松本 清張
2008年4月3日(木) 「危険な斜面」(松本清張・著)を読む |
若い頃、松本清張の推理小説ばかり読んでいた頃がある。文春文庫「危険な斜面」に収録されている短編は表題作の他に、「二階」、「巻頭句の女」、「失敗」、「拐帯行」、「投影」の6編。いずれもその頃読んだ(と思う)短編である。内容についてはすでに何も覚えていないが、読んでいくにつれて、松本清張の独特の文体や語り口に懐かしさを覚え、既視感(デジャヴ)ならぬ既読感を感じる。感じるだけではなく、ラストのどんでん返しやトリックに途中で気付いてしまう作品もあった。 トリックやラストを分かったものは、「拐帯行」と「失敗」。これらは既読感からではなく、普通に初めて読んでも分かりそうなラストである。特に「拐帯行」はそうである。それでもなお一番面白いと思ったのがこの「拐帯行」でもあるのだが。 映画かドラマでも見たことがある「危険な斜面」は後半にある男が登場してから俄然面白くなる。前半はよくある男と女の危うい関係を描く。どこかで破綻することが予測される展開である。男が女を殺すのか。松本清張の作品ならずともよくあるストーリーだ。しかし、突然、何の脈絡もなくある男が登場する。何度前のページをめくって読み返しても登場していない人物だ。なるほど、前半に感じていた居心地の悪さがこの男の登場によってすっきりと収まるのだ。 最後の「投影」は納得の行かない作品だった。なぜか?トリックがあまりにもうまくいき過ぎるから。偶然に頼り過ぎ、いくら何でもこのようになるはずがない!そんなトリックに読者は唖然とするだろう。昭和30年代の読者ならあれで満足したのだろうか。 本の帯に書いてあるフレーズがいい。「男というものは絶えず急な斜面に立っている。爪を立てて上に登って行くか、下に転落するかだ」。危ういバランスを取りながら斜面でゆらゆらしているのが自分かな、と思ってしまう。 |
2006年11月23日(木) 勤労感謝の日 「蒼い描点」(松本清張・著)を読む |
若い頃は松本清張の推理小説ばかり夢中になって読んだ。光文社のカッパブックスが好きで、「ゼロの焦点」、「Dの複合」、「砂の器」など、主に長編を好んで読んだ。読後は巻末の余白に日付と感想などを2、3行書いたものだ。もちろん、当時のカッパブックスは今は一冊も残ってない。 「蒼い描点」も確かに読んだことがあるが、他の文庫本数冊といっしょに勢いで買ってしまった。菊川怜主演でドラマ化(フジテレビ松本清張スペシャル)されるという帯の文言に乗せられたのかも。 「蒼い描点」は文庫本で658ページもあり、2、3日で一気にというわけにはいかず、ちょっと疲れた。東野圭吾など、読みやすいミステリーに慣れていると、昔の推理小説は、それはそれで面白いのだが、展開がのんびりしている感は否めない。 新潮文庫としての発行は昭和47年だが、作品発表は昭和34年だという。箱根の旅館から東京の会社に電話をするにも、帳場に頼み、混み具合により数十分も待ったりする。個人宅へ至急の連絡には電報を使う。秋田に行くのに上野から夜行列車に乗り一晩もかかる。探偵役の主人公2人も自家用車を持っておらず、移動に電車やタクシーを使う。そして、昔は当たり前だったが、どこでもタバコをプカプカ吸う。吸殻は路上にポイと捨てる。今では考えられないことである。 謎はかなり大きい。言わずと知れた社会派ミステリーである。殺意は十分な動機に裏付けられる。ただし犯人は中盤でやっと登場する。誰も犯人とは予想しなかった人物である。ラストの遺言ですべてが解明されるが、ケーブルカーで登ったり降りたりする2つの温泉旅館に通じる秘密の通路(?)、1時間半の遅延の長距離トラックの行程、典子が夜と朝に会った人物の時間的意味合いなど、注意深く読まないと訳が分からなくなる。 それにしても探偵役の崎野の推理は出来すぎである。警察でもない普通の出版会社に勤める会社員が普通に仕事をしながら時には2日ぐらい休んだりして事件を解明する。ラストの千石原の対決も納得の得られるものではなかった。ヘッドライトの目くらましなど、うまくいき過ぎである。 それでも面白かった。不満はあるが、飽きずに読み通せるのは松本清張のなせる技なのだろう。 |
2006年10月31日(火) 「証明」(松本清張・著)を読む |
松本清張の文庫本を新しい装丁に惑わされ2冊買ったが、「蒼い描点」は昔読んだ長編だった。中短編4作品が収められた「証明」は読んでいない。 「証明」 妻はきっと不倫している。異常な夫の猜疑心に妻は耐え切れなくなり、ついに・・・。 「新開地の事件」 農地が住宅地に変わっていく新開地での事件。犯行に及ぶ場面で結婚指輪を抜き取る、その動作が両手を合わせて、つまり合掌して拝んでいた姿に写る、ここがポイントである。 「密宗律仙教」 清張の社会派推理小説には珍しいエロい作品である。1970年の作品であるからもちろんオーム真理教を題材とした作品ではないだろうが、教祖の女好きなど、新興宗教のなり上がりなど、一部オーム真理教を思わせる内容である。 「留守宅の事件」 夫の東北出張中に東京で妻が殺された。トラベルミステリーとも言えるアリバイ崩しが中心となる作品。被害者が東京で殺されたという先入観が謎を深める。犯行現場が東京でなかったらと考える、そして移動手段は?などと考えてみよう。 |
2005年10月16日(日) 「黒革の手帖」(松本清張・著)を読む ラストにギョッ!となる |
米倉涼子、釈由美子、仲村トオルらの出演で高視聴率を挙げたTVドラマの原作本である。最近また土曜日の昼過ぎに再放送されているようだ。TVドラマはほとんど見ないので、もちろん「黒革の手帖」も見なかった。 余談であるが、先日ある研修会で講師が言った、「先生方、『ドラゴン桜』は必読書ですよ。(漫画だけど)盛岡一高では推薦図書になっているとか。うちの息子は全巻揃えて毎日読んでますよ(なんだ、息子自慢かよ)。テレビでもやってましたね。えっ、見ていない?教育関係者必見のドラマですよ。それから『女王の教室』も見るべきだったですね。でも最後はちょっとね・・」。受験指導や学級経営に役立つドラマだった、のだとか。じゃあ、「ごくせん」もか? 松本清張の推理小説はかなり読んだが、「黒革の手帖」(推理小説ではない)は読んでいない。先月、たまたま立ち寄った遠野駅前のトピア内O書店(ブックスO)で文庫本(上下巻)を買い、今朝、読み終えた。一気読みではなく、こま切れ読書で。 これも余談だが、O書店は立ち読みがしづらい本屋である。狭い店内だからカウンターからほとんどのコーナーが見渡せる。背の高い店主が首を左右に動かしながら見張っているのだ。本屋に行く目的は買うのと立ち読みと考える私にとっては、あのオヤジはいや〜な存在だ。今はどこでもフリーに立ち読みさせるじゃないか。見て見ないふりをして本でも読んでいればいい。 さて、「黒革の手帖」。銀行に務める平凡な女性が、架空名義預金者と口座リストを黒革の手帖に書き留め、務めていた銀行から7500万円(テレビでは1億2千万円)を横領する。それを元手に銀座にバー「カルネ」を開店する。「カルネ」とはイタリア語で「手帖」の意味だった。さらに、黒革の手帖に記載された脱税リストで産婦人科院長を恐喝し、裏口入学者リストでは医科歯科大進学ゼミナールの理事長から2億数千万円を脅し取ろうとする。高級ナイトクラブ「ルダン」の乗っ取りのためである。 下巻になると一時忘れてしまうが、波子(釈由美子)との熾烈な戦いは以前として続く。そしてラストはかなりサスペンスフル。このあたりはさすがに推理小説家のタッチであろう。原作とTVで違う人物設定は楢林。原作では産婦人科病院長であるがTVでは美容整形外科病院長になっている。どちらも保険診療以外で脱税しやすい職種であろうが、あのラスト数行の恐ろしさは産婦人科病院長でなければならない。TVドラマはどんなラストだったのか。土曜日の再放送を録画しているが、手っ取り早く、DVDをレンタルした方がよいかな。 それにしてもあのラストにはびっくりした。思わず声が出そうなラストである。 |
2001年3月11日(日) 「砂漠の塩」 |
久しぶりに松本清張の推理小説ではない小説を読んだ。男女の中東への逃避行を描いたものであり、ラストは2人が心中を図る。2人を追って日本からはるばるやって来る夫も、2人に会う前に事故で重傷を負い結局死亡するという、なんともやりきれない、救いようのない暗い内容である。 ストーリーとはあまり関係ないと思われる松本清張お得意の学術的説明が多すぎ、レバノンやイスラエル等のの歴史的、政治的、人文学的蘊蓄をたっぷりと読ませられる。そのあたりは飛ばし読みしたところもある。 最近の小説とは違い、ストーリーの展開が遅い。いらいらする。しかしそこは松本清張、殺人事件は起こらないが、読み進むにつれ、結末がどうしても知りたくなる。結局最後まで読ませてしまう所は、さすが松本清張である。 休みの日に古い文庫本を持ち込み昼間からゆっくりと風呂に入るのが最近のリフレッシュメント。1時間はたっぷりと本が読める。いくら注意しても本が濡れてしまうので、持ち込む本は、昔買ったツンドク状態の、読んだら捨てて良い古い文庫本である。そんな本はたくさんある。 数年前から学校で朝10分間の読書タイムがはやりのようである。朝読(アサドク)と呼ばれ、その実践が発表され読書習慣の効果大であるというが、私の場合は、言うなれば風呂読(フロドク)である。 |
2001年4月12日(木) 「黒の回廊」 |
松本清張の長編推理小説「黒の回廊」を読んだ。先月読んだ「砂漠の塩」同様にヨーロッパが舞台である。女性だけ30人のヨーロッパ観光ツアー、スイスのユングフラウヨッホやスコットランドのウィンザー城などでの連続殺人事件、ラストの大どんでん返し。長編推理小説の楽しさを堪能できる作品である。犯人の特定を納得づめで説明した後のどんでん返しで読者は心地よくだまされてしまう。 ラスト近く、犯人と思われる人物が特定され、後はお決まりの白状(経緯説明)で終わると思いきや、その人物(女性)が大逆襲する。探偵役に回った彼女が大胆な推理で本当の犯人を追い詰めるラストシーンは圧巻である。またしても松本清張にいいようにあしらわれた感じだ。やられた、うーん、やっぱりかなわない。 |
2002年1月21日(月) 「影の車」 |
本書は昭和36年(1961年)月刊雑誌「婦人公論」に連載されたという短編7話から成る連作推理小説である。今から40年余りも前の作品である。トリックに電話電報が使われたり、医者が馬で往診に行ったりする。また、30年間勤めた退職金が150万円であるとか、ご休憩300円よりショートタイムで1000円など、時代の古さを感じさせる。しかし古くてもそこは松本清張。犯罪動機や人間関係が生々しく、面白さは期待を裏切らない。安心して読める短編推理である。 松本清張の作品は、昔、光文社のカッパノベルズで手当たりしだい、かなり読んだ。代表作はほとんど読んだと思っていた。しかし、なんのなんの、松本清張全集も出ているくらいである。当然、その膨大な作品群はカッパノベルズだけではカバーしきれていない。まだ読んでいない作品も多いのだ。 「潜在光景」は多分、映画化された作品ではなかったか。映画のキャッチ・コピーの中の「6歳の子どもの殺意」のフレーズがまだ記憶にある。 「典雅な姉弟」はなんと近親相姦に絡む最後の文章で読者を陥れる。 「万葉翡翠」は松本清張お得意の考古学や古代史を扱う独壇場。彼の学者ぶりをこの作品でも披露する。 「鉢植えを買う女」は推理小説には珍しい完全犯罪でフィニッシュとなる。でも彼女の場合は許せる、かな?幾分ホラーぎみ。彼女の犯罪をあばく後日談を書いてみたいなんてだいそれたことを考えたりして。。 「薄化粧の男」は完全犯罪が数年後にほんのちょっとしたことから破綻するよくあるパターン。本妻と妾という敵対する二人が共犯でしかもそれぞれがアリバイを証明するという設定。あんなことがなければ完全にお宮入りだったのに。 「確証」は妻の不貞を疑いそれを証明するためにあることをする。そこまでするかい?という男の執念が怖い。 「田舎教師」は雪と足跡とさらにある物を使ったトリック。主人公の想像で終わる物語だが、説得力のある結末である。 松本清張の短編は本当に面白い。何があるからわからないから最後の一行まで気を抜けない。短編推理小説はこうでなくちゃ。 |
2002年2月12日(火) 『或る「小倉日記」伝』 |
松本清張の、推理小説ではない初期の短編集である。『或る「小倉日記」伝』を含む12編が収められている。 松本清張の出世作、『或る「小倉日記」伝』は第28回芥川賞(昭和27年)受賞作品である。「小倉日記」は、森鴎外が軍医部長として明治32年から3年間、九州・小倉で生活した時に書き綴った日記である。この日記が所在不明であることから、ある障害者が小倉での森鴎外の足跡を追うといった内容である。 読めない漢字、難しい表現が時々出てくる。「開基は黄檗の即非である」という文に頭を悩ませた。黄檗(おうばく)が黄檗宗の僧侶であることや黄檗の三筆と言われる人のいたことを初めて知る。即非とは即非如来であった。 例によって松本清張の様々な学問分野における造詣の深さに脱帽である。この短編集の中でも随所に発揮されている。「或る小倉日記伝」では純文学(森鴎外)、「菊枕」では俳句、「断碑」と「石の骨」では考古学、「笛壷」では古代史、「青のある断層」では絵画(芸術)などである。松本清張らしい重々しい作品であり、短編ならではおもしろさを存分に味わえる。 「旧石器時代は大陸や欧州の方にはあるが、日本にはまだ認められないというのが、学界の定説であった(石の骨)」の一説に一昨年のねつ造事件を思い出した。 後半に収録されている「喪失」、「弱味」、「箱根心中」などは、これも清張らしい文体で、やりきれなくなる男女の仲や破綻を描く。殺人にはつながらないから推理小説のカテゴリーではないが、推理小説のように最後の1文まで気が抜けない。これらも松本清張らしさが十分に現れている短編である。「松本清張の文学のエッセンスは短編にある」。解説を担当しているある評論家の言葉である。 |