野沢 尚


2005年7月13日(水) 「深紅」(野沢尚・著)を読む 映画化され9月公開のサスペンス
 野沢尚は、「破線のマリス」で江戸川乱歩賞、「眠れる森」では向田邦子賞、そしてこの「深紅」で01年の第22回吉川英治文学新人賞を受賞している作家である。元々はテレビや映画の脚本家であり、「眠れぬ夜を抱いて」や「その男、凶暴にして」など、大ヒット作品を手がけてきた。彼の作品はすでに何冊か読んだが、その中でも、「リミット」は非常に面白い作品だった。
 そんな第一線で活躍する、超売れっ子作家、野沢尚が自殺したのは、つい昨年のことである。本の帯によると、野沢尚本人の脚本で映画化され(出演:内山理名、水川あさみ、緒形直人ほか)、公開は9月だという。さらに先日は、テレビCMで早くも映画「深紅」の宣伝をしていたが、野沢尚の遺作と言っていたような気がする。ということは、野沢尚はこの脚本を完成させてから死んだということか。
 一家惨殺事件でただ一人生き残ったのは、修学旅行で家に居なかった奏子(かなこ)だけだった。事件から8年後、犯人の都築は最高裁で死刑の判決を受ける。当時12歳だった奏子は今は20歳の大学生である。やがて奏子は、家族を殺した犯人にも奏子と同じ年の娘、未歩がいたことを知り、正体を明かさずに未歩に接近する。被害者の娘と加害者の娘。立場は違うが2人とも消しがたいトラウマを背負って生きてきた。
 小学校6年生、奏子の視点で事件を描く第1章は残酷である。なぜ両親と2人の弟はあんな殺され方をされなければならなかったのか。その答えとなる第2章は犯人、都築の上申書の形で、つまり犯人側の視点で事件の全容が語られる。第1章と第2章のこの逆転劇は見事である。読者の感情移入は数十ページの中で、180度完全に入れ替わるのである。
 さて、問題は第3章以下である。第2章までのドラマティックな起伏と第3章以下のゆるやかな展開に賛否が2つに分かれる。1つは、作者は第3章以下を描きたくて第1、2章を書いた。第3章以下の方が小説としては面白い。ラストもあれでよかった。満足した、というもの。
 2つ目は、第2章までの面白さを認め、第3章以下を退屈と切り捨てる。ラストも不満足、平凡であるという。中盤までに描かれていた伏線もラストで何ら語られることがなかったじゃないか、というもの。
 私は、どちらかというと、後者の意見。途中までミステリアスに語られた、子ども2人を都築が殺したのかどうか空白の数分間のこと、そして、最高裁まで彼が戦った理由が、結局語られずに終わってしまった。ほっとするラストであるが、少し欲求不満が残る読後感である。
 
2002年1月13日(日)  「リミット」
 テレビや映画の脚本家として有名な野沢尚(ひさし)はミステリー作家としても一流である。江戸川乱歩賞(破線のマリス、97年)や吉川栄治文学新人賞(深紅、01年)も受賞している。99年にはドラマ部門では向田邦子賞も。
 今日読んだ「リミット」はまるでハードボイルド・アクション映画。ノンストップの女版ダイハードだ。98年講談社単行本、01年に文庫本として発刊されている。文庫本で500ページを越す長編であるが、読み応え十分、しかし疲労感かなり大。長さのためではない。先を読めないまさにこれこそ驚愕のストーリー展開、のせいだ。
 こんなストーリーを考えるとは正気の沙汰ではない!全編息詰る緊迫感。読み進めるのが辛くなる残酷な小説である。誘拐をテーマにした犯罪小説であるが、最後のどんでん返しの連続などは推理小説の趣きもある。
 ストーリーは子どもの連続誘拐事件を中心に据え、警察内部の確執、縄張り争い、人身売買、闇の臓器移植、異常少年愛、そして母子の何よりも強い絆など、盛りだくさんだ。それにしても女性は強い、そして怖い。限界を超えても生き続けるのは男よりもやはり女だな。
 映画やテレビの脚本を多く手がけている作家のためであろうか、表現や場の設定、テンポの良さなど、なんとも映画的な小説である。それも私の好きなジャンル、アクション・ミステリー。誰かに映画化してもらいたいような小説だ。アメリカ映画の方が良いな。主人公の女刑事はデミ・ムーアかシガニー・ウィーパーがいい。
  
2002年7月20日(土) 「眠れぬ夜を抱いて」(野沢尚・著)
 今年の4月11日からテレビ朝日系で全国放映されたという「眠れぬ夜を抱いて」の原作本である。TVドラマは全く見ないからどんなドラマなのか知る由もないが、作者は今をときめく売れっ子作家、野沢尚である。彼の作品なら面白いこと請け合い、安心して波乱万丈のストーリーに酔いしれることができる。前回読んだ「リミット」も期待にたがわずスリリングでエキサイティングだった。「誘拐」という古典的ミステリー題材に現代的味付け(それも子どもの臓器売買というショッキングな現代性)をたっぷりと施した犯罪小説だった。
 「リミット」のイントロが誘拐なら「眠れぬ夜を抱いて」のイントロは失踪、それも親子3人から成る家族2組の大量失踪劇である。それがプロローグのアメリカ・マイアミでの銀行強盗と関連があることが徐々に判明し、「バブルの清算」という大きな社会性を持ったテーマに広がっていく。一人称手記のミステリーでは絶対不可能な(あたりまえだが)、物語の視点を何度も変え、同シチュエーションでのフェードバックを多用している。主人公を中心に展開するものではない。いくつかの(登場人物の)視点からストーリーを語るこの手法は、事件の流れを読者により印象付ける上でとても効果的である。
 読んでいて、オヤッと思ったことがある。383ページの記述である。「誘拐ほどワリに合わない犯罪はない。2年前だったか、商社マンの娘がさらわれるという誘拐事件を担当した女刑事が、自分の子どもをさわられ、犯人の要求に従って身代金の奪取に加担したという事件があったろう〜」。これは「リミット」の内容のことじゃないか。その後も「リミット」の事件を思い出させる記述が続くが、これは作者のお遊びか。彼の作品には他にも過去の作品に敷衍するくだりがあるのだろうか。次に野沢尚の作品を読むときには気を付けて読んでみたい。
 
2002年10月8日(火) 「破線のマリス」(野沢尚・著)
 「破線」とはテレビ画面を構成している525本の走査線のこと、「マリス」とjは英語で悪意、意図的な作為のことである。つまり「破線のマリス」はテレビ映像製作者側の情報操作、虚位報道、やらせ、でっち上げといった意味になる。
 野沢尚はテレビ界の申し子的ライターである。数々のテレビドラマのシナリオライターとしてその実力、人気共にトップクラスである。その野沢が97年にミステリー作家としてデビューした。デビュー作がいきなり第43回江戸川乱歩賞という華々しさ。その乱歩賞受賞作がこの「破線のマリス」なのだ。
 今までに読んだ野沢尚のミステリーは2冊。臓器売買と子どもの誘拐を扱った「リミット」、テレビドラマでも大ヒットしたという不動産売買と家族消滅の「眠れぬ夜」の2冊である。どちらも面白い、期待どおり、新感覚のミステリーだった。この「破線のマリス」も面白いこと間違いなし。昨年度の江戸川乱歩賞「13階段」もすごかったなあ。ともあれ、かなり大きな期待を持って読んだ。
 しかし、あれ、あれ、期待はずれ。。導入はサスペンスフルで、おっ!と思わせておいて、それはただのイントロ。アクション映画のイントロでないんだから、その後のストーリーとあんまり関係ない導入部は必要ないのでは?
 期待はずれの一番の原因は主人公、遠藤瑤子の描き方だろう。気合が入った主人公の行動に感情移入できない。なぜか居心地の悪さを感じながら読む。この女性がラストは完全に事件解決をする?いや、そんなことはなさそうだ。推理小説の楽しみが半減する居心地の悪さはこのせいか。


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