井坂 幸太郎
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2009年10月26日(月) 「グラスホッパー」 |
こんなに人が殺される小説も珍しい。なんてったって殺し屋を生業とする人間たちが跳梁跋扈する小説だ。井坂幸太郎らしい軽いタッチで次から次へと人が殺される。少々生々しい描写もあるが、そこは井坂の小説だ。陰惨、残酷さはそれほどなく淡々と、しかもスピード感をもって物語は進行する。 殺し屋にもいろいろなタイプがいる。まず押し屋と呼ばれる殺し屋。交差点、プラットフォームなど人ごみにまぎれて対象者を押し出し、事故に見せかけて殺すのだ。押し屋の名前は槿。槿は「むくげ」で変換される文字だが、作品中の読み方は「あさがお」。妻と子ども2人いて幸せそうな家族の主だが、はたして槿が本当に押し屋なのか。 次に自殺屋。彼にかかるとどんな人間でも死にたくなる。遺書さえ書かせられる。まるでそれが自らの意思であるかのように。自殺屋の名前は鯨(くじら)。鯨は催眠術師かスピリチュアリストか。過去に30数人殺しているが、その被害者の亡霊を見るようになった。幻覚である。 3人目はナイフ使いの名人、正真正銘の殺し屋だ。名前はミンミンとうるさいから蝉(せみ)。秘書を自殺させた鯨を、依頼人である政治家は信用できなくなった。その鯨を殺す目的で政治家に雇われたのが蝉だ。「ホームレスでもホープレスではないだろう」とは彼の台詞。 この3人に主人公鈴木が関わる。鈴木は普通の人間(もちろん殺し屋ではない)。妻を交通事故で亡くし(殺され)、その犯人に復讐するため、教師を辞め非合法会社に就職した。中盤から鈴木は非合法会社のメンバーに命を狙われる。社長の長男が押し屋に押される現場を見ていたのだ。この長男は鈴木の妻の殺害者でもある。 複数の人間の視点で物語は進行する。始めはまったく関係ない登場人物の行動が、やがてパズルの完成を見るかのよう1点に集束されていく。登場人物のこだわり(ジャック・クリスピン、罪と罰など)や笑ってしまう台詞の妙、時間軸を多少元に戻したりしながら、井坂幸太郎お得意のパターンだ。 しかし、もうそろそろ井坂幸太郎もいいかな。初めて読む人には斬新であり、面白い小説家だと思うだろうが、5、6冊読んでみれば、もうたくさんと思えてくる。 |
2009年7月31日(金) 「重力ピエロ」 |
母親がレイプされその時できた子どもが春、弟である。兄は泉水で、春と泉水、どちらも英語ではspringだ。 「春が二階から落ちてきた」で始まり、シチュエーションは違うが、「春が二階から落ちてきた」で終わる小説で、井坂幸太郎らしいウィットに富み、軽いタッチで時々笑いながら読める小説だ。 だが内容は重い。母親が死に、父親もガンで余命いくばくもない。仙台市内で連続する放火犯人は泉水ではないか。泉水の父親は誰なんだ。多発するグラフィックアート(意味不明の落書き)も泉水の仕業なんだろうか。 普通女性はレイプされてできた子どもを生むか。普通は生まないだろう。犯人がノーベル賞受賞者だったら生む選択もありか。そんな問題ではなかろう。犯人はまだ逮捕されず、どこの馬の骨とも分からない。春はそんな悪人の子どもである。女性の夫も妻がその子を生む選択をよくも採ったものだ。夫婦は長男の泉水と春をまったく普通の兄弟として育ててきた。 泉水は芸術的才能があるようだ。だが行動が変だという。容姿端麗、いわゆるイケメンなんだろうが、変だ。奇妙な行動を取る。 ストーカー夏子さん登場。春を追いかけるから夏子さんとか。家族がそういうあだ名を付けた。ふざけた設定だ。しかしこの夏子さん、ストーカーなのにいい人らしい。 ミステリーであるが、謎解きや犯人探しの興味より、この小説は家族愛の小説であろう。ありえないほど素敵な家族である。最後に犯人も捕まらない。ミステリー色を求めた私にとってあまり面白くない小説だった。少し退屈もした。 だからと言ってこの作品が読む価値がないかと言えばそうではない。まさに井坂幸太郎らしい作品で、ファンにとってはとても評価の高い小説である。井坂幸太郎は文庫本の帯でこう言う。 「この本は、僕にとってすごく大事な作品で、たぶんずっとそうです」 |
2009年6月15日(月) 「ゴールデン・スランバー」 |
![]() 題名の「ゴールデン・スランバー」はビートルズの「アビー・ロード」B面に入っていた曲だというが、メロディーが思い浮かばない。有名なあのLPは昔持っていて繰り返し聴いた。A面は「Come Together」以下、すべてのメロディーを覚えている。一部は歌詞や楽譜を見ずとも歌える。 しかしB面になると、「Here Comes The Sun」、「Because」、「You Never Give Me Your Money」までは覚えているが、4曲目以降は全く忘れてしまった。「Golden Slumbers」はこのB面の8曲目のようだが、どんな曲だったのだろう。当時は「アビー・ロード」A面は有名な曲、B面はいろいろな寄せ集め曲という風に思っていたから、主にA面を聴いていたと思う。実はB面の曲こそ名曲ぞろいなのだ、と言う人もいる。 さて、本作は「このミステリーがすごい」第1位、山本周五郎賞受賞、本屋大賞受賞、「ミステリが読みたい」第1位、文春ミステリー第2位など、各方面から高い評価を得ているミステリーである。帯には「井坂的娯楽小説突抜頂点、現時点での集大成」とも書いてある。映画化も決定されているようだ。 内容はまるで昔のTV映画「逃亡者」(The Fugitive)。首相暗殺の犯人に仕立てられた元宅配ドライバーの主人公が、仙台市内を逃げて、逃げて、とにかく逃げ回るのだ。一難去ってまた一難、二難も、三難も・・。逃がしてくれ、誰か助けてくれ。Help!I need somebody to help me。おや、これもビートルズの名曲だね。 主人公を逃がす手助けをしてくれるのは、大学時代の友人たち、大学時代の恋人、宅配仲間、アルバイト先の社長、仙台病院に入院中の患者、連続殺人事件の犯人など。何気なく登場させたような人物が次第に主人公に関係してくる設定はおっとそうくるのか。スリリングでありながら時にはくすっと笑え、読んでいてとても楽しいミステリーだ。何気ない台詞やエピソード、日常の些細な出来事が見事に伏線になり、それが後で生きてくるのも作者の巧いところ。会話に無駄がないというか、さすがだねえ。 息子の無実を信じる父親がいい。泣けてくるよ。ラストの「痴漢は死ね」に、あっ、そうか。第5章はすべて、あっ、そうか。親指で押すボタン、たいへんよくできました、キャバクラ嬢と浮気、ロックだよなどに、あっ、そうか、あっ、そうか。 ただ、鎌田昌太って誰だっけ? |
2007年3月4日(日) 「アヒルと鴨のコインロッカー」(伊坂幸太郎・著)を読む 映画化されるそうだ |
第25回吉川英治新人文学賞受賞、第1回(2004年)本屋大賞第3位、2005年度「このミステリーがすごい!」国内編第2位、週刊文春2004年ミステリーベスト10国内部門第4位。そして今度は中村義洋監督で映画化される。 何かと話題の多い作品であり、内容以前に読みたくなる本である。作者は東北大学法学部卒で仙台在住。このミステリーも仙台が舞台となる。映画もオール仙台ロケで、5月12日より仙台で先行上映されるという。一般公開は7月のようだ。 過去(2年前)と現在が交互に描き出され、徐々に2つの物語が重なっていく。のほほんとして笑える展開の「現在」と、やはり笑えるが、女性が命を狙われるシリアスな展開もある「過去」。やがて登場人物の繋がりが判明すると、読者は作者にまんまと騙されたことに気付く。もう一度最初から読み直す人も多いだろう。私も何箇所かパラパラとページをめくり、人物関係や台詞の意味を確認する。なるほど、なるほど。 現在の章では、「僕」こと椎名の語りでストーリーは進行する。河崎と名乗る男と出会い、広辞苑を奪うために本屋を襲撃する。モデルガンを持って、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を歌いながら。なんというオープニング。やがて、河崎の住む部屋の「隣の隣」(この意味分かりますか?)に住むアジア系外国人のこと、バスの中で痴漢を撃退した色白の女性、河崎の過去の女性などが語られる。 一方、2年前の章では、ペットショップの店員、「わたし」こと琴美が物語を語る。河崎という男は以前の友人であり、今の恋人はブータン人のドルジ、椎名が見た痴漢を撃退した女性はペットショップの店長のようだ。琴美はペット殺しの3人組に命を狙われることになる。そのたびにドルジが助けてくれたり、河崎が助けてくれる。その河崎、何度も琴美の前に現れるが、どうやら「現在」と「過去」の両方でキーマンとなるのが河崎のようだ。 現在と過去が合流し、すべてが判明するラスト。ボブ・ディランの神の声をコインロッカーに閉じ込め、やっと、奇妙な題名、「アヒルと鴨のコインロッカー」が意味を持つ。東野圭吾ほどではないが、ラストは少し切なく悲しい。しばらくは余韻に浸ることができる。 |
2002年10月21日(月) 「ラッシュライフ」(伊坂幸太郎・著) |
作者の伊坂幸太郎は1971年生まれというからまだ30歳か31歳だ。略歴によると、千葉県生まれ、東北大学法学部を卒業、現在は仙台市在住ということだ。最近の若いミステリー作家は難関大学卒業という人が多いようだ。論理性を要求されるミステリーを創作するには知的レベルの高さが必要だということだろう。 「ラッシュライフ」は彼の本格ミステリー第二作目であるそうだが、なんと、なんと、ミステリーとしての奇抜さ、ユニークさ、そして面白さは他のベテラン作家の作品に引けを取らない。肩肘を張らない素直な読みやすい文体で5つの物語を別個に語るが、それぞれがショート・ショート的内容であり、読者を飽きさせず最後まで引っ張る筆力はたいしたものだ。 5組の全く関係ないと思われる人間たちの人生模様が徐々に徐々に絡み合っていく後半は特に素晴らしい。それぞれのパートの最初にアイコンを配し、どの人間たちの話であるかわかるようにしてある。傲慢な画商と若い女性画家、ピッキング強盗犯、宗教団体の信者たち、不倫カップル、リストラされた男とのら犬の5組がそれぞれに微妙に絡み合っていくのだ。 自殺、殺人、死体遺棄、死体解体、発砲、交通事故死など、暗い、どうしようもない絶望的な事件や事故が連続するが、作者は、軽いタッチで、時にはユーモアを交えながら描いていく。車のトランクに詰め込んだ死体がいつの間にかバラバラになったかと思うと、またくっついて歩き出してしまうという謎。この謎が新聞や週刊誌のブックレビューに象徴的に紹介されているが、その解明はあくまで合理的だった。 また表紙に印刷されたエッシャーのだまし絵も象徴的だ。人間は歩み続け、上を目指し、気が付いたらまた元の場所、座り込んで何かを待つ人、登り続ける人を眺める人、それらを実際の人間の生き方に当てはめながら物語を進めていく。さわやかな読後感、だまされる快感に満ちた見事なミステリーである。 この秋の夜長に読むべきお勧めの一冊であろう。 |