西村 京太郎
2001年10月14日(日) 「寝台特急ゆうづるの女」 |
(前略)その後、新聞もじっくり読み、さらに読みかけだった「寝台特急ゆうづるの女」を読む。読みかけというより、これは確実に前に読んだことがある推理小説だ。数日前に読み出したが、読んだことがあるぞと気がついたのは、半分くらい読んでからだったか。西村京太郎のトラベル・ミステリーは、駅シリーズ、本線シリーズ、列車シリーズなど、題名に似たようなのが多すぎ、読んだか読んでないか、題名からだけでは判別付かない場合も多い。「寝台特急ゆうづるの女」も内容や筋なんかとっくに忘れているから、結局もう一度最後まで読むことにする。 十津川も亀井も、そして読者もすっきりしない解決。中途半端な気持ちや欲求不満が大きければ大きいほど、最終の「第9章・最後の法廷」を読む期待感が高まる。意外な結末を期待したのだが。。もう一人、別の女がいたなんて、誰だって予想できたんじゃないの?女子プロ選手だった女を最終章まで登場させないのもルール違反じゃない? それから、解説で武蔵野次郎という作家の書いていることって、ネタばれが多すぎるぞ。意外な真犯人が登場するラスト前までの内容に関わる記述がよけいだ。第8章までは笠井麻美が犯人と誰だって思ってるのに、解説では彼女が車で転落死し、意外な真犯人という記述がある。私は推理小説は解説を始めに読まない主義だから良かったが、解説を読んでから本文を読む人は興がそがれてしまうだろう。 なお、寝台特急ゆうづると青函連絡船は昭和63年3月12日で運転中にになったということ。そうか、平成にはもう、青函連絡船は無くなっていたのか。 |
2001年11月2日(金) 秋田新幹線「こまち」殺人事件 |
西村京太郎の作品群は気軽に読める。さあ、読むぞ、といった気合を入れる必要がまったくない。ストーリーの展開が速く、1ページ目から早くも殺人事件が絡んでくるなど、その作風は我々一般大衆のファンには受けがいい。「秋田新幹線〜」は、角館と東京での殺人事件を扱う、筆者お得意のトラベル・ミステリーである。 秋田新幹線が開通したのは97年3月22日。もう4年以上たっているんだ。東京から盛岡までは東北新幹線やまびこと連結されているが、盛岡で切り離され、雫石、田沢湖を通って秋田まで行く。山形新幹線と同じように踏み切りのある新幹線である。私はまだ乗ったことはないが、白の車体にピンクのラインの入る車両はどこか女性的で曲線美が印象的である。その秋田新幹線と殺人事件。本屋でこの文庫本を手に取った瞬間に、読みたい衝動と期待感が高まる。 さすがに展開はスピーディーである。物語が始まったとたんにすでに一人殺されているという設定だ。ヒロイン戸塚由美の秘密めいた行動とそれを追う十津川警部と亀井。怪しい人物がみんな角館に集まってくる。TVタレント中山、由美の前の夫・島崎、暴力団風の沼田、執拗に由美を追いかける原田、ベンツの男・長尾、そして高木弁護士。さらに十津川と亀井、その他の刑事が数人、みんな、みんな角館集合となる。これは強引なご都合主義だと思う。 推理小説によくあるご都合主義はさて置いて、読後感はさわやかである。十津川シリーズの中でもなかなか良くできた作品だと思う。「女性自身」に連載されただけあって、ヒロイン・由美の扱い方がうまい。読んだあとホッとする。素直に良かったと思えるエンディングである。弱者への配慮もなされている。あの知的障害児と若女将・由美のこれからの平穏な生活を願わずにいられないエンディングである。 角館は若い頃一度だけ訪れたことのある街であるが、もう一度行ってみたくなった。 |
2001年12月14日(金) 「終着駅(ターミナル)殺人事件」 |
旅情をかき立てる大胆な状況設定と奇抜なストーリー展開。西村京太郎、渾身の作と言っていいだろう。さすがに日本推理作家協会賞を受賞した秀作である。 青森県F高校の男女7人の同窓生が上野発の寝台特急(ブルートレイン)「ゆうづる7号」で卒業後7年ぶりに郷里・青森へ向かう。7年後に7人組で故郷・青森まで旅をしようという高校時代のロマンティックな約束に従ったものだった。気の利いた文面の手紙とゆうづる7号のキップを送ったリーダー格の宮本とその友人たち6人。上野・青森間の楽しいブルー・トレインの旅は一転、連続殺人事件の始まりとなる。 上野駅構内で7人のうちまず1人が殺された。途中の水戸駅で降りたと思われる2人目は鬼怒川で何者かに殺され、3人目は青森のホテルで密室殺人事件の被害者となる。4人目は青森駅の待合室で座ったまま死んでいた。5人目は上野の駅で毒殺される。そして6人目は。。最後の1人は。。。 あっ!この展開はあのアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」と同じ設定じゃないか。大きく違うところは招待者が未知の人物であること(クリスティ)と招待者が7人のうちの1人であることである。結局、最後は全員死んでしまうところもクリスティを意識しているか?しかし夏樹静子の「そして誰かいなくなった」ほどの類似性はない。 「終着駅〜」では最後の最後まで動機が見えてこない。密室殺人事件のトリックと時刻表トリック、物理的に不可能な複数の殺人トリック、さらにはダイイング・メッセージまで、推理小説の面白さをたっぷりと詰め込んだ長編である。おまけに亀井自身の活躍がミス・ディレクションというちょっとずるい設定も用意されており、読者は完全に(亀井の推理に)だまされる。 この作品で亀井刑事の故郷が青森であることを初めて知った。彼の出身高校がH高校とあるが、名門弘前高校のことだろうか。 |
2002年1月15日(火) 「L特急たざわ殺人事件」 |
西村京太郎の執筆量はすごい。あんなに書いていたら中には駄作もあるだろう。「L特急たざわ殺人事件」はそんなうちの1冊なのかもしれない。盛岡の女性が秋田の男鹿で殺され、さらに後生掛温泉、不老不死温泉、十二湖、そしてL特急たざわのグリーン車内の連続殺人事件へと続く。西村京太郎お得意のトラベルミステリーである。一昨年、不老不死温泉に泊まったこともあり、興味深く読んだのに、がっかり。 安易に人を殺したり、火災を発生させたり、入院患者をすり代えたり。お気軽すぎる。必然性が疑問。強引過ぎる展開は手抜きの表れか。展開の速さ、軽さ、勢いなどは西村京太郎ミステリーの特徴であることは十分に理解しているつもりであるが、それにしても限度があるというもんだ。 莫大な資産を持つ女性が殺され、遺産相続は数人の関係者に限られる。その人たちが次々に殺されていったら、犯人はまだ殺されていない人間であるはずだ。誰が考えても犯人である人間が犯人。どんでん返しも何もなかった。事件の解明もその犯人から自白させるお気軽さ。トリックを解明するのは十津川でも亀井でもなく、犯人だったのだ。 |
2002年1月4日(金) 「十津川警部 赤と青の幻想」 大船渡の山浦玄嗣先生登場 |
「瞳の青いみちのくの日本人」は安藤眞という文化人類学者の書いた論文(「歴史と旅」1998年5月号)であるという。東北のある地域には、青い瞳の人がいることが報告されていて、その人たちは、もちろん白人との混血ではなく、代々、その土地で生活してきた純粋な日本人の血統であるという内容だ。 これに関連した研究として紹介されているのが、気仙語研究で有名な大船渡市の開業医、山浦玄嗣(ヤマウラハルツグ)先生である。山浦先生は気仙語辞典を著したり、気仙語劇を書き、演出をしたりと、気仙地方のみならず、県内で最も有名な医者であり文化人の一人である。その山浦先生が東北大学の助教授の時の調査が安藤眞氏の研究と一致するのだ。 山浦先生が宮城県の大和町の病院で働いていたとき、海のように青い目をした患者に出会う。その若者は、自分は生粋の土地人であり、先祖や親戚に西洋人はいず、自分の親戚には私のように青い目の人が多いと語る。驚いた山浦博士は宮城県の黒川郡や古川市などで土地の人々の目の色を調べ、420人の観察記録を得るという調査である。西村京太郎の推理小説に山浦先生が出てくるなんて。 もちろんこの青い目の東北人、それからさくらんぼの赤が「赤と青の幻想」というタイトルになる推理小説である。全部で6章からなる長編であるが、第3章と第4章が事件の謎を解く鍵として客観的に記述される。十津川も亀井もまったく登場させず、連続殺人事件の被害者の関係や動機などを読者に知らせる。犯人もほぼ見えてくる.。推理小説の展開とすれば異色であると思う。従って推理小説の最後のお楽しみである事件の解明やトリックの説明などの部分がまったくない。 しかし、それでも読者をぐいぐい引き込む手法はさすがに西村京太郎である。とにかく展開が速く、いちいち考えている暇がないほどだ。つじつまが少々合わなくたって勢いでおもしろかったなあと思わせる筆力には改めて感服する。 |
2002年1月17日(木) 「極楽行最終列車」 |
短編は物足りないと思いながらも気軽さからつい手が伸びる。本書は寝転んだままでも読み終える、西村京太郎のトラベルミステリー短編集である。 「死への旅奥羽本線」は婚約者が秋田へ帰省途中に宇都宮の鬼怒川で殺害される事件。アリバイ崩しと急行「おが」の列車構造上の特殊性がポイントとなるが、あんなにうまくいく?強引に結末へ持っていくのは短編という制限からか。 「18時24分東京発の女」は始まりが興味深い。生真面目なタイプのサラリーマンと不釣合いな美女の2人連れが金曜日の18時24分東京発の新幹線に乗る。それも2週続けてしかも別の美女を引き連れて。やがて2人の美女は殺されるが、犯人は?しかしその後の展開は尻すぼみ、だったと思う。 「お座敷列車殺人事件」はこの4短編のうち、最も面白い。お座敷列車殺人事件の容疑者がなんと、十津川警部の妻・直子。もちろん妻を信じる十津川警部とお気の毒と言いながらも直子を犯人と決め付ける刑事の対決。ラストは短編らしい気の利いたスパイス。しかし十津川のやり方は汚い? 「極楽行最終列車」の殺人の列車トリックは時刻表を一目見ればわかるじゃない。長野駅に56分も停車していれば人間1人殺す時間には十分だ。わざわざ23時58分上野発の「妙高」に再び乗って実証することなんて必要ないのに。 |
2002年2月7日(木) 「寝台特急(ブルートレイン)八分停車」 |
前に一度読んだことがある西村ミステリーである。最後まで読まずに途中で投げ出していたと思い最初から読み直してみた。しかしやはり最後まで読んでいたようだ。読み進めるに従い内容が思い出されてくる。あまり面白くなかったと感じたことまで思い出した。西村京太郎、筆に任せての乱作の1つであろう。 寝台特急「出雲3号」車内で京都駅8分間の停車時間を利用して殺人を企てる人間がいる。殺人対象者は東京にいる。どうやって殺すというのだ。頼りの亀井刑事は腎臓結石でいつ激痛に襲われるかわからない。案の定「出雲3号」車内で発作が起こる。助けてもらったのはその犯人と思しき医者だった。 設定も筋書きも、西村京太郎らしいと言われればそれまでだが、乱暴である。少しいい加減なところもある。相変わらずのご都合主義も。それでもストーリー展開に新鮮味やラストの意外性、人間ドラマの機微、旅情などが感じられると面白いミステリーだと思うものだが、それらがない、あるいはあってもおざなりだ。十津川と亀井はかなり早い段階から犯人を特定し決め付ける。必然性がなく説得力のないただの推測であるが、強引に犯人だと決め付ける。読者はついていけないと思う。結局その人間が犯人であることがラストで判明するが判明のさせ方も非常に不満である。 姑息とはわかっていても、圧力をかけて、相手をゆさぶり、相手がボロを出すのを、期待するより仕方がなかった。これはラスト近くの十津川の台詞である。この一節から見てもこのミステリーのつまらなさがわかるだろう。 |
2002年2月26日(火) 「謀殺の四国ルート」(西村京太郎・著) |
表題作「謀殺の四国ルート」のほか、「予告されていた殺人」、「城崎にて、死」、「十津川警部の休暇」の4編が収録されている。主に十津川警部の活躍を描く作品である。 「謀殺の四国ルート」では或る女優が中村市へ一人旅をする。昨年私が四国へ旅をした時とほぼ同じルートである。羽田から高松空港(私は松山空港だった)のところが違うだけだ。そして次々に起こる怪事件。土地土地の具体的なイメージがあるから興味深く読める。 松山から道後温泉へ。そこでは「坊ちゃん」で有名な木造3階建ての道後温泉本館にも行く。松山からL特急「宇和海」で宇和島に行き、宇和島からは予土線に乗り換える。特急も急行もないから各駅停車の普通列車で2時間余りかけて窪川まで行く。四万十川上流に沿って1両編成の気動車が走る。途中トロッコ車両1両をつなぐトロッコ電車も見える。窪川から中村まで行く土佐くろしお鉄道は第三セクターである。JRの列車も乗り入れているから、岡山発のL特急「南風」に乗りやっと中村市到着である。 中村市で四万十川を見て、翌日再び「南風」に乗り高知へ。高知ではタクシーで桂浜に行く。龍馬像を眺め水族館、闘犬の実演館など見て回る。そして高知空港から羽田へと帰って来る。まったく去年の私の旅程そのものである。西村京太郎も取材旅行で同じルートで巡ったのだろうが、こんなに一致するのも珍しい。 ということで表題作が最も興味を引いた作品である。推理小説的にも出だしからミステリアスであり面白い。偶然以外の何ものでもないと思われる出来事が仕組まれたものであったり、ラストで分かる偽名の謎(お遊び)や、読者をあざむくのが劇団員の演技だったりと、西村京太郎お得意のトラベルミステリーである。 他の3作品も読んで損はしない短編(中編かな)である。「予告されていた殺人」は手紙の予告通りの三連続殺人事件。わくわくする展開である。「城崎にて、死」はコンビニで美しい女性が不思議な行動を取る。これも最初から興味を持たせる。「十津川警部の休暇」では十津川が妻の直子と温泉旅行中で事件に遭遇する。息抜きの作品、かな? |
2002年7月6日(土) 「恐怖の金曜日」(西村京太郎・著) |
久しぶりに西村京太郎のミステリーを読む。軽いタッチ、目まぐるしい展開、強引なこじつけ、不自然な容疑者など、あちこちにアラが見える、これこそ西村京太郎の独壇場(褒めているのかけなしているのか?)と言える作品だ。ラストにフォローしないまま中途半端に片付けてしまう関連あると思われる別の事件や容疑者、弁護士など。あれはいったいどうなったのだ?きちんと説明してくれよ。 お気軽な気分で書いたような典型的な西村京太郎作品ではあるのだが、そのお気軽さが人気の所以なのだ。この作品も最初からハイテンション。いとも簡単に次々に人間が殺される。ミステリーでは必須のゲーム感覚の殺人なのだ。題材は切り「裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)」だ。 毎週金曜日の夜、きれいに日焼けした美人女性が襲われ、暴行され殺される。例によって十津川と亀井がこの事件を追い、ほどなく容疑者を逮捕する。だが、何かひっかかるものを感じる十津川。真犯人は別にいるはずだ。なぜそう思ったか?4人目の被害者(未遂)が他の被害者とある点で異なっていたからだ。金曜日の男を逮捕したと喜ぶ捜査一課との対立。もし真犯人が現れると誤認逮捕により警察は世間から非難の的になる。何よりも犯人逮捕で安心した次の金曜日、さらに被害者が増えることになる。 西村京太郎のストーリーもさながらこの文庫本では解説を書いている中島河太郎という人の解説もおざなりである。書いた後読み直したのだろうかと思われるほど支離滅裂な解説である。特に解説の始まりの第1文から第5文までの1ページ分がひどすぎる。私の日本語理解能力が低いせいだけでもなさそうな文法的間違いもあると思うが、どなたかにこの「解説文」の解説をお願いしたい気持ちである。 |
2002年8月17日(金) 「伊豆下賀茂で死んだ女」(西村京太郎・著) |
何年か前にプロ野球選手の脱税事件というのがあった。節税コンサルタントのような税金プロが、税について素人のプロ野球選手の税金操作を行い、結果的にプロ野球選手の脱税を引き起こした事件である。 プロテニス選手らの脱税疑惑が絡む「伊豆下賀茂で死んだ女」は多分この事件の後すぐに執筆されたものであろう。連続殺人は5人に及ぶ。なぜか伊豆下賀茂の名物菓子・メロン最中が、死体のそばや服のポケット、ハンドバッグの中など見つかる。このローカル色は何と言ったらよいのか、つい笑ってしまった。 例によって十津川警部と亀井刑事の推理と捜査で犯人像が浮かび上がる。これはいつものご都合主義。こんなに推理どおりに犯人が特定できるものかと思うのだが、そんな批判はなんのその、西村京太郎の独壇場とも思われる筆の勢いは留まるところを知らない。一気に読ませてしまう。 西村京太郎のミステリーにヴァン・ダインの「推理小説20則」を当てはめてもしようがないと思うが、12番目のルールは次のようなものだ。「いくつ殺人事件があっても、真の犯人は一人でなければならない。ただし、端役の共犯者いてもよい」。参考までに。 |