金沢 
2013年11月28日(木) 金沢→越後湯沢→大宮→新花巻 そして卓球 
 朝の散歩はホテルから傘を借りて近江町市場まで歩く。雨はそれほどでもないが、風が強い。そして寒い。岩手からはるばると、たぶん1000キロ近くも旅して来たのに金沢は冷たかった。
 今日は兼六園はパスしよう。十数年前に一度だけ来たことがある。2度目と思ったが、こんな天候では散策を楽しむどころではない。風が強く風に向かって歩くのはかなり辛い。これで雨がもっと強くなったら大変だ。傘は役に立たないだろう。せっかくの金沢であるが、もう帰ろう。天候次第ではあるが、途中どこかの駅で下車し、そこの空気を味わって行こう。富山で降りようか。路面電車はまだ走っているのだろうか。
 近江町市場で海鮮丼でも食べようと思ったが、開いてる店がなかった。近江町市場は宮古市の魚菜市場や釜石のサンフィッシュをもっと規模を大きくしたような市場だった。どの店にもカニやノドグロといった魚が多い。
 9時ちょっと前にチェックアウト。雨の中を駅まで走る。9:13特急はくたか越後湯沢行きに乗る。駅の弁当売場で富山名物のます寿司弁当を買う。袋から出すと写真左上のような竹片4本とゴムで固定された弁当が出てきた。ワクワクしながらふたを開け笹の葉を開いていく。すると右上の写真のようなきれいなます寿司が顔を出す。鱒の鮮やかな色でご飯が全く見えない。光輝くます寿司は箸では食べにくいので備え付けのプラスチックのナイフで4等分ぐらいに分けてから箸でほぐしながら食べる。酢飯とますの身の塩分がいい塩梅にからみあい美味しい。まさに名物に旨いものあり。
 特急はくたかは強風の影響でノロノロ運転だ。11時50分ぐらいに越後湯沢駅到着の予定が12時30分ぐらいになるという車内放送あり。
 犀潟という駅を過ぎると、JR北陸本線から第三セクターのほくほく線に入る。ほくほく線とはなんと温かみのある親しみやすいネーミングではないか。豪雪地帯である新潟県六日町を起点として大河・信濃川を渡る全長59.5kmの鉄道だという。もともとは北陸北線だったらしい。だからほくほく線か。六日町駅を過ぎると上越線に乗り入れ、越後湯沢駅で上越新幹線に接続となる。
 越後湯沢駅で温泉に入って行こう。越後湯沢駅近くにはいくつか温泉がある。なんと駅構内にも温泉があるのだ。雨が降ってなければ少し歩いた所にある「駒子の湯」に行きたかった。川端康成「雪国」にちなんだ温泉施設であり、「雪国」資料館もあるという。
 高校時代に読んだ「雪国」はちっとも面白いとおもわなかった。その後で映画も見た。やはりあまり面白くなかった。今読んだら、映画を見たら面白いと思うのだろうか。駅構内に駒子の人形(右)が飾ってあった。
 駅構内にあるポン酒館。ここはいわば日本酒のミュージアムであり、利き酒、レストラン、お土産、そして酒温泉があるのだ。フェイスタオルとバスタオル付き800円を払い、今日2度目の入浴である(1度目はホテルの大浴場)。ほんのりと日本酒の香りがただよい、ああ、いい気分、リラックスできる。
 14:04MAXとき324号に乗る。東北新幹線では昨年から見られなくなった2階建て車両、形式名ではE4型と言われる、黄色いラインの入った新幹線だ。通常は8両編成で走るが時々8両編成が連結され16両編成となる。MAXとき324号がまさにそれ。世界最大級の乗客数を誇る新幹線である。
 50分ぐらいで大宮着。15:05のやまびこに乗り17:45に新花巻駅着。ジャージに着替え、19:00~スポーツクラブ卓球班の活動に参加する。
 結局今日は1日中新幹線と特急に乗っていたようなもの。用もなく金沢まで行ってきた。これも内田百閒の言う、「阿房列車の旅と」と言ってよいのかもしれない。
 大人の休日倶楽部パスはJR東日本とJR西日本の北陸、金沢まで有効なのだ。有効区間の西の端まで行ってきたことになる。パスは明日も1日使えるが、明日は高校訪問。早めに終えて青森まで行って郷土料理でも食ってこようか。 
   
2013年11月27日(水) N村氏と東京都美術館へ その後 金沢へ 
 朝の散歩も東京ミッドタウン。昨夜の見事なイルミネーションの配線を見ながら散策する。ジョギングや散策をしている人も多い。40分ほどでホテルに 戻り朝食を取る。さすがにアジア会館。レストラン内はハングル語、中国語、インドネシア語などが飛び交う。日本人は我々グループだけのようだ。
 9:20頃チェックアウト。東京メトロ千代田線・乃木坂駅から日比谷駅へ。地上に出て少し歩きJR有楽町駅で山手線に乗り換える。20分ぐらいで上野駅。公園口を出て10分ほど歩き、東京都美術館。ここで横浜在住のN村先生と落ち合う。横浜からわざわざ上野まで来てくれた。
 久しぶりです、N村先生。今年2月息子さんの結婚披露宴以来ですね。そうですか、横浜に来てもう丸4年も経つのですね。老人クラブでは若葉台文化サロンを主宰し時々は講師も務めるんですね。卓球、麻雀、グランドゴルフ、詩吟を楽しみ、健康のためにスポーツジムに通い水泳やヨガ、エアロビクスをする。ハワイアン・フラガールズの専属歌手もですね。毎日毎日忙しく活動し、元気そうで何よりです。
 都美術館では全日展の展示会を鑑賞する。N村先生の友人であり、私も少しだけ知り合いのT野先生の書も展示されてある。2点あったがその1点が左の写真の書。東日本大震災の惨状と地震・津波での想いを綴った文字を書としてまとめ上げた入賞作品である。
 上野駅近くの蕎麦屋で昼食をいっしょに取る。ビールで乾杯し、積もる話に時間の経つのは速い。1時間ほどお互い旧交を温めその後、上野駅付近で別れる。北松園の忘年会に行けたら行きます。N村先生の近況についても話してきますので。
 12:38上越新幹線とき323号に乗る。浦佐から越後湯沢を過ぎ長岡までの1時間ぐらいはほとんどトンネルだった。”国境の長いトンネル”は本当に長かった。ネットに全く繋がらない時間である。
 金沢に続く北陸本線に出るには越後湯沢から特急はくたかに乗って直通、2時間半で行けるのだが、残念、とき323号は越後湯沢には停まらない。次の長岡で降りることにした。長岡は花火王国であり駅前には大きな打上げ花火の筒が2本飾ってあった。長岡はまた、昔の総理・田中角栄の地盤でもあったという。
 長岡から14:58、快速くびき野2号に乗る。快速くびき野2号は左の写真、昔の国鉄のイメージの濃い特急電車だった。東北本線も走っていたのかな。胴体の記号を見ると、モハ484-1021と書いてあった。
 車内でアイパッドから金沢駅前のセントラルホテルを予約する。ネット予約で安い、さらにベストリザーブに貯まっていたポイントを使い、とても安く予約した。約1時間で直江津だ。
 直江津は上越市にある。上越教育大学のある市だ。駅はJR東日本と西日本の境界にあるという。「本日もJRをご利用いただきありがとうございます」。なるほど東や西を入れない、JRだけ。駅構内にはあちこちに「2015年北陸新幹線開業」を祝う幟が立っていた。
 16:29、直江津で特急はくたか16号(写真右)に乗る。糸魚川、魚津、富山、高岡と停車し、18:17金沢駅に着く。大きな駅であり、駅チカ、駅ナカ飲食店街もあるが、驚いたことに自動改札機が設置されていない。駅員さんが3人ぐらいで切符を回収したり、切符に出札印を押印している。長岡でも、直江津でも自動改札口だったが、なぜか金沢駅に自動改札機がない。切符を持ったまま自動改札口を探していたら有人改札口の駅員さんがどうぞと手招きしてくれた。
 東口付近の待合室の写真が右の写真。一人しか座れない腰かけ、スペースの割には数が少なすぎる。座っている人の前後にスペースが広くあるが、誰もそこに行って立ちたいとは思わないだろう。みんな一斉に同方向を向いて座っている様はシュール感がある。
 構内を出てうろうろしているうちに雨が降り出した。iPhone5sの地図ソフトでセントラルホテルを検索し、順路に従って歩く。駅から4分のはずが遠回りをしたようで10分ぐらいもかかった。
 チェックインの後、ネットのぐるナビなどを見ながら食事場所を決めよう。せっかく金沢に来たのだから、カニとノドグロと、それにます寿司(これは富山の名物)を食べて帰りたい。
 しかし、高い。ズワイガニは1匹は一人分には多すぎる。4分の1のものがあった。足が2.5本、胴体の部分も4分の1メニューだ。一人分だからこれでいいや。ノドグロは高級魚なのだそうだ。半身を焼いたもので1800円。ウマズラというかわいそうなネーミングの魚の刺身も美味しかった。生ビール、立山という酒のヌル癇、それにご飯やみそ汁のセットにした。iPhoneをチェックしながら、行儀悪く一人で取る食事もいいもんだ。
 香林坊までウォーキングしようかと思ったが、雨模様でありそのままホテルに戻った。歩数計を見ると24000歩も歩いていた。歩数計を付けてからのMAX記録である。 
   
東京 
2013年11月26日(火) 大学の東京事務所に出張 東京・泊  
  大人の休日倶楽部パスで東京に行く。新花巻8:38発はやて106号に乗る。乗り換えなしの東京までだから指定席を取った。 
 新花巻の新幹線ホームに高校生の団体がいた。修学旅行のようだ。おや、見覚えのある女子の制服(セーラー服)。非常勤講師を務める学校の生徒たちではないか。2年生にも3クラス教えたし、知っている生徒も多い。よし、驚かせてやろうか。
 わざと生徒や先生方の間を通り抜ける。「えっ、先生も行くのですか?」「うん、東京にね。修学旅行の引率ではないから京都には行かないよ」
 先生方にもあいさつをする。「修学旅行の統導、ご苦労さまです。気を付けて行ってらっしゃい」
 生徒を引率することを岩手では「生徒を統導する」という。統導長は普通学年長(学年主任)が務める。他の先生方は統導教諭と言う。しかし、「統導」という言葉は辞書にない。ワープロで「とうどう」と入力し変換キーを押しても「統導」とは変換されない。他県の先生方には通じない言葉であり、岩手の教育界独特の言葉のようだ。辞書にない言葉がなぜ岩手の、それも教育界だけで使われているのか、今でも不思議である。
 大人の休日倶楽部の初日である。車内はほぼ満席だった。JR東日本と西日本北陸エリアを4日間新幹線等に乗り放題で17000円である。今年はたまたま1泊2日東京事務所への出張日と重なった。せっかくだからあと1泊して来よう。東京モーターショーも見たいし、金沢や新潟にも行きたい。
 東京に11:30頃着。東京メトロ丸ノ内線に移動し、1番線から荻窪行き(あるいは中野富士見行き、新宿行きでもよい)に乗り3駅で国会議事堂前。ここで東京メトロ千代田線に乗り換える。3番ホームで代々木上原行きに乗り2駅で乃木坂だ。3番出口が都合がいい。東京ミッドタウン、六本木ヒルズ方面に出る。会議は2時からだから、まずは昼飯を食おう。
 六本木交差点近くのステーキハウス・アウトバックでランチメニューのサーロインステーキを食べる。ここは1ドリンクのオーダーでなんでも飲み放題となる。だから食前に烏龍茶、食後にホットコーヒーを頼んだ。ステーキはオージー、さらにランチメニューであり安い。烏龍茶はジョッキで、コーヒーも普通のブレンドでアメリカンの容器より大きいカップで出る。烏龍茶もコーヒーもがぶ飲みだ。13時半頃までアイパッドで入力作業を行う。
 14:00~東京事務所でエリア別参事会など。 17:30~懇親会。各県と東京から13人、大田原キャンパス、神奈川の小田原キャンパス、さらに東京事務所の事務方スタッフを入れて20人ほどか。女性は一人もいない。洋食のコース料理。飲み物はワイン(飲み放題?)。オーストラリアの西部、パース産のデヴィルスレイというワインだった。理事長のフェイバリットワインだとか。
 ホテルは赤坂のアジア会館。チェックイン後すぐにiPhone5sに着信あり。新潟県柏崎市のK山氏だった。宮城のF本市のご苦労さん会をやろう。F本氏は来年3月でこの職を辞めるのだそうだ。フロントを出たところで、山形のS藤氏にもバッタリ。蛇の道は蛇ですね、なんて言いながら4人で六本木方面に歩く。
 東京ミッドタウンのイルミネーションを見て行こう。仙台の光のページェントもすごいが、ここのイルミネーションはもっとすごい。宮城のF本氏が言う。一面の光の海、その上を光が動く、と言うよりも、光が飛び回るのだ。色の変化にも目を見張る。あらゆる立木にもイルミネーションが施され、光が上下に揺れる。
 しかし、男4人で見るイルミネーションは絵にならない。飲みに行きましょうや。
 居酒屋に入る。スタッフは、日本人も何人かいたようだが、大半は男性も女性もパキスタン人だという。浅黒い精悍な顔つきの男女が大きな声を張り上げながらきびきびと動き回っていた。ほぼ満席。♪コモエスタ セニョリータ、赤坂の夜はふ~けゆく
    
山形 
2013年10月16日(水) 夕鶴の里資料館・語り部の館を見学 山形県観光物産会館 
 上杉の御湯御殿守(うえすぎのみゆごてんもり)の展示室には見事が甲冑が飾られていた。上杉謙信や武田信玄、直江兼続、伊達正宗などの武将のものの復元甲冑であり、なかなかよくできている。
 旅館の朝食のごはんは山形県の新ブランド米”つや姫”だった。白さやつや、甘みが特徴だと言う。見た目は秋田こまちより粒が小さい、あるいは細いような気がした。もち米のような香りがあって美味しかった。
 なぜかみんな、このつや姫を奥さんに買っていけと、私に言う。旅館の売店を探していた4区長のH切氏が、あった、あったと教えに来てくれた。200グラムパックを2つ買った。つや姫玄米茶というのもあったのでそれも買った。
 台風26号は各地に被害を及ぼしているようだ。遠野はどうなのか。被害が出て災害本部が立ち上がっていたら大変だ。上郷の区長たちはみんな研修旅行だった、ではシャレにならない。朝食後すぐに戻るという意見もあった。自主防災に積極的な区長だった。
 しかし、台風26号は温帯低気圧に変わり三陸沖を北上するという見通しの予報を確認した。予定を一部変更、川西ダリア園(東置賜郡)をパスし、夕鶴の里資料館・語り部の館(南陽市)と山形県観光物産館で昼食後、蔵王お釜をパスして上郷町に戻ることになった。
 夕鶴の里資料館・語り部の館は、民話の里遠野から来た我々にとってはまさに研修にふさわしい場所である。
 まず、映像ホール夕鶴座で民話劇、「鶴女房」を観る。約20分。古文書を基に鶴布山珍蔵寺に伝わる伝説を人形劇風にした映像。鶴の恩返しのパターンと少し違う物語だった。
 常設展示ホールなどを見学し、語り部の館へ。語り部ホールでの口演は男性語り部さんだった。遠野市の語り部さんはだいたい女性だと思うので、かえって新鮮だった。身振り、手振りのジェスチャーと噺家のような語り口に大ウケだった。
 「むが~すあったずもな」(遠野)は、「むがしあったけずまなあ」(山形)。「どんとはれ」(遠野)は、「とうびんと」(山形)。「とうびんと」は漢字で書くと「頭尾と」であり、「最初から最後まで」の意味なのだとか。
 「鶴の恩返し」、「若返りの水」、「大きな箪笥」の3編を口演してくれた。山形弁は遠野弁より分かりやすいのか、語り部さんの世界にすっと入っていけた。男性語り部さんは、遠野の語り部さんに最大級の賛辞を送りながら、謙虚に自己紹介や「民話会ゆうづる」の活動を紹介してくれたが、楽しい人だった。語り部さんのキャラクターは生きるもんだなと思った。
 山形県観光物産会館で新米つや姫5kgがあったので、これも買った。 
   
2013年10月15日(火) 上郷区長研修会で福島と山形を訪れる  上杉の御湯御殿守・泊 
 参加者は区長10名とセンター職員2名。バス座席2座席に1人ずつゆったりと座り、8:00地区センターを予定通りに出発。
 8:30宮守IC。東和までは行かないで江刺田瀬ICで降り一般道へ。107号を走り、9:05頃、北上江釣子ICから東北道に乗る。9:30前沢SAでトイレ休憩。10:30三本木PA(宮城県大崎市)でも休憩。
 福島西インターを降り、福島市荒井のアサヒビール園福島四季の里店で昼食。冷たい蕎麦とうどんのセットメニューだった。ビールが出てくるのかと思ったが水だけ。中ジョッキを別に注文して飲みたいと思ったが、会長なり所長が何も言わず、みんな黙々と蕎麦とうどんを食べる。だったらわざわざアサヒビール園なんかに来なくてもよかったのに。遠野観光との繋がりなのだろうか。
 午後は福島県飯坂町にある中野不動尊を見学する。日本三不動の1つだと言う。入ってすぐの所にとげぬき地蔵があり、みんなで水を掛けたり、たわしでこすったり。何か御利益があるのだそうだ。祈祷殿、大日堂、寂光門などを見学し、洞窟を巡る。洞窟内36カ所に三十六童子が祀られている。ほとんど立ち止まることなく素通りすると、洞窟内全部回っても5分ぐらいか。迷路のような洞窟だが迷子になることもなく表に出てこられた。
 山形県米沢市に入り、上杉神社を参拝する。遠野観光で作成したガイドブックには、上杉謙信の没年が、大正6年年3月13日となっていた。じゃあ、没後まだ100年にもなってないのか。おかしいな。というか、上杉謙信って明治、大正時代の人物だったのか
 いくら歴史オンチのオレでも、そんなわけないよな、と思い、アイフォーンで検索してみると、天正6年(1578年)だった。上に1本棒が足りなかったようだ。
 上杉神社はこじんまりとした神社だった。”おしょうしなガイド”さんの説明を聞く。上杉謙信は女だった?あるいはオカマだった?そんな伝説もあるという上杉謙信だが、そんなことはない。謙信は実に”義”の男だったのだ。なお、”おしょうしな”とは山形弁で、ありがとうの意味だそうだ。
 16:00高畠ワイナリー(山形県東置賜郡高畠町)へ。製造工場はあっという間に通り抜け、試飲会場へ。おちょこより小さなプラスチックの容器を持ち、いろいろなワインを試飲できるのだ。美味しいと思ったら何杯でも試飲できる。あちこち回っているうちに少し酔ってきた。タダ酒を飲んでは申し訳ないと思い、甘口の白ワインを1本お土産に買った。他のメンバーもいろいろ買っていたようだ。
 17:20山形県南陽市赤湯の温泉旅館・上杉の御湯御殿守にチェックイン。創業370余年の伝統を誇る老舗旅館で、上杉家の別荘だったのだとか。 
  
横手 
2013年9月20日(金) 横手ふるさと村で見たAKBとは 
 一昨日のこと。横手市のふるさと村の駐車場に、胴体に”AKB”と描かれたバスが入って来た。おっ、AKB48のメンバーが東京から来たのか。そう思って我々もそのバスの乗降口の見える駐車スペースに車を停めた。AKB48のメンバーが降りて来るのか!そして、バスのとびらが開いた。ワクワク。。
 しかし、降りてきたのは、なんと、爺さん婆さんたちだ。年取ったAKB48か?
 バスの胴体をもう一度見た。たしかにAKBと描いてある。しかし”48”は描かれてない。その代りに、その下の方に、”秋田北観光バス”。なるほどAKBとなる。紛らわしくなることを期待したのか、AKB48以前からあるバス会社なのかは不明だが、AKB48を期待した我々は大笑い。
 どこかの施設に、「あきた自慢こ十二か条」というのが張ってあった。その一番目に、「秋田美人、これがほんとのAKB」というのがあった。これも確かにAKB。
 大きなポスターにはキャッチフレーズ、「あきたびじょん」とあり、「よ」が他の文字より極端に小さくなっており、遠目には「あきたびじん」、近くで見ると「あきたびじょん」になる。ビジョンと美人か。これもいいねえ。
 「しっかりあいさつ秋田っこ学力・体力日本一」。そう、なぜか秋田は学力テストで全国トップの成績となる。隣の岩手は教科や学年によっては最下位グループというのに、なぜ秋田はこんな学力が高いのだろう。
 横手ふるさと村の駐車場は広い。こんなに広大な駐車場が必要なのか、ここは飛行場かと思われるほど広い。施設はふるさと村の他に隣接して横手近代美術館とワンダーランドがある。3つの施設に来る観光客用としても広すぎる駐車場だ。  
 
2013年9月18日(水) 横手市内観光  横手焼きそばを食った 横手は牛タンにも力を入れている 
 10:00~横手にも城があるとは知らなかった。横手公園内の急な坂を上り、見晴らしのいいところに立っているのが横手城だ。
 実はこれ、昭和の時代に建てられた模擬の天守閣であるという。最上階(4階か5階?)は展望台になっていてれぞれの階は資料館になっている。歴史などの城関係の他、十文字和紙やアケビのツル細工などが展示されている。ウィークデーであり、客は我々の他は誰もいない。
 横手公園は岩手公園のような城址公園である。本丸や二の丸跡、内堀跡が残っている。敵兵が滑ってよじ登れないようにするため斜面にはニラが栽培されていたそうだ。そのため韮城(にらじょう)とも呼ばれていたという。資料館の中のクイズで覚えた。
 横手城の入場料は大人がたったの100円だった。4片が切り取られるようになっており、この券1枚で石坂洋次郎文学記念館、後三年の役金沢資料館、ふれあいセンターかまくら館も見ることができる。この料金の安さにびっくり。横手市は太っ腹だ。1day1coin4public facilities(公共施設)、というわけだ。 
 10:40~石坂洋次郎記念館。石坂洋次郎は早稲田大学卒業後13年間、ここ横手で教員生活を送った。横手高等女学校(現在の横手城南高校)、横手中学校(現在の横手高校)。「若い人」はこの地で創作されたものだ。女学校時代の洋次郎はモテたという。しかし、洋次郎21歳の時、17歳の弘前出身のうらと結婚していた。当時のあだなは”よが”。よがとは夜蚊。蚊の鳴くような弱弱しい声で話したからだとか。
 「青い山脈」、「陽のあたる坂道」、「光る海」など、昔の日活のポスターが懐かしい。。映画は何本か見たが、原作を読んだのは、高校時代に「青い山脈」を読んだだけだ。10分ほどのビデオも見て30分ぐらいも中に居た
 11:30~ふれあいセンターかまくら館。本物のかまくらを常時マイナス10℃ほどで保っている。中に入ると、もちろん寒い!かぶりものやちゃんちゃんこも用意されており、「かまくら」体験。かまくら館は単にかまくらを常設するだけではない。コンサートホール、市民広場、サンルーム、物産ショップなどを併せ持つ複合施設であった。さすが人口10万(やや10万を割る)、秋田市に次ぐ秋田県第2の街である。
 12:00~よこて焼きそばを食う。やきそば四天王のポスターにつられて、かまくら館近くの出端屋(いではや)に入る。目玉焼きと紅ショウガののった横手やきそばは特別に美味しいとは思わなかったが、横手に来たならだれもが食べてみるだろう。中盛り、普通盛り、大盛りの3種類あったが、普通盛りでもたっぷりの量だった。
 13:00~ワンダーランド。目の錯覚を利用した部屋が面白い。身長が大きくなったり縮んだり。
 13:30~横手近代美術館ジパング店を鑑賞。見ごたえあり。会田誠の作品もあった。女子学生やおにぎりマンなど。
 14:00~横手ふるさと村でおみやげなどを買う。卓球仲間に秋田の日本酒をおみやげに買う。
 15:00~横手ICから秋田道に乗り遠野に向かう。
 15:30~錦秋湖SAで休憩。温泉もあるSAであるが、温泉には入らない。
 16:30~花巻PAで時間調整。17:00を過ぎてから料金所を出れば高速料金は半額になる。
 17:01~ETC半額時間帯に入り料金所通過。
 18:00頃、上郷着。  
 
2013年9月17日(火) 秋田県横手市へ 
 温泉に入りに行こう。予約してあるのは横手駅前温泉ゆうゆうプラザというホテルだ。その名のとおり、横手駅前にある温泉のようだが、まるで昔の森繁久弥の映画の題名みたいな温泉だ。隣接する姉妹館ホテルアネックスの展望大浴場(無料)や岩盤浴(有料)も利用できるという。夕食は横手和牛すきやきコースで申し込んだ。
 今週は大学も高校も自治会、法務局関係その他の仕事がぽかっと何もない週である。金曜日は非常勤講師の曜日だが、期末休業日で授業はなし。自治会報を作成し市からの文書と一緒に16人の班長宅に配付するぐらいだ。来週は火・水曜日は1泊で大学出向日、木曜日は高校訪問、金曜日は非常勤講師の授業も入る。21日、22日は遠野祭りだ。”温泉いつ行く?、今でしょう!”というわけだ。
 鱒沢から釜石道路に乗り、花巻JCTで東北道、北上JCTから秋田道に入る。横手ICで降りて10分ぐらいで横手駅前温泉ゆうゆうプラザに到着する。上郷から2時間で着いた。距離はおよそ130キロ。さあ、あとは温泉に入り、ビールなどを飲んでごろごろしよう。  
 
 
広島 岩国
2013年8月12日(月) 広島→遠野市 
 午前中に平和公園と原爆ドームを見学する。今日も暑い。
 午後1時08分の新幹線に乗ることになっているので、車は12時頃に駅周辺の駐車場に取りに来てもらうことになっている。カーナビの駐車場検索で探すが、満車や一方通行もありなかなかすぐには見つからない。
 車線変更を余儀なくされたり、タクシーを除く進入禁止を見落とし対向車から注意されたり、後ろから激しく警笛を鳴らされたり、路面電車と接触しそうになったり(これはウソ)。。同乗者は怖かったかもしれない。ゴメン。
 広島駅北口前にあるシェラトンホテルに隣接する駐車場が空いていた。そこになんとか無事に入れることができた。3日間車があるお蔭で助かった。広島も岩国も、今治も日中は35度を超える暑さである。10分も歩いていると汗びっしょりになる。車があると楽だった。Oさん、ありがとうございます。 
    
2013年8月11日(日) しまなみ海道をドライブする 広島から今治へ 
 車は3日間貸してもらえるのだという。だったら、予定変更だ。今日は広島から岡山方面に走り、尾道からしまなみ海道に乗ろう。瀬戸内海に架かる巨大な橋を渡り、島々と海の景色を楽しんでこよう。四国の愛媛県今治市に渡り、すぐUターンをし帰ってくるだけ。途中のサービスエリアなどで景色を写真に収めよう。
 9:00にホテルを出発し、カーナビに従い車を走らせる。途中、カーナビが一般道優先に設定されていることに気付き設定変更。少し戻るが、河内インターから山陽道に乗る。40分ほどで尾道インターを降りる。
 しまなみ海道は60キロほどの高速道路であるが、ガソリンスタンドはないそうだ。国道2号線のSSでガソリンを満タンにする。
 一般道からしまなみ海道に入るインターが分からない。カーナビは着いているがそもそもしまなみ海道インターの名前が分からない。「しまなみインター」では出てこない。適当に「しまなみ」の付く施設(しまなみ交流館など)を入力して走り、何度かインターとは関係ない方に走ってしまった。
 しばらくあっちへ行ったりこっちに来たり。ローソンで缶コーヒーなどを買い、店員さんからていねいにインター入り口を教えてもらった。インター名は西瀬戸尾道インターだった。 
    
2013年8月10日(土) 錦帯橋、宮島、マツダスタジアム広島対巨人戦  
 知人から車を貸してもらい、山口県岩国市までドライブする。甲子園には岩国商業高校が出場し、試合は明日予定されている。応援看板あり。瀬戸内海を左に見ながら、岩国まで1時間ほど。やがて錦帯橋(きんたいきょう)に到着する。
  岩国市の錦帯橋は木製の5連アーチ橋。岩国市のシンボルであり、世界遺産を目指している名橋であるという。川原の駐車場に車を置き、照りつける太陽を浴びながら橋を渡る。
  橋の向こう側は吉香(きっこう)公園。ソフトクリームの種類が300種類、TV「何コレ珍百景」でも紹介されたという佐々木小次郎商店。300円のソフトクリームは量は少なく、ちょっと高いんでないの。ちなみにセブンイレブンのバニラソフトクリームは120円。
  錦帯橋は吉川英治の小説よると佐々木小次郎が燕返しを編み出したところだという。同じようにソフトクリームを販売する武蔵屋という店もあった。2人とも山口県岩国市ゆかりの剣豪なのだろうか。
 
午後から宮島にフェリーで渡る。少し歩き洋風居酒屋で小休止。そこを出たところで人力車に乗ることになった。居酒屋も人力車のお兄さんも娘の仲間たちだった。サプライズ。
 そこから鳥居、厳島神社、五重塔、名前は忘れたお寺などを巡る。暑い中を歩く必要もないので、車夫さんには申し訳ないが楽をさせてもらった。
 またフェリーで宮島口に戻り、借りている車でマツダスタジアムに行く。7:00頃にスタジアムに入る。入場券は内野自由席。ほぼ満席だったが、最上段に近いところに何とか空席を見つけて座る。
 すでに巨人が4-0とリードしている。広島の反撃はあるのか。 
   
2013年8月9日(金) 広島へ 秋田や岩手県北部は豪雨で被害者も出た 
 秋田県では、「これまでに経験したことのないような大雨となっているところがある」だって。後で岩手県にも同じような警戒情報が出された。大雨・土砂災害、雷と竜巻に関する情報も。新幹線は普通に動いてくれるのか。
 午後1時。遠野市、花巻市はあんなに土砂降りだったのに、奥州市はからりと晴れ上がっている。車を水沢江刺駅周辺の駐車場(無料)に置き、キャリーバッグを引き駅舎まで歩く。あの豪雨の中なら大変だった。
 13:38水沢江刺駅やまびこ58号に乗る。仙台ではやて34号に乗り換え東京16:06着。東京で16:30のぞみ49号に乗り換え、広島20:35着。駅前から広島電鉄の路面電車(ロデン)に乗り、立町電停で降りる。徒歩1分でホテルだ。
 ホテルのテレビで知ったが、花巻市では豪雨による死者や行方不明者が出たという。
 遅い夕食をホテル近くのレストランで取る。 
 
小田原 熱海 
2013年4月18日(木) 小田原→熱海→遠野  
  朝の散歩はたっぷり1時間かけた。ホテルを出て左方向に歩くと、すぐに小田原城お堀端通りとなる(写真左)。並木道になっており、散歩やジョギングをしている人もいる。ナイス・コースだ。
 小田原城址公園へと続く通用門が2ヶ所にあったが、小田原城へは帰りに寄ろう。まずは御幸が浜(相模湾)に行ってみよう。
 お堀端通りを過ぎ、さらに5分ほど歩き、バイパスになっている高架橋道路をくぐると、広大な御幸が浜が目の前に悠然と広がる。マップには海水浴場と書いてあるが、急に深くなる海岸で、何年か前からは遊泳禁止になったという。ホテルのフロントの男性が話してくれた。
 海に行くと、否が応でも3・11の大震災を思い出す。今ここで大地震に襲われたら、大津波が襲ってきたら、と考える。どこに逃げようか。3・11のような大津波なら逃げるところはない。高い位置にあるバイパスだが、このぐらいの高さではあの時の津波なら簡単に超えてくるだろう。とにかく一目散に小田原城に逃げるしかないのか。「津波に注意」という看板があったが、どこに逃げるかは書いてなかった。
 御幸が浜の帰り道、小田原城址公園へと歩を進める。2010年3月にも来たから、ここは2度目だ。あの時は夜だった。桜はまだ咲いてなかった。今回は逆に気持ちのいい朝で、桜はすでに散っていた。
 門や櫓などを見ながら天守閣の下まで行く。時間外で天守閣に登ることはできなかったが、小田原城址内をゆっくりと見学する。オリがあり、中で7~8匹のサルが動き回っていた。
 7時半ころホテルに戻り朝食。普通にレストランもあるホテルなのに、なぜか朝食は袋に入ったサンドイッチ、ポテトサラダなど。コーヒーメーカーから紙コップにコーヒーを注ぎ、それらを部屋に持ち帰って食べて下さい、というスタイル。
 9時半~、小田原駅に隣接して建つ国際医療福祉大学小田原キャンパスを訪問する。保険医療学部に看護科、理学療法学科、作業療法学科の3学科があり、こじんまりした大学である。国家試験の合格率は3学科中2学科が100%であり、事務部長も本校(栃木県大田原キャンパス)を越える成果に満足げであった。
 10:46のJR東海道線普通電車に乗り5駅、熱海に移動する。熱海駅からシャトルバスに乗り熱海病院に。大学に4つもある付属病院のうち、最初に附属病院として設置されたのが、ここ熱海病院である。
 11:30~オーシャンビューの熱海病院レストランVIPルームで昼食。3種類から選んだメニューはハヤシライス。
 12:30~概要説明と院内見学。
 13:30~熱海駅で解散。3年前はここからバスとロープウェイに乗り、熱海城と熱海秘宝館に行き、帰りは途中まで熱海の海岸を散歩した。寛一お宮の銅像とゆかりの松の木あたりまで歩いた。モア美術館に行きたかったが、残念あの日は休館日だった。
 だったら今日こそモア美術館に行こう。山形のS藤氏とバス停に行ってみると、またも美術館休館日の張り紙。アイフォーンで3年前の侍浜日記を見てみるとやはり同じ木曜日だった。木曜日は休館日なのだろう。
 13:58熱海駅からこだまに乗り、約50分で東京。東京で東北新幹線に乗り換える。新幹線車両はE5系のはやぶさ車両だった。もちろん窓側座席の下の方には電源もある。この新幹線は新花巻には停まらないから仙台でやまびこに乗り換える。
 18:40頃に新花巻駅。洋服のAOYAMAに行きスーツなどを受取る。
 8:00頃、遠野市民センターで1時間ほど卓球。ワイシャツ姿で靴下をはいたまま遊んだ。自分のラケットではない、クラブの安いラケットを使用する。やはりミスが多すぎた。今日は女性のMさんに負けたのをラケットのせいにしよう。 
   
東京
2013年4月17日(水) 東京→小田原(神奈川県) 大学付属病院の見学   
 5:00気象。昨夜は2時頃寝たから睡眠時間は3時間。新幹線の中で寝ていこう。
 5:30に家を出て、新花巻駅で、6:40のやまびこに乗る。
 東京からJR京浜東北線に乗り換え浜松町駅で降りる。少し歩き、東京メトロ大江戸線の大門駅を確認してから、ここで時間調整をしよう。美術館もいいが、今日は世界貿易センタービルディングの展望台、シーサイドトップに行ってみよう。9・11同時多発テロで崩れ落ちたあのワールドトレーディングセンターと同じような名前のビルだ。
 早速チケットを買い、エレベーターで上がる。あっという間にシーサイドトップだ。地上40階、四方がガラス張りで、地上高152m、360度の大パノラマが目の前に広がる。
 東京タワーがすぐ近くに見える。東京スカイツリーも富士山も見えるということだが、どこだろう。右の方に歩いていくと、おっ、東京スカイツリーが見えた。東京タワーよりずっと遠くにあるから小さく見えるだけ。それに曇り空だからぼんやりと見える。富士山は見えなかった。
 大江戸線大門駅から六本木方向に一駅、赤羽橋駅で降りる。信号を渡り、首都高速をくぐると、大きな看板が見える。国際医療福祉大学三田病院である。駅で会った他県の仲間と11階の三田ホールに向かう。三田ホールからも東京タワーがそびえている。さっき見たのよりさらに目の前だから大きい。写真右が三田病院11階から見える東京タワー。
 病院が用意してくれた昼食を食べ、13時までの空き時間に散歩がてらに東京タワーの足元に行ってみよう。芝公園まで10分ほど。しかし、入り口が分からない。どこから入れば東京タワーの足元に行けるのだろう。すぐ近くにそびえたつ東京タワーをみながらうろうろ。結局、時間も押してきて、そのまま引き返すことになる。
 13:00~事務部長から病院の概要を説明され、そのあと見学。最上階の病室は1日12万円だという。有名人ではみのもんたも入院したと言っていた。
 次に、東京メトロで移動し、青山一丁目で降りる。国際医療福祉大学山王病院まで歩き、視察。ここは山口百恵が出産したり、亡くなったキャンディーズのメンバーが入院していた病院でもある。最上階の個室は1日13万5千円とか。さすがにセレブ病院である。
 15:30~山王メディカルセンターも見学し、その後は移動。銀座線で東京に戻り、東海道新幹線でこだまに乗り、小田原へ。駅前のホテルにチェックインした後、みんなで居酒屋で食事。小田原キャンパスの職員を含めて25名ほどか。飲み放題だったようで、ビールや酒、焼酎など、皆さん、というか、特に我々栃木県大田原市関係の職員はみな酔っ払っていたようだ。
 新潟のK山さんと、大田原キャンパスの室長らと二次会へ。たまたま入ったスナックはなんと女性が全員フィリピ―ナ。1時間1人3000円ということだったが、カラオケなどは別で、当然3000円で済むわけないよな。
 そしてラーメン屋さん。これで宴会のささやかなフルコース終了。ホテルに着いたのは何時頃だったろう。たぶん11時頃。長い1日だった。 
   
2013年3月17日(日) 一昨日のこと 皇居ジョギングと靖国神社
 3月15日(金)のこと。
 福岡会館は皇居ランナーにとっては最適のホテルだ。内堀通りに面しており、英国大使館や桜の名所、千鳥ヶ淵公園前にも近い。ホテルを出て道路を渡ればすぐ皇居一周ランニング・コースだ。
 コースと言っても普通の散歩道だからウォーキングをしている人も多い。1周は約5キロ、大都会の景色を眺め、桜田門や半蔵門、英国大使館、東京国立美術館など、歴史と文化を感じながら走ったり歩いたりできる。
 桜の名所、千鳥ヶ渕公園内も通るが、残念ながら桜見物には1週間ほど早いようだ。それでも彼岸桜や山桜が所どころに咲いており、足を休め、アイフォーンで撮ったりしながらジョギングした。右上の桜はたぶん寒桜。
 コースに信号はないからノンストップで走れる。ノンストップで走っても5キロを、私の場合は、ゆっくりだから30分もかかる。写真をとったり景色を眺めたりした1周目は40分ほどかかった。
 2週目はノンストップで30分を目指すも、トイレ休憩やら水分補給、さらに北の丸公園へとコースを少し変えたりして、結局また40分もかかってしまった。8時40分頃にホテルに戻る。急いで着替えて朝食。朝食時間は9時までだから忙しい。
 10時にチェックアウトし、ホテルからまっすぐ左方向に15分ほど歩くと、突き当りが靖国神社である。政治的、宗教的意味合いは全くないが、せっかく来たのだからお参りしていこう。おさい銭をあげ、二礼二拍手一礼の指示に従って手を叩く。拍手の響きは心の響きだそうだ。あまりいい響きではなかった。
 団体の参拝客が来たのですぐに移動する。
 売店があり、日の丸の国旗セットを販売していた。K藤が言っていたとおり1500円だった。国民の祝日に玄関に飾れるようなポール、金玉(キンギョク)、金具も付いている。これも全く政治的、宗教的意味合いはないが、お土産に3セットを買う。
 ベンチで少し休んでいると人だかりがある。行ってみるとテレビ局や新聞社の腕章やカメラを持った人たちが桜の木を見上げながら何やら話している。
 見に行くと、桜の木には「標本木」の札が下げてある。気象庁がこの桜の木の開花を確認したら、東京都の桜の開花宣言を出すのだようだ。よく見ると、ちょぼちょぼと桜が咲いているようだ。TBS昼おびレポーターの話しを聞いていると、今日の午後にも開花宣言かと言っていた。
 12時半、待ち合せの六本木交差点でK藤とK野さんと落ち合う。近くのアウトバックというステーキ屋さんでランチを取る。K野さんには初めて会うが、何度かメール交換をしており、すぐに打ち解けた。高橋克彦原作で、K野さんが脚本・制作、K藤がプロデュースした、「緋い記憶~地図にない家~」のDVDをもらう。
      
2013年3月16日(土) 一昨日観た「会田誠展 天才でごめんなさい」について 
 3月14日(木)のこと。
 児童ポルノとか児童虐待だと物議を醸しだしているのが「会田誠展 天才でごめんなさい」だ。これは六本木ヒルズ53階にある森美術館で開催中だ。ある市民団体が、作品「犬シリーズ」などの即・撤去を求めて運動を起こしている。
 森美術館は国立新美術館から歩いて10分ほどで行ける。六本木にはもう一つ大きな美術館、サントリー美術館(東京ミッドタウン)がある。どれか1館の半券で他の2館が割引になる相互割引期間中で、国立新美術館の半券で森美術館1500円の入場料が200円割引の1300円だった。
 なお、サントリー美術館の企画展は歌舞伎展。「芸の肥やし」とか言いながら人の道を普通に踏み外す男社会の梨園には反感を覚えるから、サントリー美術館歌舞伎展はパスだ。
 さて、問題の会田誠展。このポスターに描かれるスクール水着の女子にある種の人間は興奮するのだそうだ。だからこれも児童ポルノだと騒いでいる。いやらしさは感じないし、美的に納得できる作品だと思うが。
 館内でなぜか写真撮ってもいいという唯一の作品がが右上の「考えない人」。黄金色のモノに座っているのではない。これは何だ?
 悪ふざけのようだが、これが面白い。ビン・ラディンの格好をし炬燵で日本酒を飲みながらたどたどしく日本語をしゃべるのも会田誠自身だ。松の盆栽かと思ってよく見ると、枝や幹の部分は人体オブジェ、松ぼっくりは子どもの顔だったり。
 K藤が、「なかったね」という「あぜ道」(左下)という作品は、ネット情報によると、作品保護のため撤去しているということだった。女子学生の頭髪の分け目があぜ道に繋がる、これも面白しい作品。残念ながら観ることはできなかった。
 そして、公共の美術館には珍しい、「18禁」の部屋。出入り口はカーテンで仕切られ、昔ストリップ小屋に入った時のような、何やら妖しい雰囲気が漂う。
 入ってみると、まず犬シリーズだ。四肢切断の美少女が犬のように首輪とくさりで繋がれている絵だ。美少女は微笑んでいる。切断された四肢には包帯が巻かれ、血のようなものが浮かび上がっているものもある。なるほど、これは児童虐待を思わせる絵と言えよう。しかし、芸術としての絵に対して虐待だと言われても作者は困惑するだろう。
 さらに進むと、大きなキャンバスに描かれた少女とタコの絡み図。これはポルノなのか。浮世絵を題材にした作品だと言う。
 そして、悪ふざけの自動自殺未遂器。使い方を映像で見るのだが、これは笑える。また、秘宝館にあるような物体も飾ってある。何だ、これは!まあ、確かに親子で楽しむ展示物ではないな。
 会田誠はまさしく天才だ。全裸の美少女たちが描かれる巨大画では、やはり手足が切断されたり、首が飛び散ったり、これも残酷だと言われる絵であろうが、美少女たちの顔がきれいに描かれており、残虐性は感じられない。
 マンガから戦争画、美少女モノ、のたうち回るサラリーマンの死体で描かれる「灰色の山」や、少女たちが回されている「ジューサーミキサー」など、よくもまあ、こんな絵を描こうと思いつくものだ。やはり天才だ。
 18時頃~、K藤推奨の店、六本木のフグ専門店でフグコース料理を食べる。生ビールの他にヒレ酒2杯を飲んだ。
 帰り道、東京タワーがきれいにライトアップされていた。K藤が車道にはみ出しながら(決死のシャッター)撮ってくれたのが右の写真。スカイツリーではなく、今夜は六本木からの東京タワーなのだ。何種類かあるライトアップのうち、ネット情報によると、この夜はダイヤモンド・ヴェールのホワイト。きれいだった。  
   
2013年3月15日(金) 昨日観た国立新美術館、「アーティスト・ファイル2013―現代の作家たち」展について
 3月14日(木)のこと。
 国立新美術館は黒川紀章設計。久慈市のアンバーホールも氏の設計によるものであり、波打つ外観とコーン型のエントランスなど、規模は全く違うが、両者に共通点が見られる。最初は手抜きかと思ったが、コーンは黒川氏の建築物によく見られるパターンだという。
 企画展として、「アーティスト・ファイル2013―現代の作家たち」展を開催中だった。8人の作家(日本人5、海外3人)の現代アートの個展を鑑賞しようではないか。
 最初の部屋は、韓国のチョン・ヨンドゥの作品が展示されている。作品の横には子どもが描いた稚拙な絵もあり、それをもとに制作したファンタジックな写真が展示されている。現実の世界か虚構の世界なのか。ちょっと普通とは違う、奇妙な絵が多い。右の写真は「白雪姫」という作品。
 中澤英明の描く子どもの顔は頭でっかちであまりかわいいとは言えない。どの子の目も同じようで印象的だ。吸い込まれそうな目で正面を見つめる子どもたち。ただそれだけ、その子どもたちの顔が四方の壁に展示される。テンペラ技法による制作だというが、テンペラ技法って何だ?油で揚げるのか。
 國安孝昌の、大小の丸太や積木のような陶片を無数に積み上げたインスタレーションにはたまげた。崩れ落ちないのか。要所は紐で縛ってもいるようだが、計算された組合せの妙により、ある種のリズムも感じられ、丸太が大空間で自己主張をしているようだ。果たしてこれが芸術なのか。
 「これが芸術なのか」と言えば、利部志穂の作品もそう言える。廃材や紙切れや段ボール、紐などが、上からつるされたり、フロアにただ置かれたり。通路にまではみ出して、いちいちスタッフが客に注意を促す。統一性も美しさも精緻さも感じられない世界だ。これが芸術なのか。姓の利部はカガブと読む。秋田在住の同じ姓の知人がいるが、知らないと読めない姓である。足利をアシカガと読む。だから利部はカガブなのだ。
 インドのナリニ・マラニの作品は混沌の世界。暴力的なタッチの絵は、いったい何を描いているのだろう。夢の世界か、宗教観か。巨大な回り灯篭みたいな物体が周囲に絵を投影し、さらに四方八方からの映像も写し出される。わけの分からない音響と相まって、これも巨大なインスタレーション。椅子に座ってせわしなく動く影絵をしばし見上げていた。
 ダレン・アーモンド(ロンドン在住)の写真は月の光だけで撮った幻想的な写真。うん、これはまぎれもなく芸術的で美しい写真だ。
 東亭順はシーツの汚れ(おしっこなどと説明文にあり)を模様化するなど、奇想天外な絵画表現で鑑賞者を驚かせる。おしっこの染み、これも芸術なのか。
 志賀理江子(宮城県在住)の写真はどれも畳1枚分ぐらい(あるいはそれ以上)はある。それが木の枠に張り付けられている。いったい印刷の費用はいくらぐらい?などとK藤に聞いてみる。多額の金がかかってるのだろう。