高木 彬光
2002年4月16日(火) 「刺青殺人事件」(高木 彬光・著) |
昭和23年に最初に発行された「刺青殺人事件」は高木彬光の代表作であり、戦後の本格的長編ミステリーの先駆的作品として名高い。江戸川乱歩の影響をかなり受けていると感じられる雰囲気である。妖しさと耽美。日本家屋では難しいとされる密室殺人のトリックやどんでん返しはそれなりに楽しめるが、いかんせん古い!アリバイ崩しに自動車を使ったり(現代では通じない)、双子の女性の替え玉トリックなど、じっくり読めば先が読める展開である。 しかし、作者の本格的推理小説を、という意気込みは十分に伝わってくる。名探偵、神津恭介が登場するのは、なんと、253ページから。それまでは東大医学部卒の松下研三が中心となり物語が進むが、神津恭介が登場するまでに、作者はすべての材料を読者に提供し、挑戦する。 「読者諸君、私はいま諸君に対して挑戦する。私はこれまで、捜査当局の知り得た以上の資料を、もらざす諸君の前に提供してきた〜」 とりあえず、そこでしばらく考えてみた。一気呵成に読んできたものではないから、自分で推理するまではいかないが、双子の姉妹がトリックに絡んでくるのは簡単に想像がつく。だがこれは推理小説の作法として安易ではないか。しかし作者は誰もが考える以上のひねりを結末に用意している。十分に予想が付きそうな内容だったが、今さらそんなこと言ったって遅い。なぜ気が付かなかったんだ! |
2004年2月2日(月) 「成吉思汗の秘密」(高木彬光・著)を読む |
源義経は衣川の戦いで藤原泰衡の軍により殺されたのだとされるが、実は生き延びて沿岸から北上し、宮古、八戸を経由して、北海道に渡った。さらに義経の足跡をたどると、それはシベリアに及び、満州へと到達する。そして、実は蒙古の英雄・成吉思汗(ジンギスカン)こそが、その後の源義経だったのだ、というなんとも壮大なロマン溢れる仮説である。それを基にした小説である。犯人当てはないが興味の尽きないミステリーである。 、義経北上のコースは、衣川から北上川、岩谷堂、大股、世田米を通り宮古へたどり着く。宮古は京の都に通じる名前である。宮古近辺には確かに義経ゆかりと思われる地名が多い。黒森山は九郎森山が後世に変化したのでは?判官稲荷神社もある。さらには判官山、弁慶腰掛岩なども。その他、あちこちに判官○○などの地名が点在する。 宮古からは海路で八戸に渡ったのだろう。宮古・八戸間には義経の遺跡と言われるものは残っていないのだそうだ。 今まで何度も見たり聞いたりした義経北帰行伝説であるが、まとまったものをじっくりと読んだのはこの高木彬光の小説が初めてである。蒙古史や中国史などの章をを読むのは、歴史に疎い自分にとって少々苦痛であったが、後半の二転三転する展開はまさに推理小説である。 アイヌ民族にはホンンカイサマ(判官様?)伝説がある、満州では成吉思汗を克羅(クロウ)と呼んでいた、中国の清は清和源治の清をとったもの、蒙古で8月15日に行われるオボー祭(お盆のこと?)、日本で同日に行われる義経慰霊祭、等等。牽強付会(ケンキョウフカイ)としてもできすぎた解釈である。 因みに、「牽強付会」はこの小説で初めて知った四字熟語である。意味は、「自分に都合の良いように道理事実に合わない理屈を付けること」、だそうだ。 最後の最後、成吉思汗の名前の秘密も2つも出てくる。推理小説によく出てくる名前の秘密が実在の英雄の名前にもあったとは。昔、読んだ、大沢・元岩大教授の著した、「石川啄木の秘密」を思い出した。 |