりあ遠野 12:00〜14:45 |
〜サレルノ風ランチ・初夏のティレニア海から〜のイタリアン・メニューは、 シーフードミスティ・サラダ仕立て、ショートパスタ・ゴルゴンゾーラソース バジリコ風味、ゼリーコンソメ・ヴィシソワーズ、甘鯛ムニエル・カポナータ添え&フィレステーキ・温野菜、マンゴープリンフルーツ添え、コーヒー。(車で行ったのでワインは×)。 1時間かけて美味しいイタリアン料理を楽しみ、13時からイタリアン・オペラのコンサートである。たぶんカメラは禁止だろうと思ってデジカメを持っていかなかったが、写真は自由に撮っていいみたいだった。残念。 出演者は、普通の話し声はハスキーで女性にしては低い声なのに歌うと透明感のあるソプラノ歌手の山本隆子、オーケストラでone of themとしか認識のなかったクラリネット奏者(ソロも)、ロムアルド・パローネ、衣装も笑顔も素敵だったピアノの加藤雅子、東京学芸大学講師でその豊かな声量で会場を魅了した小林大作、オーソレミオをみんなで歌いましょうとイタリア語で言った、エレナ・サバティーノの5人である。遠野までよくぞ来てくだすった。 久しぶりに生のコンサートを堪能した。アンコールにも応えてくれたラストは、だれかが立ち上がりましょうと言い、みんなでスタンディング・オベーション。演奏者もうれしそう。帰りは入り口のところで手も振ってくれていた。グラッチェ、グラッチェ。 |
2002年10月4日(金) 昨夜、わらび座ミュージカル「アテルイ」を観劇 アテルイ vs 坂上田村麻呂? |
話題のミュージカル「アテルイ」を昨夜遠野市民会館で観た。高橋克彦原作の「火怨」を秋田県田沢湖町を拠点とするわらび座がミュージカルとして創り上げ、昨年から各地で公演しているものである。 恥ずかしい話しだが、歴史に疎く、アテルイなる人物が岩手の英雄だったなど、つい最近知ったばかりだ。それもこのわらび座公演やアニメ映画、没後1200年の記念イベントなどによる情報で知ったものである。 わらび座は昔何度か観たことがある。若い頃だった。一緒に観に行ったやつがすっかりわらび座のとりこになり、入団(入座?)しようと何度か公募のテストかオーディションを受けたっけ。もちろん全部不合格だったはず。いまごろあいつはどこで何をしてるんだろう。そんなことに思いをはせながら席に着いた。 全席自由席である。なるべく前の席で観たいと思い、左端に少し近いが前から5列目の席に座った。和太鼓奏者の息遣いが聞こえてくる。当然ながら出演者の表情も肌の輝きもはっきりと見て取れる位置である。集団による迫力ある激しい動きの場面が多いが、場面場面でのキメのシーンでは大きな拍手が湧き上がる。昔やった「天国ストリート」と「ドリーミング・アドベンチャー」を思い出してしまった。(この2つが検索でひっかかってくれることを少し期待しあえて記述) さて、注目のアテルイと坂上田村麻呂である。岩手では坂上田村麻呂の方が断然ポピュラーである。鬼を退治したなどという言い伝えもあるが、もしやこの鬼というのがアテルイだったのだろうか。坂上田村麻呂は蝦夷を討伐しようとする朝廷軍の大将である。アテルイ率いる蝦夷軍と激しい戦いを繰り広げ、結果的にアテルイを討ち取り処刑してしまう。 ミュージカル「アテルイ」はアテルイを軸に蝦夷側から描いてはいるが、戦いでも恋でも敵である坂上田村麻呂を東北侵略者の悪と描いてはいない。どちらも人間味豊な英雄といった視点である。 アテルイがほとんど知られず、坂上田村麻呂だけが英雄として岩手の人間に語り継がれて来たのはいったいどういう訳だったのだろうか。 |
2001年11月3日(土) 遠野アメリカン・ミュージック・フェスティバル ゴスペルの夕べ ホテル・アエリア |
ゴスペル・アーティスト、メルビン・ブライアントは作曲家でありピアニスト。彼の率いるグループ、アガペーはアメリカ東海岸で精力的に演奏活動を続けているということだ。シンガーが8名、ピアノとドラム、ベース奏者を合わせると総勢12ほどのメンバーだった。そんな著名なアーティストが遠野にやってきた。ホテル・アエリアの結婚披露宴用と思われる広〜い会場は超満員。立ち見も出来るほどであった。帰りに関係者に、今夜の聴衆は何人?と聞いたら、600人ということだった。 聴衆の中には、県内のALTが大挙して押しかけたかと思われるほど外国人が目立つ。当然であるが、英語に即・反応し、通訳の日本語が聞き取れないほど、間を置かずに拍手や歓声が飛び出す。ノリノリの観客は手拍子はもちろん、手を頭上に上げて左右に揺らしたり、中にはスタンディング・オベーションも。観客と一緒にハレルヤの大合唱もしばらく鳴り止まない。今夜はみんなクリスチャンになってしまった。 私の前の席のオバサン、リズムをはずした手拍子や盆踊りのように手や体ををゆするのはまあ我慢できるが、椅子をドンドン後ろにずらしてくるのには困った。足を組んだり、伸び上がったりしながら、椅子が徐々に後ろに来る。そうなると当然私のひざが否応なしに開かざるをえない。とても窮屈になる。オバサン、立って手を振っている。今だ、ひざで椅子を10センチほど押し出す。それに気づいたかどうか、再び座ると、またジリジリと。今度はそうはさせじとひざを椅子にぴたっとくっつけて押されないように踏ん張っていた。ひざが痛くなったほどだ。さすがに私のひざが押し返そうとしたのに気づいたオバサン、帰りに私の顔をにらんで行った。今はもう言わなくなったが、まぎれもない、オバタリアンだった。 |
2001年10月6日(土) 遠野アメリカン・ミュージック・フェスティバル |
午後6時30分〜、遠野アメリカンミュージックフェスティバル。4人のミュージシャンがニューヨークから遠野にやってきた。実際にブロードウェイに立ったり、テレビや映画に出演しているプロの歌手や作曲家、ピアニストたち。普通なら遠野市が呼べるような音楽家たちではない。遠野市教育委員会の外国語指導助手ケビン(彼も相当なミュージシャン)と彼らの友情により可能になったようだ。また先月の同時多発テロの影響で来日も危ぶまれたようだが、何とか今夜のコンサート実現にこぎつけたようだ。 最初にテロによる犠牲者に全員で黙祷。それから約2時間半、本場ブロードウェイのすばらしい歌声(ミュージカルナンバーなど)やピアノ演奏を堪能した。特に、キース・バイロン・カークとサリー・ウィルファートの歌声は、その豊かな声量と型破りな表現力とあいまって、遠野の人たちを魅了し、圧倒した。久しぶりに堪能したライブコンサートだった。 がっかりしたのは、カメラのフラッシュだった。事前に一部のスタッフ以外は撮影禁止の注意があったが、その一部のスタッフ(もしかしたらそれ以外の人もいたようだ)がひっきりなしに動き回り、目障りだった。盛り上がっている演奏中、エンディングの余韻に浸るところ等、のべつまくなしにカメラで撮影しまくる。それもフラッシュをたいて。出演者に了解は取っていたかもしれないが、あまりに失礼すぎる。撮るにしても曲の間とか、フラッシュはたかない、必要最小限の撮影だけ、といったエチケットはあるだろう。バラードのエンディングをしっとりと歌い終わる直前に連続のフラッシュ。出演者は明らかに戸惑いの表情を見せていた。 |