函館市、札幌市 |
2015年10月7日(水) 函館市内を訪問 函館→遠野 |
朝の散歩は函館朝市を見に行く。買う予定はない。毛ガニや、イクラ、ウニ、イカ、牡蠣など、新鮮なモノが並んでいるが高い。釜石や宮古でもそれなりの料金を払えば買えるモノである。こっちの方が高そうだ。 戻ってきてホテルの朝食。バイキングでイカ刺しやイクラなども出ている(他のホテルのように取り放題ではなく小皿に分けられていた)。タラコや塩辛など(こちらは取り放題)といっしょにご飯の上に乗せ、ミニ海鮮丼として食べた。朝食としての海鮮丼ならこれで十分である。 9時チェックアウト。駅レンタカー函館営業所に行き、レンタカーを借りる。出張経費節約のため軽自動車を予約していたが、用意されていたのはヴィッツだった。「軽の料金でSクラスに変更させていただきました」と言われる。少しでも余裕ある車の方がいいことはいいが、別に軽でもかまわなかった。 函館市内は路面電車が走る。昨年は信号の見方が分からず、黄色の矢印信号を見て左折したところ、電車がヴォーンと警笛を鳴らしながら後ろから左折してきた。後で分かったことだが、黄色の矢印は電車用だった(自動車用の矢印は緑色)。また赤色の×信号もあるがこれは「電車は停止、前方を車が通るよ」の意味だった。今回は事前にチェックしていたから大丈夫だ。 電車の軌道に沿って(つまり電車と並行して)走りたくないが、そうもいかない。電車の左側は1車線のようだが、ちょっと広くなるとラインは引いてないが2車線になるのか、タクシーなど平気で並走したり追い越したりする。左車線なら電車と接触する心配はないが、右側だと線路からどれくらい離れて走ればいいのかよく分からない。右後方から電車が追いついてくる時など、少しあせった。 函館西高校は北島三郎の母校だ。いや、正確には母校とは言えないのかも。と言うのは入学はしているが、卒業していないという話だ。見晴らしのよい坂を上っていき、さらに鋭角にカーブを回り学校へと登って行く。 湯の川では函館北斗とラ・サール高校、そして杉並町、五稜郭方面へと車を走らせる。この辺りは高校が集中している。遺愛女子、大妻女子、函館、函館中部、柏陵高校など、移動時間が少なて済むから訪問校数は稼げる。 午後に、市内からは遠い函館陵北高校、そして少し下がり、函館白百合学園、函館大谷などの各校を巡り、3時にJR函館駅横の駅レンタカーに車を返す。15:56スーパー白鳥までまだ時間あある。駅前のロジワールホテルのロビーでビールを飲みながらタブレットを開く。訪問記録の入力を30分ほど行う。 ホテルと隣接するお土産屋さんでロイズの生チョコ4箱と、定番であるが白い恋人を2箱買う。発車時刻の5分ほど前にスーパー白鳥に乗り込む。自由席はがら空きだった。アイフォーンでメールを開き、大学広報室にメール。4日間の北海道訪問が無事に終了しました。 |
2015年10月6日(火) 午前中札幌、午後から函館へ 函館山など 函館・泊 |
![]() 9時頃チェックアウトする。今日は午前中だけの訪問である。レンタカーは12時までに返すことになっている。だから今日は札幌駅から遠くない高校を4校ほど予定していた。しかし、どうしても訪問する必要のある高校が昨日振替え休日だった。だから今日再びそこを訪問する。北区新川にある札幌国際情報高校だ。札幌駅付近から車で40分ほどもかかる。 10時頃に着き、15分ほどの訪問の後、何を考えたか中央区の高校にすればよいものを、南区にある高校の電話番号をカーナビにインプットしていた。 11時頃に着いた。これではあと1校の訪問で終わりだ。12時前にJR駅レンタカーまで戻れないかも知れない。まあいいか。札幌駅まで車で何分ぐらいかかるか訪問校の先生に聞いてみた。「順調に行けば25分ぐらいでしょう」という。近くの高校も教えてもらった。資料だけでも配布させてもらおう。 札幌駅近くのスタンドで給油する。その後駅方面に車を走らせるが、なんか変だ。三車線すべてにこちらに向かう矢印が書いてある。そして警笛が鳴らされた。しまった、ここは一方通行だ。幸いすぐの所に左折できる道路がありそこに侵入、こちらは進入禁止ではなく、ふつうに通れた。危ない、あぶない。 レンタカー会社まで行くに駅前を右折しなければならないが、ここも右折禁止だった。前から車が来ないタイミングなら右折しようと思っていたが、そのうち対向車が来た。これでは右折できない。そのまま直進し、ぐるっと回って12時少し過ぎに無事にレンタカー会社に到着。忘れ物がないか何度もチェックした。座席の下もグローブボックス内もカーゴルームも。絶対忘れ物はない、そう確信して車を返した。事務の女性職員も「忘れ物はありませんか」と念を押され、「ありません」と答えた。しかし、電車に乗ってから気付いた。忘れ物があったのだ。まあ、しようがないかというレベルのもの。忘れたものとは、シガーライトのソケットに差し込んだままのUSB用ポート。 12:13特急スーパー北斗で函館へ。4時頃着いた。ホテルにチェックイン後、歩いてロープウェイ発着所へ。何度も行ったことがあるが、函館山に登ろうか。発着所は中国人でごった返していた。チケットを買うのも一苦労だ。チケット販売窓口に並んでいると、恭しく挨拶されて、「こちらです、どうぞ、どうぞ」と言われた。 「なんだ、なんだ」。けげんな顔をして着いて行くと、「学会に参加の先生ですね」と言われたので、「違いますよ」と答えると、「すみません、すみません」と何度も謝られる。10人ぐらいのスーツ姿のグループが来たのはそのすぐ後だった。 発着所の中、ロープウェイの中、展望台、どこもかしこも中国人だらけだった。このままでは日本は中国人に乗っ取られるのではないかと思った。 |
2015年10月5日(月) 札幌市内 札幌・泊 |
9:30~16:00札幌市内の高校訪問。レンタカーは軽のワゴンR。事前に調べた住所やアクセスを見て、順番は勘を頼りにカーナビに従って走り回った。郊外の、主に北区と手稲区の高校を、思ったよりスムーズに訪問できた。昼食もとらず、昼食時間に南区に移動し、4時頃まで8校を訪問した。 17時頃ホテルにチェックイン。安いビジネスホテルだが、中島公園のすぐ近く、さらに北海道屈指の繁華街、すすきのの近くだった。そしてなぜか隣はラブホテル。 ホテルのインフォメーション。デリバリーサービスとして、ピザやラーメン、寿司など、さらにマッサージ・エステもある。そして、その下に、「なお、当ホテルではデリバリーヘルスの利用を固くお断りしております」とある。 デリバリーヘルス?健康食品でも配達してくれるのか。どうしてそれがNG何だろう。「カマトト」って最近あまり聞かなくなったな。 夕食はすすきのに出かけて、とも考えたが、海鮮居酒屋やカニ本家など、とても高くで大学の経理で認められる金額じゃあ満足なものは食えない。札幌ラーメンだけではさびしいし。 そこでホテルのレストランにタブレット+キーボード+ポケットワイファイを持ち込み、ふつうのセットメニューをオーダー、食べながらキーボードを打ち続けた。1時間半も長居し、本日の分の報告書がだいたい終わった。 寝る前に少しすすきのを散歩でもしてくるか。ホテルから10数分ですすきの通り、狸小路の交差点付近だ。ここでは若い女性や男性がしきりに声を掛けてくる。「~千円飲み放題でいかがですか」とか「カラオケいかがですか」。一番多かったのは、女性たちの「ガールズバー」の連呼だった。呼び込みのグループは全員長いベンチコートを着込んでいた。フードをかぶっている人もいた。さすがに北海道。 どこに行っても、駅でもホテルでも、中国人だらけ。すすきのも中国人が多い。何やら買い物袋をいっぱい下げたグループもいた。交差点付近のネオンサインをバックに記念写真を捕っている家族連れも中国人観光客だった。 |
2015年10月4日(日) 新幹線と特急スーパー北斗などで札幌へ 札幌・泊 |
大人の休日倶楽部パスで3割引きや乗り継ぎ割引などで、札幌までの往復乗車券+特急券が22300円だった。乗り継ぎ割引は新幹線とJR在来線の特急列車を乗り継ぐとき在来線の特急料金が半額になること。あまり知られてないと思う。 新花巻から札幌まで乗り換え3回、約8時間。来年3月は新幹線が函館まで伸びる(札幌までは平成42年)。生きていて札幌まで新幹線に乗れる日がくるのだろうか。まあ、少なくとも来年北海道に来る時は函館まで新幹線で来られるからもっと早く、便利になる。 8:08新花巻でやまびこ97号に乗り、盛岡で8:49はやぶさ1号に乗る。七戸十和田駅で降りたグループがいた。B1グランプリが今日と明日かな、十和田市で開催されるからそれに参加するグループなのだろう。 新青森で10:17、特急スーパー白鳥1号函館行きに乗る。自由席はがら空きだった。ゆっくり文庫本でも読んでいこうと思った。すると、10人ぐらいのオバさんグループがどやどやと入ってきた。「自由席の方がゆっくり座れるわ。指定席車両には行かず、ここでゆっくり座りましょう」と言い、座席を対面になるよう回し始めた。指定席に行けよ、と思うが、指定席券を持っていても自由席に座っても別に文句を言われる筋合いではない。あんまり騒ぐなよ。 スーパー白鳥のトイレの蓋は横に開く。普通は手前から開く。開けようとしても開かなかった。横の張り紙に、「ふたは横に開きます」と書いてある。横に蓋が開く便器を初めて見た。ドアもボタン式だ。手で絞めようとするとかなり力が要る。「閉」ボタンでスムーズに締まる。その後のロックもレバーを回すタイプだった。初めて利用する人はまごつくだろう。ドアが開きっぱなしだったのも、閉ボタンを押し忘れたからだろう。 11:20頃、すーぱー白鳥は海底にもぐる。電車はザブーンと海底にもぐり、北海道でまたザブーンと地表に出てくるのかと思った。ばかばかしい発想である。海底100m下にトンネルを掘るなんて、人間の技はすごいもんだと思う。11:36頃、ザブーンと、いや普通に北海道側に出る。 2時5分函館着。函館でスーパー北斗7号に乗り換える。駅弁を買う時間もなく、隣りのホームに停車中のスーパー北斗に飛び乗る。ワゴンサービスを待つことにしよう。 17時頃ホテルにチェックイン。 |
上郷町区長会研修旅行 |
2015年9月16日(水) 千畳敷海岸、海の駅わんど 津軽三味線会館 斜陽館など |
![]() 海辺を散歩していると、ワサオという犬と軽トラの顔出しパネルがあった。ブサイクだけどかわいいというワサオは鰺ヶ沢町のイカ焼き屋さんで飼われているのだという。 そしてその横にはなぜか、童謡「赤い靴」記念像がある。なぜ鰺ヶ沢にこの像があるのだろう。横浜なら分かる。横の方にその訳が書いてある。 童謡「赤い靴」のモデルとなった女の子「きみちゃん」の義父・鈴木志郎氏が鰺ヶ沢町の出身なのだそうだ。 ♪赤い靴はいてた女の子 異人さんに連れられて 行っちゃった ♪横浜の埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って 異人さんに連れられて 行っちゃった 昔はこの歌は人さらいの歌だと思ったものだ。女の子が外国に売られていった歌、なのかと思った。ところが悲しい実話があったのだ。 「きみちゃん」の母かよは未婚の母だった。きみが3歳の時かよは開拓民として北海道に渡り、鈴木志郎(鰺ヶ沢町出身)と結婚する。しかし、厳しい、貧しい生活から、ある人の仲介により、娘・きみの養育をアメリカ人宣教師夫妻に託すことにした。やがて夫妻は本国に帰ることになるが、その頃きみは結核に冒されていた。きみは異人さん(宣教師夫妻)に連れられて行っちゃった、のではなく、孤児院に預けられる。そして、9歳の時、きみは母に会えないまま孤児院で亡くなるのだ。母かよも娘の死を知らされず、きみが宣教師と一緒にアメリカに行ったものだと信じて一生を終えるのである。 この話を題材にして野口雨情が「赤い靴」を作詞し、本居長世が作曲し、童謡となり世に出た。「赤い靴記念像」は命の貴さや家族愛を唄い、本来ならば3人で幸せに暮らすはずの、きみちゃん、かよ、鈴木志郎の3人をイメージして造った像なのだという。 午後から津軽三味線会館、太宰治記念館「斜陽館」、立佞武多の館等を見学して、19:30上郷着。オツカレ。 |
2015年9月15日(火) 上郷町区長会研修旅行 不老ふ死温泉・泊 |
![]() ![]() 11:30~秋田自動車道琴丘森岳インター、11:40~琴岡町体験学習物産館(秋田県三種町)ここで昼食。 12:40JAXA能代ロケット実験場。JAXAは独立行政法人宇宙航空研究所開発機構。能代にJAXAの施設があるとは知らなかった。燃焼テストやロケットの打ち上げ実験も行なっているということだ。 13:40~15:00能代エネジアムパーク。広大な火力発電所の施設をバスと徒歩で見学する。1時間ほどバスにはガイドさんが乗りこむ。まだ20代と思しきかわいいガイドさんだった。 15:10~16;00喜久水酒造見学もちろん試飲も。 17:30~不老ふ死温泉着 さあ、海辺の露天風呂に行こう。沈む夕日を見ながら温泉に入るのだ。ホテルを出て露天風呂に急ぐが、残念、夕日は水平線に沈んでしまった。それでもいい。波打ち際の岩風呂は風情がある。 露天風呂は左が混浴、右が女性用である。男性はもちろん混浴に行く。たまにカップルが一緒に入っているが、今の時間は込み合う時間だから女性はいないだろう。 しかし、女性がいた。2人もいた。 一人は風呂から上がり下着を付けている最中だった。太めの女性で、ダンナと思しき男性がブラジャーのホックを留めてあげていた。 もう一人の女性は多くの男性に囲まれるように風呂に入っていた。声を聞くと40~50代といったところか。下心のありそうな男性たちが声を掛けていたが、女性は一人旅なのか、誰かと一緒に入っている様子ではなかった。夕日はすっかり沈み徐々に夕闇が迫ってくる。露天風呂から上がる男性も多くなってきた。 その女性と話していた男性たちが立ち上がり、風呂から出て行ってしまった。良い旅を、なんて言っている。それでもまだ4~5人の男がいる。チラチラとその女性を見ているようだ。私もちらりと見た。声は若々しかったが、顔は50~60代のようだった。 やがて、男たちも全員風呂から上がって行ってしまった。ついに私とその女性、2人だけになってしまった。 何か話しかけようか。「どこから来たんですか」は平凡すぎる。「一人旅ですか」ではナンパでもするようだし、「勇気ありますね」がいいかな。そんなことを考えていたら、女性が急に立ち上がった。えっ、と思った。しかし、青いバスタオルで上も下も完全に覆っていた。湯の色は鉄分のため茶褐色に濁っているからバスタオルは見えなかった。だったら浴衣を着るところを拝めるかと思ったら、ひょいと隣の女性用露天風呂に行ってしまった。 下心がばれたのか。その女性と前後するように遠野のメンバーが5、6人で露天風呂に来た。「遅かったですね。もうちょっと早かったら妙齢の女性がいたのに」、と言って残念がらせた。 夕日はすっかり沈んで、それでも水平線が赤い。 |
成田市 |
2015年9月3日(木) きのうのこと 思惑(おもわく)を「しわく」と言った人あり |
![]() 7時にホテルに戻り、朝食を取る。宿泊客は外国人が多い(メルキュールホテル成田)。バイキングだったが、ごはんと味噌汁、納豆、卵(半熟)が申し訳程度に、片隅にあった。 10時にチェックアウト、JR成田駅に行きアルッテでSUICAチャージ。反対側の形成成田駅に移動し、上野行き特急電車に乗り一駅。公津の杜(こうずのもり)駅で降り、改札口を出る。すでに他県のメンバーが待っていた。 11:00~新校舎見学。総工費66億円とか。PCaPC工法。11月に完成予定で足場はほとんど取れ、内装関係や電気関係の工事が急ピッチで行なわれていた。すでにエレベーターは動いており、エレベーターに乗り屋上に行く。新興住宅街や遠くに成田国際空港も見える。飛行機の離着陸も少し見えた。 16:02公津の杜駅から上野行き特急に乗る。17:03日暮里で降り、JRで上野駅へ。上野で新花巻までの乗車券と指定席券を買う。18:02のはやてだ。 17:34仙台行きやまびこがある。これで仙台まで行き、指定席券を買ったはやてに仙台で乗り換える方法がある。ちょうど20番線に仙台行きやまびこが入ってきた。自由席車両はがら空きだ。3人掛け座席の窓側に座り、キーボード付き東芝タブレットを開く。ワゴンサービスでコーヒー、サンドイッチ、それに土産のお菓子を買う。30分も待ってはやて指定席に乗るよりやまびこの自由席に座るのが楽だ。 やまびこは仙台に19:32着、はやては19:38着。14番線から12番線に移動し、19:39はやては仙台を発車する。私が買った指定席の隣に男性がまだ座っていたから、その後ろに座った。仙台からはガラガラでどこにでも座れる。こんな時に指定席を買い窮屈な思いはしたくない。 |
2015年9月2日(水) きのうのこと 成田山新勝寺とイオンモール成田 |
![]() 10:50上野着。去年は上野駅を出て京成上野駅まで歩いた。新幹線上野駅からどこの出口で出ればいいのか分からず、不忍池口から出て10分以上もかかったような気がする。だから、今日は山手線で日暮里まで移動する。日暮里では京成本線に通じる改札口があるからJRの電車を降りて2、3分で京成本線に乗れた。新幹線の切符を入れ、さらにSUICAをかざして京成線への出札口を出る。上野駅を出て歩くよりずっと楽である。 11:19京成本線特急(成田空港行き)に乗り、12:21京成成田着。駅近くのラーメン屋で豚骨ラーメンを食べ、さあ、成田山新勝寺に行こう。駅前から表参道を通り20分ぐらいで成田山新勝寺の山門に着く。 新勝寺は真言宗智山派(ちさんは)の大本山である。「開基1080年」と書かれた幟も見える。真言宗の開祖は空海(弘法大使)。 小高い丘にある成田山公園は広い。歩きつくせなく、途中で”下山”することにした。書道美術館はなぜか閉館中であり、平和大塔内を参拝、見学した後、道なりに降りて行くと、やがて市街地が現れる。去年特別講演で来た成田国際文化会館前を通り過ぎ、国道408号線を渡るとイオンモール成田やシネコンiMaxの看板が見える。 暑い。疲れた。新勝寺で道を聞いた時は公園を降りて行けばすぐイオン、という雰囲気だったが、30分ぐらいも歩いたように思われる。歩数計はすでに1万歩に近い。 イオンモールで帰りのバスの時間とバス停を確認し、そしてまたシネコンiMaxに戻る。15:15~「ミッション・インポッシブル ローグネイション」を見よう。 トム・クルーズが演じるイーサン・ハントがまたまた有りえないアクションを見せる。冒頭、なんと飛んでいる飛行機にしがみつくのだ。 |
2015年9月1日(火) 新花巻駅の駅員の説明に納得できない メルキュールホテル成田・泊 |
![]() 券売機の近くで見ていた駅員が言う。「お客さんは今、東京までの自由席特急券を押しましたが、はやては指定席券が必要ですよ」 それに対して、「仙台でやまびこに乗り換えますから」と言うと、「ここに書いてあるでしょう」と左の注意書きを示し、盛岡・仙台間のみを利用する場合が自由席特急券で乗れるのです。東京まで行くのなら自由席券で仙台までは認められません。指定席券を買ってください」 さらに、「どうしても自由席と言うのであれば、仙台まで自由席券で乗り、仙台で降りたら、またそこで東京までの自由席券を買ってください」、と言う。 仙台以南まで行く場合は仙台まで自由席券は認められない?「やまびこ」に乗る場合しか東京までの自由席券は買えないということか。 那須塩原に行くときもそうなのか。今まで「はやて」で仙台まで、仙台からは「やまびこ」に乗り換えていた。自由席券は新花巻・那須塩原間を通して買う。盛岡発のやまびこも、もちろん「はやて」、「はやぶさ」も停車しないから仙台で乗り換える必要があるのだが、これは不正乗車だったのか。 大学の旅費規程では原則自由席に乗ることになっている。どうしようか。 駅員がしつこくそばにいて離れない。ちゃんと指定席券を取るか見張っているようだ。仕方がないので、東京まで指定席券と乗車券を買った。しかし、納得できない。自由席券ではやてに乗り仙台まで行き、仙台からはやまびこに乗り換えて東京まで行くのが何故ダメなのか。「仙台で降りて+仙台で新たに東京までの自由席券」を買わなければ、「はやて+やまびこ」は乗れないのか。これは絶対におかしい。 新花巻の駅員にもう一度聞いてみよう。那須塩原に行く場合、仙台まで「はやて」に乗ることができないとなれば大変だ。いちいち仙台まで指定席券を買い、仙台でまた自由席券を買ったり、少ない本数のやまびこまで待つことになるのか。 |
青森市、弘前市へ |
2015年6月11日(木) 青森市→むつ市→八戸市→遠野市 |
![]() ![]() 早めに朝食を取り、8時頃はホテルを出発しようと思っていたが、ホテルに戻ったのが7時半頃。それから朝食を取り、部屋に戻り、シャワーを浴びる。チェックアウトは8:50頃になった。少し歩いて駐車場へ。 今日最初に目指すのは下北半島、まさかりの付け根付近の大湊だ。カーナビによると3時間以上もかかる。まあ走るにしたがって徐々に短縮されるだろうが、それでも2時間半はかかりそうだ。 青森中央インターから高速に乗り、青森東インターで降りる。その後、みちのく有料道路に乗り野辺地北辺りで降りる。あとはひたすら野辺地から六ヶ所村、横浜町と北上する。途中で見た建物(左)が何だかお分かりだろうか。道の駅か産直と思って入ったのだが、なんとパチンコホールだった。木造のパチンコ屋、さすが林業の町だと思った。 途中六ヶ所村も通った。原燃処理場などエネルギー関連の施設が多い村だ。日本一危険な村だと言う人もいる。巨大な風車群にも圧倒される。恐怖感を覚える。近くにそびえる、無数と言ってもよいほど乱立する風車群は不気味だ。こんな所には住みたくないなと思う。風車が発する普通は聞こえない重低音に体調を崩す人も多いと言うではないか。 六ヶ所村の平均所得は2000万を超えていると聞いたことがある。原燃関係の仕事は給料が高いのだ。失業なんてどこの世界のことばだ?村には不似合いなショッピングモールや近代的なオブジェをいっぱい抱えた記念館なども多いという。すべてが原子力エネルギー処理場のお蔭なのだ。道端に、「ウランちゃん」というドライブインか何かの看板を見た。 |
2015年6月10日(水) 青森と弘前へ |
久しぶりにエスカレーターを駆け上がり新幹線ホームへ。 新花巻駅窓口の職員がまだ見習い中の若い社員だった。行きは新花巻から新青森まで、明日の帰りは八戸から新花巻まで、それぞれ乗車券と自由席特急券を買って、領収証をもらう、それだけに5分もかかるはずがないと思った。 新花巻発は7:38だ。7:20頃窓口の列に並んだが、時間的には十分に余裕があると思っていた。ところが前の2人が長い。それぞれ千葉の君津まで新幹線往復とか、支払は別々とか言いながら、時間がかかる。 やっと私の番になった時はすでに7:30になろうとしていた。しかし、まだそれほど心配する時間ではないと思っていた。 新青森までは200キロを超えるから大人の休日倶楽部ジパング会員で3割引きとなる。帰りの八戸~新花巻は200キロ未満であり、割引の適用はない。今日の到着駅と明日の出発駅が違うから、もちろん乗車券は往復扱いにならない。片道200キロ未満でも往復切符なら3割引き適用となる。行きは新花巻から新青森まで乗り換えなしでそのまま行けるが、帰りは盛岡でやまびこに乗り換える必要がある。 そんなことで、若い社員は分からないことがあるようで、ベテラン職員に教えてもらおうと、改札口にいる社員に声を掛ける。しかし、あいにくそのベテラン社員は自動改札機に何かを噛ませた客の対応と、自動改札機の復元に手間取っているようだ。 徐々に時間が過ぎていくが、それでも5分もあれば切符と領収証を渡されるだろうと待っていた。 ベテラン職員が中に入り、若い職員を指導していたが、ついに自分がその席について、自分で端末機を操作し始めた。そして言う、「時間がないので、帰りの切符は八戸駅で買ってくれませんか」と言う。 そんな。。だったら並んだ意味がない。新青森までの片道なら券売機で換えた。しかし、領収証は行きと帰りで2枚となる。1枚の方が処理しやすい。「まだ2分ぐらいありますよ」と言う。 やがて、はやぶさがホームに入る音が聞こえてきた。やっと切符が出てきた。これが行きで、などと確認している暇はない。すべての切符をポケットにいれ、自動改札口を通らずに通路を走り抜け、エレベーターも駆け上る。すでに客は新幹線に乗り終えていた。駆け上がった所はこまち号のところだが、新青森まで行くからはやぶさだ。なおもはやぶさ車両の方に走る。10号車のグランクラスに飛び乗る。間に合った! |
京都 |
2015年3月16日(月) 京都から遠野に帰る せっかく行ったのに観光もせずに |
今日も昨日と同じ、6時起床、掃除の後シャワーを浴びる。7:00~御影堂で晨朝参拝。御影堂は世界最大級の木造建築だそうだ。本堂の広さはおよそ千畳だという。マイクを使わなくても坊さんたちの声がよく響く。 9:00~宣誓式。昨晩すったもんだの末、できあがった宣誓書を一番若いF舘氏が読み上げる。 その後、研修。11:30~退所式。 12:00~昼食はカレーライスだった。 13:00~退所。東本願寺内の売店で、お土産に鈴(リン)と線香、正信偈の解説本を買う。その後京都駅に移動し、八橋、わらびもち、千枚漬けの京都定番お土産を買う。 15:05~のぞみ232号に乗る。すぐにあちこちで宴会が始まったようだ。少し離れた席にいた私にもうるさい声が次第に聞こえてきた。禁欲生活から一気にたががはずれ、はめもはずれたようだ。他の乗客の迷惑になるほどの笑い声などが次第に大きくなる。女性の声も聞こえる。せっかくいい研修を受けてきたのに、これではダメだ。引率している坊さんも一緒になって騒いでいるし。 東京駅に着くと、さらに売店でビールなどを買い込んでいる人もいる。東北新幹線の中でもまた騒ぐのか。 のぞみでは席が少し離れていたから知らんぷりもできたが、はやて車内では一番うるさいメンバーのすぐ近くだった。彼は横や後ろの人と話をし、次に通路を挟んで横にいる私にも話しかけてくる。本を読んでいても、iPadで侍浜日記を入力してても集中できない。うるさくて、席を立って別の車両に移る。 8時半頃新花巻着。アクアに3人を乗せ遠野へ。住職の出迎えもなし。電気が消えていたので、チャイムを鳴らすこともせず、K内さんを降ろし、O野さんと上郷まで帰る。10時頃無事自宅に着く。あ~疲れた。 |
2015年3月15日(日) 推進員研修2日目 |
廊下で同じ上郷から参加しているO氏と会う。彼は1班だ。彼からの情報によると、日本酒1・8リットルパックを2本、缶ビールを何本か持って来ている人がいたという。かなり遅くまで飲んでいたようだ。 7:00~晨朝参拝。正信偈などに続き、法話、そして御影堂での帰敬式と続く。とても寒い。ジャンパーを着てくるんだった。 私は4年前の上山で帰敬式はすでに済んでいる。だから他の参加者の帰敬式が終わるのをただ待つのみ。8時半ころまでかかった。 朝食の後、9時半頃から研修。正信偈の意味、正信偈に登場する7高僧についてなど。 規則正しい生活だからか、腹が減る。どんぶり飯だが昼食はお代りした。 午後から記念写真、ジャージに着替えて清掃奉仕と諸殿拝観など。 夕食後の研修の最後に、班ごとに宣誓文を作成する。中心になる人間がまとめないとうまくいかない。筆ペンで清書するのは誰か、宣誓文を読み上げる人も決めなければならない。 なかなか宣誓文も決まらない、筆ペンで清書する人も決まらない、読み上げる代表者も決まらない。10時過ぎにやっと決まった。3人?いや、一番若い人が全部一人でやることになった。またも私はその役を免れた。 |
2015年3月14日(土) 京都へ 東本願寺で研修 |
早朝アクアで出発。道路はうっすらと雪模様。上郷町平野原でO野氏を乗せ、青笹のM寺でK内さんを乗せる。見送ると言っていた住職ったが、姿は見えず。挨拶をと思い、玄関のチャイムを鳴らすと、息子さんのお嫁さんが出てくるが、いまいち事情を分かっていない様子だった。まあ、いいか。出発しよう。 7:00頃新花巻駅。釜石から3人、遠野から別の3人も合流、9人で7:28発のはやてに乗る。新幹線の中で盛岡からの1人も合流、これで後発隊10人がそろった。先発隊25人はすでに6:22はやぶさ102号で出発しているはずだ。研修生35人、それに随行スタッフとして花巻組長(そちょう)や副組長など4人が随行する。総勢39人で東本願寺に上山つかまつり候、ってわけだ。 新幹線の中で住職からのメール着信。「お見送りしないで申し訳ありません。お餞別を用意して後を追ったのですが」など。O野氏とK内さんにも見てもらう。 10:16東京駅着。東海道新幹線乗り換え口では、「切符はのぞみの指定席券と合わせ3枚を重ねて入れて下さい。2枚戻ってきますので忘れずに取ってくださいね」などと、添乗員みたい。その時気づいた。おっと、仙台駅から乗った随行スタッフがいた。以後、あまり表に出ないようにする。 メンバーの1人が東京・京都間の乗車券と特急指定席券を紛失したと言う。自動改札口では確かに2枚を取ったというが、その後に無くしたらしい。駅員さんの事務所に申し出るも、届いていないという。 東北新幹線の普通車両では行われない切符の確認(車内改札)がJR西日本ではある。「切符を拝見します」に対して、東京駅に届いていることを願って、紛失したことを盛んに説明していた。 その後、すぐだった。車掌さんがまだ同じ車両で車内改札してしていたが、あった!という声。そして良かった、良かったと大きな声も。内ポケットから出てきたようだ。何かに挟まっていたという。さっきの車掌さんに走る彼。まずは、一件落着だ。 京都駅から10分ほど歩いて東本願寺へ、そして宿坊である同朋会館に入る。東本願寺は昨年の4月にも来たから1年ぶり、同朋会館に泊まるのは震災の年の11月以来だからほぼ4年ぶりだ。 39人が4班に分かれ、私は2班になる。入所式やオリエンテーション、班長や係、感話の担当者などを決めるが、幸いなことに私はすべてを免れた。 9時まで研修。その後入浴など。10時半頃に布団に入るが、隣りの部屋(1班)がうるさい。アルコール禁止の同朋会館に酒やビールを持ち込んだようだ。電話で呼ばれて行った人もいる。笑い声が徐々にパワーアップ。それでも、いつの間にやら寝た。 |