宮部 みゆき
2007年5月10日(木) 「名もなき毒」(宮部みゆき・著) |
宮部みゆきの小説は長い(のが多い)。じっくり読む分にはよいが、ミステリーとして読むと肩透かしを喰う時もある。「名もなき毒」は著者3年ぶりの現代ミステリーだという。2006年文春ミステリー第1位、このミス(テリーがすごい!)第6位、本屋大賞第10位、吉川英治文学賞受賞など、外部刺激は十分である。書店でも横積みされており、当然、ベストセラーだ。 しかし、張り切って買って来て読み始めたはよいが、面白くて面白くてという展開ではない。読み心地はいいのだが、緊迫感のないぬるま湯状態のストーリーだ。ミステリー大賞を受賞していると言っても、そこは宮部みゆきワールド。社会派であり、「純然たる」という冠をつけるミステリーではないのだ。登場人物がしっかり描かれているなどと評される、いつもの宮部みゆきの小説である。 名もなき毒。まず、第1の毒は本当の毒、青酸カリだ。コンビニの紙パックのウーロン茶に青酸カリを注入し無差別殺人を犯す犯人はいったい誰?無差別殺人なのに、殺したい動機を持った被害者をどうやって選別した?など、いくつかの謎で読者を引っ張るが、いかんせん展開がのろい。それに、探偵役はいったい誰なんだ。元警官だった北見をもっと活躍させて欲しかったな。感情移入なら、逆玉のお坊ちゃま杉村より、余命いくばくもない私立探偵、北見の方だ! もう1方の「毒」は源田いずみだ。嘘をつき、平気で犯罪を犯す性悪女。どうしようもないタマだ。杉村らが会社でコーヒーを飲んだ後、関係者が全員意識を失った。おいおい、主人公も被疑者も探偵役(いったい誰なんだ)もここで殺してしまうのか。しかし毒物は青酸カリではなく単なる睡眠薬だった。犯行は源田とすぐに判明する。無差別大量殺人事件と思わせるこの展開。意図が分からず(いずみの単なるいやがらせにしては強引だ)、笑ってしまったが、読者の気持ちを弄ぶ著者の遊び心か。 ラストはもっと修羅場を期待した。新しい事実が判明するものと思った。あっと驚く展開があるだろうと思った。しかし、いとも簡単に人質を救い出し、その後数十ページに及ぶ事後解説。シックハウス症候群も土壌汚染も伏線にはなっていなかった。あれほど詳しい説明があった割には、関係なしかよ。 登場人物がしっかり描かれるという宮部作品ではあるが、今多コンツェルンの会長、キャリアウーマン、女子高生、軽薄な若い女性など、この作品中、著者の描く登場人物が安易にステレオタイプになっている(逆に登場人物がしっかり描かれないというのが本格派の綾辻行人)。 文春ミステリーで第1位の過去の作品は、「容疑者Xの献身」、「犯人に告ぐ」、「半落ち」、「霧越邸殺人事件」など。どれも素晴らしいミステリーだった。宮部みゆきの作品も「火車」、「理由」、「模倣犯」、そしてこの「名もなき毒」と4作品が1位となっている。残念ながら「名もなき毒」は過去の1位作品(私が読んだ中で)と比べると面白さに数段欠ける。 |
2001年9月23日(日) 「火車」 |
文庫本であるが600ページの長編小説。ジャンルは推理小説なんだろうが、純粋な推理小説ではない。殺人事件が出てこない(最終的には状況的な殺人が推理されるが)、被害者が見えない。憎むべき犯人が登場しない。しかし主人公は刑事。女性の失踪事件を追っていくうち意外な新事実が次々に、という内容は推理小説然としている。作者は各種の推理小説新人賞や大賞、またはサスペンス大賞などの受賞者、今をときめく、宮部みゆきである。 初めて読んだ宮部みゆきの世界はさまざまな比喩が乱れ飛ぶ一風変わった作風(だと自分は思う)。彼女のオリジナリティを感じさせる。たとえば、「道端に寝ている浮浪者が通行人に向かって投げるような、どんよりとよどんだ視線を〜」、「数枚の1万円札が、ひらひらと、きわめて威厳に欠ける舞い降り方で、床に着地した」、「おそろしく肩が凝った。圧力鍋に放り込まれて蓋をされたような気がした」など。女性のするどい視座とでも言おうか。 推理小説というより社会小説だ。クレジット地獄に落ち、他人の戸籍により生き延びようとするしたたかな女性。殺された(と思われる)女性もまた借金苦から逃亡生活を続ける社会の弱者。読んでいてせつなくなるストーリーである。実際に自己破産した人間を身近に知っているから彼女らの苦悩がより伝わってくる。弁護士の語りを通して倒産や自己破産、クレジット地獄からの自殺や犯罪のさまざまな例など、読む者に教えてくれる。死を選ぶ前に法律事務所を訪ねよ、というアドバイスを数回も。実際に悩んでいる人間が読んだら少しは光が見えてくる救済の小説でもある。意図的に強調しているようだ。 |
2002年9月16日(月) 「理由」(宮部みゆき・著) |
99年の直木賞受賞作である。2002年9月1日第1版発行とあるから、つい先日文庫本として再発行されたばかりである。本屋さんの新刊書コーナーに高く積まれていたベストセラー的1冊だ。 荒川の一家4人殺人事件をめぐる推理小説であるが、一風変わった(新しい試み?の)推理小説である。すべてが解決された数ヶ月後、第三者によって記述されるルポルタージュ(報告文書)によって物語が展開される。4人の殺人事件に関わる様々な人間関係や事件解決に至るプロセスが無機質的に語られる。語り手が警察官なのか検察官なのか、はたまた家族など、事件の関係者の一人なのか全く分からない。人物を特定できない無人称の語り手が多方面へのインタビューなどから事件を検証し、解決までを語りつくす。 当然私立探偵や刑事などが八面六臂の活躍で事件を解決する類のものではない。ラストは逃亡生活に疲れ果て病気になった痛々しい重要参考人が自白し、すべてが明らかになる。 だがアッと驚くラストではない。ラストに行くつく前に、容易に予想されるラストである。事件の真相を徐々に読者に伝え予想させる筋立てであるから、自白を待たなくとも読者は事件の概要がつかめる。 推理小説として読むと600ページを超える長編でありかなり疲れる。一気に読ませる長さではない。しかし事件に関わる人間一人一人にスポットライトを当て、各章でじっくりと描く文学性はさすが宮部みゆきの世界である。醸し出される文学性を排除すると300ページほどで終わってしまう小説であろう。 解説を書いている重松清という人はいったいどんな人なんだろう。安部公房の「燃えつきた地図」と対比しながら「理由」の素晴らしさを解説しているつもりなんだろうが、訳の分からない解説文である。凡人には難しすぎるのかも知れないが、少なくとも、読んでみようかと思って解説を一眺めする人には購買意欲を失わせる解説である。あんな解説ならないほうが良い。 --「理由」は人物にまつわるアイデンティティ=物語をいったん無化して空からつくりだされた存在だと指定し、そこからさまざまな角度の放射線を引くことで、新たな、悲しくて、こっけいで、グロテスクでさえあるアイデンティティ=理由を獲得していく物語なのだ--こんな文が書き連ねられる解説なんて読みたくないよ。 |