諏訪 哲史
2007年9月14日(金) 第137回芥川賞受賞作「アサッテの人」(諏訪哲史・著) |
芥川賞は純文学の新人賞(十代でも受賞する場合がある)、直木賞は大衆文学の新人賞(こちらは中堅作家が受賞することが多い)と位置づけられている。今回、芥川賞を受賞したのは諏訪哲史氏の「アサッテの人」。 「見当違い、かみ合わない」を表す「アサッテ」という言葉は、若い頃は、山田町限定の方言だと思っていた。しかし「アサッテ」は国語辞書にも載っているれっきとした日本語であり、「アサッテの方向を向いている」などと例文も掲載されている。 ちなみに、「13月な人」はどうだろうか。これこそ地域限定言葉か。他市町村では聞いたことがない表現である。山田町では、あまりいい意味の言葉ではないが、ある種の人間に対して使う。 「アサッテの人」は不思議な小説である。「アサッテの人」という小説を書こうとしている作者<私>の手記と、「アサッテの人」の最終草稿や書きかけの草稿、そして後半では、そのアサッテの人と作者が呼ぶ、叔父の日記3冊と便箋の書置きで小説が構成される。ご丁寧にラストは叔父の部屋の見取り図まで付く。時々、一人称<私>が誰のことかこんがらかったりする。エクセル@IF関数でいうネスト(入れ子)状態にもなったりする。 叔父は風変わり人間である。突然、脈絡のないところで、無意味な言葉を発する。ポンパ、タポンテュー、チリパッハ、ホエミャウ、など。その言葉の使われ方や発音の仕方について、かなり詳しい薀蓄が語られるが、ストーリー的には無意味なようでもある。作者は言語・発声学にも造詣が深いようだ。 さらに、叔父の吃音についても学術的である。特に、「啄木鳥(きつつき)」を何故言えないのか。作者は言語療法でも学んだことがあるのだろうか。「言葉の教室」の先生などが読んだら参考になると思われる記述がある。 そして、言語学的極めつけ?がギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」の歌詞だ。「えなりるわっほなう、えなってりえにれっさ〜以下略〜」になる理由がこれまた理論的で、面白い。 純文学?なのに遊びすぎと思われるところもある。叔父が勤めたビル管理会社のエレベーター監視の場面だ。16基のエレベーターのモニターを見ているといろいろな人間がいる。1人エレベーターの中ではアサッテ的人間になるというのか。乗るまでは誰もが真面目な会社員だ。しかし、エレベーターに乗り1人だと見ると、逆立ちしたり、コサックダンスをしたり、わいせつ物チン列とか、上司とOLの抱擁も(この場合はもちろん2人)。 |