島田 荘司
2006年12月19日(火) 「確率2/2の死」(島田荘司・著)を読む |
島田荘司のミステリーには分数を含む題名のものがいくつかある。「高山殺人行1/2の女」、「北の夕鶴2/3の殺人」、「出雲伝説7/8の殺人」、「寝台特急はやぶさ1/60秒の壁」など。この「確率2/2の死」もそうである。2/2とは1じゃないか、つまり確率1なら100%のこと、などとつっ込みを入れたくなる。 2/2の意味はラストに分かる。(事件の謎を解く重要な手がかりになるので、ネタバレが嫌な人は飛ばしてください)。 「賭博は常に、勝つか負けるか、2分の1の賭けだ。その2分の1を2分の2の確率にあげようとして(以下略)」。 お馴染みの警視庁捜査一課の吉敷竹史が活躍する。プロ野球スター選手の子どもが誘拐された。身代金は1千万円。吉敷は1千万円の入ったカバンを抱えて、赤電話から赤電話へと都心を走り回る。覆面パトカーも彼を追う。次の指示は地下鉄構内だ。もちろんパトカーは入って来られない。1500メートルほどある構内を7、8分で駆け抜ける。指定の赤電話が鳴り終わらないうちにそこまでかけつけなければならない。 冒頭からこの展開。十分に面白い誘拐物だ。赤電話に間に合わないと子どもは殺される。だから体育会系だった吉敷は走る、走る。次々に鳴る赤電話目指して。しかし、もう限界だ。ここで犯人が現れると簡単に身代金を奪われるだろう。吉敷にはもう犯人を追いかける気力も体力も残っていない。だが、この誘拐劇は次に意外な展開を見せる。犯人は身代金を奪うこともなく子どもは無事に返される。この誘拐劇の目的は何だったのだ。 次に、それとは別にある公営住宅に住む一組の夫婦の奇妙な行動が描かれる。夫婦と警視庁、2つの視点で進行する物語が徐々に接近し、ついに事件のあった9月10日に収束する。このもって行き方はうまい。徐々に2つの物語が一致するが、それでも目的や背景が全くもって分からない。主婦が毎週、ある時間帯だけに見る幽霊自動車の謎も、何だそりゃあ。 全く予想も付かない展開であるが、ラストでは見事にすべての行動、現象に解決を付ける。奇妙奇天烈な事件が現実に解決を見るラスト。推理小説の邪道ではあるが、途中まで読んだら、次にラストの解決編を読んで、また読み始める、そんあ読み方もいいかなと思えるミステリーである。 |
2004年6月20日(日) 「占星術殺人事件」(島田 荘司・著)を読む |
本格物は久しぶり。わくわくしながら読んだ。密室殺人事件、雪の上の足あと。何とも古典的、古きよき時代の〜、なんてそんな生易しい作品ではなかった。手の込んだ、かなりの本格物である。犯人と思われる人物を含めて7人と、被害者も多い。そして、人を喰ったような、読者への第一の挑戦状と第二の挑戦状のページが挿入される。 「読者はすでに完璧以上の材料を得ている。また謎を解く鍵が非常にあからさまな形で鼻先に突きつけられていることもお忘れなく」。 「須藤妙子とは誰なのか。当然ながら彼女は、皆さんが良くご存知の人物である。そして彼女の犯行の方法とは?ここまでくれば、もう皆さんに解いていただきたいとおもうのだが」。う〜ん、かなり挑戦的。しかしいつものごとく皆目見当が付かない。 「この殺人の動機は殺されてすでに存在しないはずの平吉にしか無い」。なるほど、なるほど。被害者は若い女性6人にも及ぶ。死体もバラバラ、埋められている場所も釜石鉱山や秋田県の小坂鉱山、奈良県の大和鉱山など各地にバラバラ、埋められている深さも50センチ、150センチ、そして埋められず放置されたり、これもバラバラ。 梅沢平吉の手記の部分(最初のページから42ページまで)がとても読みにくい。アゾート、ヘカテー、ホンタヌス、アタノール、プロソピュメテ、ボンボー、ゴルゴ、アナツェー、マグヌス・オプス、など訳の分からない言葉が次から次への出てくる。カッコ付きの注釈もあったりなかったり。当然この推理小説上重要な伏線も張られている部分であろう。我慢して読んだが、中にはこの手記の部分に嫌気がさして途中で止めてしまった”不幸な”人も多いかも知れない。 我慢して読んだ甲斐がラストに待ち構える。「須藤妙子とは、実は○○だった!」。そして延々と続く解説。ラストの解説編で味わうこの爽快感、カタルシス。推理小説の醍醐味である。 それにしてもあの偽札の作り方。新聞で読んだこともあるが、もちろん新聞は詳しくは書かない。私もてっきり石岡と同じ考え方をしていた。何年間もそうだと思っていたことが、実はそうではなかった。なるほど、図入りの説明でよく分かった。新聞ではまねをされたら困るから実際の方法は示さなかったのだろう。 島田荘司は綾辻行人が師と崇める人物である。島田自身も綾辻の力量を認め世に送り出すのに一役も二役も買って出ている。最近は新作を発表していない2人。もう筆を折ってしまったのだろうか。 |
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2001年12月2日(日) 「Yの構図」 |
「そして誰かいなくなった」(夏樹静子・著)は依然として見つからない。大船渡になかったということはやはり遠野であろう。今日、後でもう一度探してみようと思う。 さて、それの代わりに読んだ「Yの構図」。86年2月、東京都中野区立中野富士見中学2年の鹿川裕史くんがいじめに耐えかねて自殺に追い込まれた事件があったが、あれを題材とする長編推理小説である。鹿川くんの祖父母が住んでいたのが盛岡だったと思うが、この本では盛岡の中学生が岩手公園のトイレ内で遺書らしきものを残して自殺するという設定。登場する場所はほとんどが盛岡市内と八幡平である、言わば、ご当地推理小説である。 島田荘司の作品ではお馴染みの、警視庁捜査一課殺人犯の吉敷(よしき)竹史が主人公である。彼は完璧な?推理で、心中と見せかけた東北新幹線と上越新幹線内の2つの死体の謎・解明に挑戦する。上野駅地下4階の19番線と20番戦に、ほぼ同時刻にホームをはさむようにに入ってくる東北新幹線と上越新幹線。それぞれのグリーン7号車内で2人の男女が死んでる。いったい誰がどのようにして何のために2人を殺したのか?なかなかそそられる導入部ではないか。期待感は高まる一方である。 そして犯人はこれしかないという動機十分・アリバイなしの夫婦(あるいはそのうちの一方)を登場させ、犯人と決め付ける。しかしその後、男にはアリバイがあることが立証される。それじゃアリバイ崩しがこの本後半の興味になるのか。いやいや、とんでもない。まさにミス・ディレクション(誤誘導)だった。犯人をあまりにも決め付ける台詞はなんかおかしいぞと思ってはいたが、あの2人以外、犯人になりうる人間がいないのだ。誰でも彼らが犯人であると考えてしまう。そこに作者はつけこむのだ。まさにミス・ディレクション。 そして最後の、本当に意外な犯人。まさかと思う人間が犯人だ。しかし、そこにいたるまでは完全に吉敷の敗北だ。最初に犯人と決め付けた2人に犯人のヒントを教えられたようなものだ。どんでん返しが複数あり、作者はなおもラストを引っ張り続ける。まだまだ何かありそうなラストだった。結局あいまいなラストとも言えるだろう。あんな犯人像を作り上げたことからの作者の良心か。。 |
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2002年1月9日(水) 「灰の迷宮」 |
文庫本の帯に「島田荘司、作家生活20周年フェア」と記されている。そうか、島田荘司は20年前デビューの作家だったのか。当時、推理小説で活躍する刑事といったら、靴をすり減らして歩き回り、場末の食堂でラーメンをすする、そんな風采のあがらない男のイメージだった。松本清張の社会派推理が全盛の頃であろうか。そんな時代に颯爽と登場させた刑事が警視庁捜査一課の吉敷竹史である。彼ののたたずまいはと言うと。身長178センチ、やせ型、長髪で目は二重、鼻筋通り、仕立てのいいスーツを着こなして、一見ファッションモデルのよう。もちろん女性にもてるわけだ。 先月読んだ「Yの構図」は実際に起こったいじめによる自殺をテーマにしたもの。吉敷刑事が、東北新幹線と上越新幹線内の2つの殺人事件の犯人を盛岡で追い求めるミステリーだったが、犯人は心情的に一番犯人にしたくない人間だった。作者もそのことは心に引っかかったものがあるのか、最後は幾分あいまいにしてごまかしたところがある。 今回読んだ「灰の迷宮」もそんな感じを持たせる人間を犯人にしてしまう。作者は犯人の可能性のある人間をすべて殺してしまう。吉敷が悩む。あと犯人とすべき登場人物がいないのだから無理もない。そんなシチュエーションでラストに突入するのだ。当然トリックに無理が生じる。あまりに偶然に頼りすぎたり、必要以上に殺人動機を大きくとらえすぎたり。あんなことで一生を棒に振るかも知れない殺人を犯そうとするかよ。地位も名誉も分別も学歴もある人間が。 今回は吉敷より先に見破った謎が何点かあった。 |
2004年5月2日(日) 「ら抜き言葉殺人事件」(島田荘司・著) |
先日の岩手日報に「ら抜き言葉」に関する記事が出ていた。道路案内看板に書いてある「〜に出れます」の表現が間違っていると指摘され、当局がすぐに「〜に出られます」と訂正した、というものである。「出れない」や「出れる」等は普通に使って良さそうな表現であるが、正しくは「出られる」、「出られない」である。 「見れる」、「食べれる」など、いわゆる「ら抜き言葉」は間違いとされている。集英社イミダスによると、ら抜き言葉は、「あらたまった場での使用は認知しかねるが、国民を拘束するものではなく、一種の呼びかけ」(文化庁国語審議会)と説明されている。 「ら抜き言葉殺人事件」にはその「ら抜き言葉」を異常に嫌う人物が2人登場する。笹森と笹森の高校時代の担任教師、大竹である。笹森が自殺し(?)、彼女が、ら抜き言葉を執拗に指摘した小説家・印旛沼が殺される。笹森が印旛沼を殺し、その後自殺したものと思われるが、「ら抜き言葉」ぐらいで殺人まで犯すのか? 当然、ラストでは捜査一課・吉敷竹史によって真相が暴かれる。意外な真犯人も判明する。だが、何か物足りない。結局は男女の愛憎による連続殺人事件だったが、表題の「ら抜き言葉」が途中から宙に浮いてしまった。中盤までの笹森対印旛沼の論争は大変面白い。さらに印旛沼の一夫一妻制への提言も、良し悪しは別として、説得力がある。しかし、結局、2人が「ら抜き言葉」をあれほど異常に憎むの何故だったのだろう? |