若竹 千佐子 

2018年2月23日(金) 「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子・著)を読む  第158回芥川賞受賞作品
 青春小説とは対極にある玄冬小説。老いをテーマに、老いることもいいもんだ的な小説が玄冬小説だ。
 青い春に黒い(玄)冬。季節には色がある。じゃあ、夏は、秋は?ネットで調べたみたら、中国の「五行説」が由来のようだ。春は青春、夏は朱夏、秋は白秋、そして冬が玄冬。青春だけは普通に使われることばだが、「おらおら〜」で「玄冬(小説)」もマイナーからややメジャーな言葉になったようだ。
 作者の若竹千佐子さんは63歳。遠野市上郷町の出身だ。教員採用試験に挑戦しながら5年ほど県内で講師を務めた。ネットでは「教員採用試験で一緒になった男性と結婚して上京」としてるものもあるが、それは本当ではない。受賞者インタビューによると、教師はもういいかな、あきらめようかなと思い、脚本家を目指して都会に出る。埼玉県南浦和の学習塾で仕事をしている時、遠野の父親から電話があり、「お見合いしろ」と。建設関係の仕事をしていた人と結婚、その後ご主人の仕事の都合で上京し、一男一女にも恵まれたのだという。
 若竹千佐子さんの人生がこの本の主人公・桃子さんの生き方にも繋がる(但し桃子さんは74歳)。東北の出身で東北弁にばりばりで、夫に先立たれ、1男1女を育て上げ、自由に生きている桃子さん。私小説のようであるが、私小説ではない。桃子さんと作者の間には一定の距離があるようだ。フィクションの部分が面白い。結婚式の数日前に逃げて上野駅に降り立ったなど。理想の周造との出会い、プロポーズは「決めっぺ」だったとか、疎遠な長女、長男のことなどもフィクションの部分だろう。
 マシンガントークのような遠野弁。炸裂する遠野弁にはパワーがある。文中では遠野弁とは言わない。東北弁であるが、あれは完璧な遠野弁である。意味がよく分からない人も多いと思うが(遠野に長年住んでいても意味不明のことばもある)、あのリズム、土着感。まるでジャズのリズムセッション。そして同居するネズミのカシャカシャ音、これもリズムセッション。ズズズと音を出して茶を啜る音だってリズムセッションだ。
 しかし、本書でリズムセッションのように湧き上がるのはいろいろな人の声。ばっちゃや夫周蔵の声、子どもたち、孫たちの声、そして自分の声。現在も過去も関係ない。内面から溢れ出る声、これらがジャズのリズムセッションのようだと表現する。この声こそがこの本の醍醐味。じっくりと遠野弁を味わってみろと言われてるみたいだ。
 後半に登場する「八角山」には恐れ入った。上郷町には六角牛山(ろっこうしざん)がある。六角牛ではなく八角なのだ。相撲協会長の話ではない。
 遠野人なら分かる「食べらさる」ということば。ばっちゃが夕食を一膳食べ、二膳目も「食べらさるー」と声を挙げる。「桃子さんが考えるに、受け身使役自発、この三態微妙に混淆(こんこう)して使われて」など、ことば(方言)の使い方にも目の付け所が違う。
 周蔵が亡くなった時の記述」。マシンガントーク、あるいはジャズのリズムセッションが感じられる、こんな遠野弁が何ページにもわたるのだ。
 「てへんだあなじょにすべがあぶぶぶぶぶっぶぷぷ、ああくそ、周蔵、いいおどごだったのに 周蔵、これからだずどぎに、なして、神も仏もあるもんでね、神も仏もあるもんでね、かえせじゃぁ、もどせじゃぁ、かえせもどせかえせもどせ、神さまバカタレかえせもどせ、かえせもどせかえせ仏さまいるわけねじゃ、くそったれ かえせもどせかえせもどせかえせってば」
 

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