薬丸 岳
2013年6月18日(火) 先日読んだ「逃走」(薬丸岳・著)の感想 |
![]() 読みやすく、おもしろいだろうと期待させる逃走劇であるが、結末はそれほど意外というわけではない。裕輔が逃走を続けた理由もなんとなく分かる。と言うより、逃げなくてもいいのではないかと思える。薬丸岳のミステリにしては物足りなかった。 章ごとに、裕輔や、妹の美恵子、警官・武藤の視点からストーリーが語られる。傷心の美恵子は、あの優しかった兄がなぜこんな事件を起こしたのだろう?と思い悩む。 やがて21年前の事件のことが語られる。もちろんそれが裕輔の逃走に繋がるのだが。。 題名から受けるイメージはハードボイルドでスリルやサスペンスもの。しかし、そんなにスリリングでもなければハードボイルドタッチでもない。兄弟愛や絆がテーマであるようだ。 ラストは少しばかりの希望も抱かせるので、まあそれなりに楽しめるが、あまり人に勧めたくもない本だった。買った本ではなく図書館から借りた本でよかった。 権威ある乱歩賞受賞作家が、こんなゆるいミステリを書いていてはダメだ。 |
2006年10月7日(土) 三連休の初日は1日中雨 「闇の底」(薬丸岳・著)を読む |
薬丸岳は「天使のナイフ」で昨年の江戸川乱歩賞を受賞した作家。この「闇の底」は受賞後の最新作、つまり氏にとって2作目ということ。 「天使のナイフ」では少年法に守られる少年達の犯罪を描き、この「闇の底」では少女への異常性犯罪を描いている。現実世界でもつい最近、奈良県の少女誘拐殺人犯に死刑判決が言い渡されたばかりである。時流を読んだ造詣の深さは新人とは思えない。 「ペドフェリア」とはアメリカ精神医学会刊行の「精神障害の診断・統計マニュアル」が定義するパラフィリア(性倒錯)のひとつで、幼児性愛のことだという。こんな異常な欲望を持った人間が何食わぬ顔をして地域に住んでいるとしたら怖い。稀だとは思うが小学校の教師にもいるようだ。岩手県でも、宿泊学習中に児童の身体を触った教師が逮捕され免職になった。 埼玉県警の長瀬係長は、幼少の頃、幼い妹を小坂浩美という男に陵辱されたうえ殺された。一緒にいた自分が守ってやれなかったのが悔しい。小坂浩美は無期懲役の判決を受けたが20数年後に出所し、今は普通に暮らしているようだ。 そして現在でもなお同じような事件は跡を絶たない。しかし状況は急変する。少女を犠牲者とした痛ましい性犯罪事件が起きるたびに、かつて同様の罪を犯した前歴者が首なし死体となって発見されるのだ。警察やマスコミに殺戮のDVDや犯行声明文が送られる。性犯罪者への警告であろう。次に首を切り落とされるのはお前の番だ、と。 完全な劇場型犯罪である。かつての性犯罪者が殺されることに喝采を叫ぶ者も出る。マスコミも一部殺人者側の論理で物を言ったりもする。しかし警察はメンツにかけても同様の殺人つまり私刑を許してはならない。警察の捜査で次の殺人は小坂浩美という可能性が高くなった。何としてでも小坂を殺させたりはしない。ここで長瀬の苦悩が始まる。長瀬にとって小坂は殺しても殺し足りない人間なのだ。 面白くて一気読みした。警察側の視点と犯人の視点で物語は進行する。犯行を繰り返す犯人の視点では主語はすべて「男」となる。この「男」とは誰なんだ。幼児異常性愛者を異常に憎む人間とは誰?推理しながら読む。そして中盤にその「男」の正体、つまり犯人が分かる。いや、分かると誰もが考える。しかしラストは違う展開になり、やられたと思う。見事なミスリーディングである。 秋の夜長にお薦めのミステリーですよ。ラストまで読まないで犯人が分かりますね。絶対にこいつだ、と思う人は犯人ではないですからご注意を。本の帯に書いてある、「絶対に捕まらない。運命が導いた悲しすぎる完全犯罪」の意味がラストに分かりますよ。 |
2006年4月16日(日) 「天使のナイフ」(薬丸岳・著)を読む ムム、このラストは・・・ |
第51回(平成17年)江戸川乱歩賞受賞作品である。作者の薬丸岳(やくまるがく)がそれまで勤めていた会社をやめ初めて執筆した小説であるという。それが見事に乱歩賞を受賞した。ミステリー作家として恵まれたスタートを切った彼の次回作にも期待したい。 「天使のナイフ」は少年法、少年犯罪をめぐる社会派の推理小説である。刑法41条(14歳に満たない者の行為は罰しない)や、少年法、児童福祉法により子どもたちは守られる。たとえ罪を犯しても罰せられない、たとえ殺人を犯しても子どもの刑事責任は問えないのだ。 主人公・桧山は最愛の妻を中学生3人に惨殺された。1歳にも満たない娘の目の前で。しかし、少年法の下に少年3人のプライバシーは守られ、彼らは罪にも問われない。罰則の代わりに保護・指導を受け、数年後には社会に復帰し普通に暮らす。彼らの贖罪はどうなっているのだ。桧山の気持ちは治まらない。 桧山は残された一粒種の娘、愛美と共に深い悲しみを背負いながら生きていく。マスコミにさらされプライバシーは全く守られない。加害者の少年たちの名前も知らされず、もちろん会うことも出来ない。犯人たちから一言の侘びの言葉を聞くこともない。 「国家が罰を与えないなら、自分の手で犯人を殺したい!」、マスコミの前で桧山は思わず、そう言った。 それから4年後、加害者の少年A、B、Cが次々に殺され、あるいは殺されそうになる。桧山が重要参考人として警察から事情を聞かれるのは当然である。最初の少年が殺されたとき、桧山にアリバイはなかった。2番目の少年が殺されそうになったときも同じだった。いよいよ桧山の立場は悪くなる。しかし3番目の少年が殺されたとき、桧山にはアリバイがあった。 「もちろん殺してやりたかった。でも殺したのは俺じゃない。妻を惨殺した少年たちが死んでいく。これは天罰か」。果たして誰が何のために少年たちを殺しているのか。 前半のこの展開は純粋にミステリーとして面白い。もったいぶった人間像の描き方は作者の恣意か。勝手に犯人や動機を推理しながら読み続ける。私の推理(予測)は当たるかも知れないぞ。作者がそのように仕向けている節もある。 しかし、状況が後半になり、目まぐるしくと変わる。前半の推理などまったく無意味な展開になる。さすがに江戸川乱歩賞受賞作だと思うが、少し強引ではないか?たとえば友里が登場してすぐに桧山の側に付く描き方など。ご都合主義。 やがて妻が殺されたときの状況や、中学生3人の動機に不自然な点が浮かびあがる。妻の過去のことも判明するにつれて、少年法に関わる事件が二重にも三重にもあらわになる。しかし死者に鞭打つような展開ではない。後味も悪くない。 で、犯人は?本当に悪いのは誰だったの?イマイチ納得のいかないラストだったな。 |
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