西村 京太郎 その2


 
 2016年1月24日(日) 「そして誰もいなくなる 東京−神戸2時間50分」(西村京太郎・著)を読む
 「そして誰かいなくなった」は夏木静子の本格モノ。豪華クルーザーの名前はインディアナ号。アガサ・クリスティのかの名作の孤島はインディアン島。夏樹の見立ては干支の置物、クリスティの見立てはインディアン人形。しかし、パロディやふざけではなく、十分に面白い推理小説だった。クリスティへの、いわばオマージュ的作品である。
 本屋で偶然手に取った西村京太郎の「そして誰もいなくなる」。副題に「東京−神戸2時間50分」とある。おっ、西村京太郎にも「そして誰〜」をもじった作品があるのか。きっと面白いだろう。
 西村京太郎の作品の中に「殺しの双曲線」という作品がある。いわゆる”吹雪の山荘”モノであり、これも「そして誰もいなくなった」的ミステリーである。1人殺されるごとにインディアン人形が減り(クリスティ)、干支の人形が減っていく(夏樹)ように、この作品ではボーリングのピンが1本ずつ減っていった。トラベルミステリーだけではなく、こんな本格モノも書くんだぞという意気込みを感じたものだ。もちろん、これも面白かった。
 そして、「そして誰もいなくなる」だ。この作品は「オール讀物」に平成25年5月号〜11月号まで連載されたものだというから、比較的まだ新しい作品である。題名に惹かれ、即買い、そしてサクサク読んだ。
 序盤までは面白いと思った。クイズ番組の挑戦者7人がクイズ旅行に招待された。ご当地に関わるクイズに答え、優勝者には賞金1千万円が出されるという。しかし、各クイズのうち2問を間違うとその旅行から強制的に帰される。1人減り2人減り、そして誰もいなくなるのだろう。まあ、そんなところだろう。
 まず、東京駅で1人が帰されたが、そのまま行方不明。2人目は神戸で脱落し、同じように行方不明になる。どこかで殺されているのだろう。さらに3人目、4人目と脱落者は続く。残ったのは3人だ。神戸から豪華クルーザーで瀬戸内海をクルージングとなるはずだったが、おかしい。船室内に閉じ込められた。元警察官、今は私立探偵の橋本が十津川らと連絡を取りながら事件を推理する。
 とまあ、設定はなかなか良い。しかし、無理やり推理小説に仕立て上げた展開はひどい。ご都合主義にもまいった。かの有名なクリスティの名作をもじる題名から期待して読んだのに、まったくの駄作だった。こんな題名にするならそれなりの作品でなければ、オマージュどころかクリスティや氏のファンに失礼だろう。
 犯人も動機も予想だにされずに悶々とするうちに、主人公・橋本の夢の中に出てきたのが国際的な殺し屋ケリー浅野とかいう人物。そこから急激に展開するストーリーは、ミステリーファンを馬鹿にしている。おいおい、夢オチならぬ、夢動機、夢犯人かい。
 確たる証拠もないのに花火でドカンと大きな音を出し窓ガラスを割る刑事たち。爆弾だ〜、逃げろ!と言って家の中に押し入るとか、拳銃をぶっ放す十津川らに興ざめした。副題の「東京−神戸2時間50分」も意味不明。内容に沿った副題ではない。  
    
2013年12月30日(月) 「殺しの双曲線」(西村京太郎・著)を読む  
 1979年というから30数年前の作品である。封書の郵便切手が15円という記述があるが、そんな時代に書かれた本格的ミステリーだ。
 作者はトラベルミステリーや2時間サスペンスドラマの原作でおなじみの、あの大御所、西村京太郎だ。なんと、アガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」に挑戦するかのようなミステリーだ。なかなかの本格もの、いわゆる「吹雪の山荘もの」だ。時々見かける、本格派のミステリー作家(綾辻行人や東野圭吾も)がおちゃらけで書いたものではない。
 冒頭、「この小説のメイントリックは、双生児であることを利用したものです」、という断り書きがある。ノックスの探偵小説十戒に、「双生児を使った替え玉トリックは、あらかじめ読者に知らせておかなければアンフェアである」、だからと言う。
 最初から一卵性双生児、小柴兄弟がこれ見よがしに窃盗や強奪などを繰り返す。小柴兄弟のうちどちらかが犯人であるが、警察では決め手を欠き、どちらかの犯人を逮捕できない。なるほどこれが双生児を使ったトリックというわけか。
 これらの犯行と同時期に、東北の雪深い奥地にあるホテル観雪荘に、東京から6人の招待客が集まってくる。お互いに共通点は見当たらない。管理人は早川という男だ。アガサ・クリスティの作品のように、1人また1人と殺され、自殺者を含めて誰もいなくなってしまうのか。観雪荘の人物は管理人を入れて7人だ。クリスティに挑戦と言って、7人と10人か。人数は少ない方が読みやすいな。どうせ、トリックも大したことはないだろうと高をくくって読んだ。
 「そして誰もいなくなった」では1人殺されるたびにインディアン人形が1個ずつ無くなっていく。この「殺しの双曲線」ではボーリングのピンが1本ずつ減っていく。ボーリングのピンは10本あるはずが、最初からすでに9本しかなかった。7人の登場人物なら7福神人形など7つのアイテムでいいのでないか、といぶかしむ。
 そんな違和感を感じながら読んでいくと、なんと西村京太郎はアガサクリスティに真っ向から勝負を挑んだかのように、実はボーリングのピンは10本から減っていくストーリーだった。つまり10人の犠牲者を想定していたのだ。ラストに分かるが、最初にピンが9本だったのは、その時すでに犠牲者が1人いたということ。これに7人の犠牲者を合わせて8人だ。あと2人はどうするんだろう。
 そして、さすが西村京太郎と思わせるのが、クリスティの10人に対抗した10人想定のトリックが徐々に明かされる。探偵役は特に登場させず、刑事たちの推理で謎は明かされていくが、ここでもトリックは双子の兄弟だった。つまり双子は2組登場するのだ。推理に行き詰まりにっちもさっちもいかなくなった刑事たち。しかし、ラストの1ページで、あることから犯人が自白する。
 犯人の動機が弱い、重要なカギを握る人物が最初から登場しない、吹雪の山荘ものにある追い詰められた緊迫感が感じられない、ストーリー運びが強引である、観雪荘の客ら全員分の指紋を消したり、全員の顔を叩き潰すなど力技によるトリックは、ややご都合主義である。アガサ・クリスティに挑戦したのは若気の至りだったのだろう。
 双子の入れ替えや替え玉による犯行トリックが2度も使われるが、別の探偵や刑事ならこの犯行論理を覆す人がいるかも知れない。別な作家なら双子の犯行による論理の破綻を引き出し、簡単に解決にこぎつけるかも知れないな。そんなことを考えながら読んだ。「吹雪の山荘もの」を好きな人は読んでみてください。 
 
2010年9月10日(金) 「北リアス線の天使」(西村京太郎・著)を読む 浄土ヶ浜に逃避行?  
 三田総合病院に入院中の高名な画家、篠崎源一郎がある夜病室から担当看護師と共に姿を消した。篠崎はガンで余命いくばくもないが創作欲はまだ旺盛で、最後の大作を描くつもりだったらしい。しかし車椅子でしか移動できない篠崎が、看護師と一緒とはいえ、いったいどこに行ったのだ。
 三田総合病院という病院名に、ん?どこかで聞いたことがある病院だ。そうだ、港区三田に実際にある国際医療福祉大学三田病院だ。春には実際に見学もしたが、政治家など有名人やタレントもこっそり入院などするという。このミステリーに登場する病院は三田総合病院。実在の病院名と似たネーミングはいかがなものか。病院内で不正が行われるとか院長が悪人であるとか、そんな設定ではなかったが、行方不明の患者を捜索しないという不可解さ、病院と行方不明患者の家族との間に何かがあるようだ。
 篠崎が画家活動最後の作品のために選んだ景勝地は宮古の浄土ヶ浜だった。篠崎がどうやって浄土ヶ浜にたどり着いたのか。もちろん担当看護師の田代由美子が援助した。彼女が夜勤の時、こっそりとタクシーで大宮まで行き、大宮からは新幹線はやてで八戸まで行く。八戸から久慈までまたタクシー、久慈駅で海岸線を走る北リアス線のレトロ列車に乗り宮古に南下する。2人に恋愛感情はないが、浄土ヶ浜への逃避行。
 看護師由美子の視点で書かれた前半はなかなか良い。毎日浄土ヶ浜に行き絵を描き、また久慈駅まで北リアス線に乗り車内風景も描く。やがて浄土ヶ浜で天使のような少女に出会う。彼のイメージにぴったり合うモデルだ。浄土ヶ浜を背景に少女を描く。百号の大作だ。完成すれば2億円、あるいは遺作となるから3億円の値が付くかも知れない。
 本の題名に「殺人事件」が付かないから、これは殺人事件の起こらないトラベルミステリーかと思った。それほど有名な画家が何日も人に知られず浄土ヶ浜で絵を描き、北リアス線を往復して絵を描くのは完璧にご都合主義。一緒に逃避行した由美子が後で自分から三田総合病院を辞めるだけで何の罪にも問われないのも変だ。
 中盤に視点がガラッと変わる。お馴染みの十津川刑事が登場する。東京で殺人事件も起こる。ミステリーなんだからそうでなくちゃ。十津川刑事が宮古にも来る。誰が考えても犯人と思しき人間もいるが、彼女が犯人であるはずがない。ミステリーのお約束ごとだ。
 十津川たちの推理で終わるラストは強引だった。由美子もからんでいたというのか。病院が捜索願いを出さなかった理由は何だっけ?あいまいな終わり方に少し不満。  
    
2007年5月13日(日) 「遠野伝説殺人事件」(西村京太郎・著)
 粗製乱造の西村作品の中でも、こんなにいいかげんな、面白くない作品も珍しい。題名につられて買う人も多いだろうが、被害者が遠野に来て語り部によるおしらさまの昔話を聞いていた、カッパ淵の川底の砂をすくっていた。ただそれだけで「遠野伝説殺人事件」という題名は詐欺だ。金を返せと言いたくなる。
 殺人の動機も犯人も遠野の伝説・昔話に全く関係ない。本格物によくある、童謡や昔話に見立てての、いわゆる見立て殺人もない。被害者が殺されるのは東京のマンションの駐車場である。その後の展開も長野や東京が舞台となる。遠野で物語が進行するのは被害者が早池峰に登り、ハヤチネウスユキソウを採取して逮捕される冒頭部分から、被害者の娘・佳奈子が身元引受人として遠野に行く、さらに十津川警部と亀井刑事が被害者の足取りを追って遠野に行く辺りまで。
 例によって作者は、最初に筆に任せて(?)謎をいくつか提示する。後で辻褄が合うようにきちんと解明させようとしたのだろうが、忘れたのか、解明されないまま終わっている謎もいくつかあった。
 まず、@被害者・佐伯はなぜ4月11日、まだ早池峰山は冬景色の中でハヤチネウスユキソウを採取できたのか。ハヤチネウスユキソウは6月から7月に開花する花だという。A他の高山植物なども一杯詰まっていたという胴乱はどこに消えたのか。B10枚ほど少なくなっていたスケッチブックはなぜ?何が描かれた部分が紛失していたのか。誰が破いたのか。C十津川と亀井をすっぽかし、置手紙を残して急に東京に帰った加奈子に、いったいどんな事情が起こったというのか。
 もったいぶって書かれたこれらの謎は、ラストまで読んでも解明されないままだった。途中から遠野の件は全く関係なくなり、遠野以外で物語は完結する。遠野伝説はほんの付けたし。無理やりこじつけた感じである。がっかり。カッパ淵の川底の砂をすくい取っていた理由は?これもまた必然性がなく、無理やりといった感じであり、笑える。科学者がそんなことをやるか。
 昨年の直木賞受賞作を読みたくて、作品が掲載された月刊「オール讀物」を買った。その時に連載されていた「遠野わらべ唄殺人事件」。気になっていた作品である。今回題名を「遠野伝説殺人事件」に改題し、新書版で最近発行された本であったが、見るべきは題名だけだったとは。。 
 
2005年9月17日(土) 「特急白鳥十四時間」(西村京太郎・著)を読む 
 十津川警部の部下、亀井刑事に1000万円の懸賞金が懸けられた。実際に大阪で亀井刑事が暴漢に襲われる。いったい誰がなぜ?カメさんへの私怨か、警察への挑戦か。
 例によって西村京太郎は最初に、そんなバカなという導入で読者を惹きつける。亀井刑事の顔写真と賞金の1000万円が印刷されたポスターも発見され、亀井の家族の所にも送付される。現役の刑事がWANTED!か、そんなバカな。真相解明のため、亀井は自ら囮(おとり)となり大阪―青森間を14時間で走る特急「白鳥」に乗り込む。
 かなり面白そうだ。電車という動く密室で、さらにタイムリミット付で犯人と思しき人間との対決。スリリングであり、映画化されたら絶対見たいジャンルの映画になりそう。あるいは、もしかしたら2時間ドラマですでにテレビ化されているのかもしれないが。
 しかし、亀井刑事への恨みのようだが動機が分からない。犯人は特定できても動機がない。接点すらないのだ。西村京太郎は多作ゆえ、きちんとプロットを考えてから創作に入るという作家ではない(と言われる)。筆の勢いに任せて書き始め、書きながらトリックや動機を考え、結末も徐々に考えていくのだという。だから時々駄作もある。
 この作品でも最後の最後に明かされる動機は弱い。納得できない。亀井刑事を本当に殺そうと思えば殺せたグリーン車内で、犯人はあえて殺さなかった。いや最初から殺さなくてもよい計画だった。そんなバカな。そんなことで、別の刑事の恋人のふりをしてして「白鳥」に乗り込んだ罪もない片山婦警が殺されていいのか。亀井刑事が乗り込んだ「白鳥」に、彼女も一般人の振りをして乗ったがために殺された。これでは浮かばれない。言うなれば、亀井刑事の勝手な行動により彼女は殺されたのだ。
 大阪から青森への時間を追っての展開は読んでいて楽しい。時々東京での操作も入るが、その結果を停車駅に電話や伝送(ファックスのことか)で知らせる。大半のシーンは特急「白鳥」内である。これはスリリングだ。しかし、面白いから読んでみてと人に薦めたいミステリーではない。面白いの、面白くないの、いったいどっちなんだ?う〜ん、ビミョウ・・・。
 
2004年5月26日(水) 「消えた巨人軍」(西村京太郎・著)
 東京から大阪への移動中、新幹線から巨人軍の全員が消えた。翌日甲子園球場で行われる阪神・巨人戦のため移動中だった。東京駅では確かに巨人軍の監督、コーチ、選手ら全員がひかり99号に乗った。しかし大阪駅では巨人軍の選手は誰一人と降りなかった。いったいこんなことが可能なのか。
 西村京太郎お得意の、不可能、不可解事件を最初にドンともってくるパターンだ。いわゆる消失物である。いろんなものを消失させるミステリーがあるが、およそ一番難しいのは鉄道の列車を消失させるものだろう。列車は線路上を走るしかないからだ。木谷恭介の「新幹線のぞみ47号消失!」はその最も難しい新幹線を消失させるものだった。が、期待して読んだ割には、トリックは、まあ、あれしかないよな、だった。
 じゃあ、走る新幹線から巨人軍の選手が忽然と消えるトリックとはいったい?いや、消えるのではない、誘拐されたのだった。誘拐にしたって、巨人軍の監督、コーチ、選手ら37人全員を新幹線からいったいどうやって誘拐するというのか?
 しかし西村京太郎は納得のいくトリックを用意している。現実的な可能性があるとは思われないが、徐々に解明されるトリックは、切れ味はイマイチであるが、まあまあのでき。決して奇想天外なものではなかった。
 身代金は5億円。誘拐事件を完成させるのに最も難しいのが、この身代金の受け渡しの方法。しかし犯人グループはいとも簡単に5億円の身代金を奪う。なるほど手際よい作戦だ。このあたりはなかなか”読ませる”展開である。
 西村作品でお馴染みの十津川警部と亀井刑事が登場しない作品である。活躍するのは私立探偵・左文字進とその恋人・史子である。この2人も西村作品によく出てくるが、十津川、亀井の頻度からいくと比較にならないくらい少ない。もっと活躍させてもいいコンビだと思うが。
 
2004年1月19日(月) 「消えた乗組員(クルー)」(西村京太郎・著)
 トラベルミステリーの大御所・西村京太郎は、初期の頃は海洋ミステリーも書いている。もちろんおなじみの十津川警部と亀井刑事も登場する。十津川が学生時代ヨット部に属していたということは海洋シリーズゆえのご都合主義か。後のトラベルミステリーではあまり役に立たない経歴であり、以後これに触れている作品は(私の読んだ限りでは)ないようだ。
 さて、西村京太郎黎明期のこの作品、謎は実にでかい。「魔の海」と恐れられる小笠原諸島沖合いで、行方を絶っていた大型クルーザーが発見された。船内には9人分の朝食が用意されていたが、乗組員は全員消えていた。やがてこの「幽霊船」発見者であるヨットマンたちが次々と怪死をとげる。果たして9人の乗組員はどこに消えたのか、発見者の連続殺人事件との関係は?
 いわゆる「消失もの」(巨人軍、タンカー、新幹線のぞみ、などが消失した)である。実際に19世紀後半、豪華帆船マリーセレスト号から乗組員9人全員が消えたという事実もある。「消えた乗組員(クルー)」ではそれと同じ状況を設定し、マリーセレスト号の謎にも迫ろうかという推論をいくつも展開する。
 しかし解決編となる自供を読むと、やはり、そこは勢いで書いているような西村京太郎。十津川の強引な推理が的中し、ある人間の大量殺人事件と、いとも簡単に片付けてしまう。ご都合主義もいいところだ。まあ予想されることではある。それでも西村京太郎を読もうとする自分はいったい何なんだ。こんな肩の凝らない推理小説を求め読むことも、私の大事なPASTIME(気晴らし、娯楽)なのである。
 
2003年3月2日(日) 「日本海からの殺意の風」(西村京太郎・著)
 もう西村京太郎のトラベルミステリーは読み飽きた、食傷気味、と思うのだが、ひょいと見た書棚に、読んでないのがまだあった。「日本海からの殺意の風」。標題の作品他2編が収録されている文庫本である。いつ買ったのか分からない。かなり長い間ツンドク状態だったようだ。紙が変色している。
 昨日買った本格物、「スウェーデン館の謎」(有栖川有栖・著)は後でじっくりと読むことにして、早速この「日本海からの殺意の風」を読み始める。少し風邪気味なので今日は”風呂読”はしないことにする。
 例によって最初の数ページでもう殺人事件が発生する。この導入部はなんとも魅力的である。おっ、と思わせるイントロだ。その後も虚飾を廃し単刀直入に物語りは進行する。小難しいことはなし、寝転がって読むのに最適のミステリーである。
 ワンセンテンスが短く、会話文が多い。ページは白い部分が多く、斜め読みでも理解できるほど。TVを見ながらでも読めるぞ(もちろんTVの内容もわかる)。
 やがて十津川警部と亀井刑事が登場する。相変わらず強引でご都合主義的な中盤を経て、物足りなさの残るエンディングへと一気に突っ走る。読んだぞ、面白かった!などという満足感が沸いてこない。特にこのような中短編はそうである。
 救いはまだ行ったことのない兵庫県の豊岡、城崎、香住など日本海側の町についてイメージを持てたこと。今年の8月に行くかも知れない松江や鳥取、行ったら乗ってみようと思っている出雲や丹後などの特急電車の知識を得たことだ。
 「殺人へのミニ・トリップ」は伊豆下田行きパノラマカー付きのサロンエクスプレス「踊り子」、「潮風に乗せた死の便り」は尾道と、それぞれ、乗ったことのない電車や行ったことのない観光地が舞台となる。旅情をかき立てられる、かな?
 
2003年9月17日(水) 「伊豆の海に消えた女」(西村京太郎・著)
 西村京太郎のトラベルミステリーは暇つぶしに読むにはもってこいの小説である。おなじみの登場人物と速い展開、そして列車(今回は踊り子3号やリゾート21、ひかり5号)と殺人事件。冒頭には関連する地図も掲載され、行ったことのない観光地に少しの旅情も味わえる。
 この作品では題名どおり、伊豆が舞台となる。有名な修繕寺や天城峠、石廊崎(いろうざき)も重要なポイントとなる。そう言えば最近読んだ別のミステリーにも石廊崎が登場する。何だっけ?忘れた。先月のMyDiaryの記述を見てみよう。そうだった、折原一の「石廊崎心中」である。石廊崎という場所は自殺の名所なのだろうか。
 さて、内容は?プレイボーイの青年実業家が殺される。関係のあった5人の女が捜査線上に浮かび、その中の1人が犯人とされる。しかし彼女は遺書を残して石廊崎で自殺(?)。事件は一見落着したかに見えたが、何か釈然としない。そのうち、第2、第3の殺人事件が発生する。十津川警部補と亀井刑事が登場。動機が全く見えてこない。動機は何なんだ。
 最初と最後はいい。しかし中盤がだれる。ネタバレであるが、自分を抹消し(覚悟の自殺に見せかけ)他人になりすますトリックはよくあるトリックであるが、あまりリアリティがない。こんなにうまく行くはずがない。安易にこれを使うのはどうかな。折原一や綾辻行人の本格派ならいい。お気軽な西村京太郎の作品でこれを見せつけられると興ざめである。
 
2001年8月19日(日) 「陸中海岸殺意の旅」 (西村京太郎・作)
、「陸中海岸殺意の旅」 (西村京太郎・作)を読む。好きな作家の一人であるが、この作品は「うーん?」だ。題名がけっこう期待感を持たせてくれるのだが。出だしはいつものように好調。題名の示す通り、花巻、遠野、宮古が舞台となる第1章は十分に推理小説の発展性を感じさせ、こりゃ面白い!と思う。しかしその後が続かない。ちっとも題名通りではないのだ。出だしのなぞを最後に解明してないところがあるぞ。広田の恋人、かおりが誘拐されたのはいったい、だれが何のために?すぐ解放されるかおりであるが、結局ストーリーとは何の関係もないような。最初の被害者川岸は20年前の宝石強盗事件とどんな関わりがあってだれに殺されたのか?これも解明されてなかったのでは。
 ものすごい執筆量の西村京太郎である。粗製濫造の作品も当然あると思われるが、そのうちの1つが、これ「陸中海岸殺意の旅」だったのか。少しがっかりした。


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