東野 圭吾 その1

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2006年11月26日(日) 「レイクサイド」(東野圭吾・著)を読む
 湖畔の別荘で起こる殺人事件。「13日の金曜日」などホラー映画によくある連続惨殺事件か。いや、そうではなかった。別荘を孤立させる、いわゆる吹雪の山荘モノでもない。どちらかというと倒叙ミステリー。しかし後半に意外な展開を見せる。犯人は別にいた。
 4組の親子と塾講師が中学受験の学習合宿中に事件は起こった。並木俊介の妻が言う。「あたしが殺したのよ」。被害者は俊介の愛人だったのだ。現場に居合わせた人間たちが、藤間の指示に従って隠蔽工作を始める。遺体を湖に沈め、隠蔽工作は順調に行われた。完全犯罪成立のはずだった。
 しかし何かおかしい。子どもたちのためとは言え、必ず判明するだろう殺人事件だ。素人の人間たちがだれも異を唱えることもなく、全員で死体遺棄などの犯罪を犯すとは。成り行きを後で知った一組の夫婦は、最初、藤間たちに猛烈に反対する。警察にすぐに知らせようとするが、何かを吹き込まれたか、すぐに犯罪者グループに寝返る。理由は一体何だろう。
 物語は限られた登場人物の台詞で進行する。演劇の脚本みたいに。人物の感情や内面に及ぶ描写はほとんどない。つまりこれは舞台向きのミステリーなのだ。なるほど、役所広司、薬師丸ひろ子らの出演で映画化されたという。えっ、薬師丸ひろ子?
 夏樹静子の「Wの悲劇」を思い出す。あれも別荘で女子大生が叔母を殺し、全員で隠蔽工作を図るというミステリーだった。しかも、映画化され、女子大生を演じたのが薬師丸ひろ子だった。この一致点は何だ。
 ラストにはなるほど全員が隠蔽工作を図らねばならない理由が判明する。しかも犯人は俊介の妻ではなかった。賢明な方なら真犯人の目処がつくだろう。ネタバレである。
 
2006年4月26日(水) 「ゲームの名は誘拐」(東野圭吾・著)を読む 勝ったのはどっち?
 藤木直人と仲間由紀恵で映画化もされた東野圭吾の誘拐ミステリー。視点は犯人と人質側からのみという変わった構成である。誘拐犯人(と言っても狂言であるが)は敏腕広告プランナー・佐久間。対して、身代金を要求される人物は大手自動車会社の副社長・葛城だ。人質(となったように見せかけるの)は葛城の愛人の子ども・樹理であり、もちろん佐久間と行動を共にする。
 ストックホルム症候群という精神医学用語がある。犯人と人質が閉鎖空間で非日常的体験を共有することで共感しあい、ついには愛情を持つようになること、と定義されている(ウィキペディア)。実際にストックホルムの銀行強盗人質立てこもり事件で、犯人が人質を解放後、人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行ったり、後には犯人グループの一人と結婚する者まであらわれるという事件から名付けられたものだ、という。
 この本でも、佐久間と樹理の間にそんな愛情が芽生えるが、これもストックホルム症候群と言っていいのか。いや、少し違うようだ。ラストのどんでん返しで意味を持ってくる、仕掛けられた罠だった。
 新作ゲームのプロディースも行う佐久間はもちろんゲームの達人である。葛城は人生で失敗や挫折を知らない人間であり、新車の発表にゲーム性を取り入れるなど、やはりゲームの達人だ。2人が人質・樹理を介して火花を散らすのだが、何かがおかしい。「おれ」という一人称で誘拐ゲームを語る佐久間であるが、読者はその違和感に早い段階で気付く。果たして警察は動いているのか。愛人の子どもの誘拐に3億円を出すのか。樹理の不可解な行動はどんな意味を持つのか。
 何度も言われることであるが、「誘拐で最も難しいのが身代金の受け渡し」、ということ。ここで犯人が逮捕されるケースが非常に多く、だから誘拐は割が合わないという通説が成り立つ。しかし、身代金の受け渡しが成功し人質が帰ってくれば、事件は公表されない方が多いという。理由は、警察は敗北を公にしたくない、被害者はプライバシーを守りたい、誘拐は必ず失敗するという神話を崩したくないなど、だそうだ。真偽のほどはどうか。
 さて、佐久間はある方法により、身代金3億円をまんまと奪う。成功である。ゲームは佐久間の勝ちと思われるが、ここからゲームは急展開を見せる。ラストのラストまで気を抜けない。しかし、結局、勝ったのはどっちだ。最後のページを読み終えても分からない。パソコンのモニターに写っていた写真は一体どっちの切り札だったというのか?読みが浅かったのか。もう一度読み直せ、というのか。誰か教えてください。 
 
2006年2月2日(木) 「容疑者Xの献身」 第134回直木賞受賞作
 東野圭吾は過去に何度か直木賞にノミネートされているが、実際に受賞するのは初めてだという。推理小説は直木賞にそぐわないからなのか、と思っていた。しかし今年は何度目かの正直。「死神の精度」の井坂幸太郎と争ったそうだが、結果的に東野圭吾が受賞した。
 直木賞受賞が発表される前から、「このミステリーがすごい」2005年第1位、「本格ミステリ・ベスト10」第1位、「週刊文春ミステリーベスト10」第1位など、各種の賞を総なめだった。いかにこの本がミステリーとして優れているか分かるだろう。先日、同僚の女性にこの本を薦めたら、翌週には早速、「読みました、とても面白かったです」などと、感想を言ってくれた。
 冒頭から引き込まれる。すぐに殺人事件が起こる。母親と娘による、止むに止まれない殺人は切ない。胸が締め付けられる。しかしここで泣いてはいけない。涙はラストに取っておこう。ラストは必ず泣けるはず。
 さて、どうして良いか分からない、そんな窮地に登場するのが天才数学教師、石神だ。石神は、密かに想いを寄せる女性を救ううために、事件の隠蔽工作をする。練りに練った完全犯罪が成立するのだ。あらゆる警察の動きを事前に読み、あらゆる不測の事態も勘定に入れ、計画通りに事は進む。
 次に登場するのが、石神と大学で友人だった物理学者の湯川である。石神を良く知り、大学時代も(数学と物理ではあるが)ライバル同士だった湯川は、やがて石神のトリックに気付く。湯川の推理に警察の操作も加わり、石神との知的駆け引きが始まる。刑事コロンボでおなじみの、いわゆる倒叙モノのミステリーである。
 アリバイ崩しのはずが、アリバイは崩れそうで崩れない。そもそもあの母娘が事件を起こしたのは3月10日だったのか。何度もページの前に戻り、日付けが分かる記述がないか読み返すが、どこにも日にちに関して書いてない。もしかしたら9日か11日の犯行を10日に見せるトリックか?死体を冷やすなどの工夫をして死亡推定時間を遅らせたか。このあたりまでは誰でも推理できるだろう。綾辻行人の「霧越邸殺人事件」には、死体を水浸しだったか凍り漬けにして、死体の腐敗を遅らせ犯行日・時間を偽装するトリックがあった。
 しかし過去のトリックを使うことはミステリー作家には許されないことである。実際には10日でなかった犯行を10日に偽装するトリックは何を使ったのか。ラストに分かるトリックに誰もが驚き、石神の女性への愛に眼を見張るだろう。石神の純愛は涙を誘う。ラストの数ページは本当に泣ける。
 本当に面白い小説です。テンポが良く、読みやすく、気合を入れれば一晩で読めるでしょう。絶対後悔はさせません。お薦めです。
 
2005年6月27日(月) 「変身」(東野圭吾・著)を読む 映画化されるというミステリー
 本の帯には、「2005年初夏、全国公開予定 映画化決定!」とある。主演は玉木宏と蒼井優だというが、どちらも分からない人だ。玉木宏って、あの「一週間のご無沙汰でした、お口の恋人〜」で司会やった人か?まさかなあ、年が違い過ぎると思うが。
 主人公の成瀬純一を演ずるのは難しいだろうな。人格、性格が全く正反対に変身していくのだから。その様をどのように演ずるのか興味深い。いずれ、「その男凶暴にして」などの北野たけしでなかったことは良い。公開されたら見に行こうと思うが、もう初夏どころかもうすぐ盛夏だ。まだ予告編もポスターも見ていないが、完成が遅れているのだろうか。
 人間を人間たらしめているの(つまりアイデンティティ)は脳で決まるのか、はたまた心なのか。世界初の脳移植が行われ、成功したかに見えた主人公(成瀬)が次第に崩れていく様は怖い。10万人に一人という確率で適合性が合致したドナーが、最初に説明された人間とは違うことが分かるにつれ、彼の人間性はますます凶暴化と破滅に向かう。
 本当のドナーは誰なんだ。自分自身に異常を感じるようになり(異常を感じることはまだ正常だってこと)、恋人までも受け入れられなくなる。やがて突き止めたドナーとは。。
 時間があれば一気に読んでしまいたい面白さである。いったいこのラストはどうなるのだろう。本人も、医者たちも、警察も、恋人や家族もすべて破壊して終わり、というラストになるのか。もう既に何人かを殺しているんだから、ハッピーエンドは全く望まれない。最後の数ページまで、そんなやりきれない気持ちで読み進める。
 そして怒涛のラスト。なんと、最後の1文(2行)に読者は救われる。ここで涙が出る人もいるだろう。ハッピーエンドではないが、破滅のラストでもない。一筋の涙とともに終わるミステリーである。途中で読むのを止めないでよかった。
 えっ、カフカの「変身」は読んだのかって?残念ながら文学作品には手が回りません。ミステリーはあくまで娯楽、アミューズメントのために読むものですから。
 
2004年12月24日(金) 「名探偵の掟」(東野圭吾・著)を読む 何だ、この小説は!でも、面白い
 プロローグとエピローグがあり、その間に「第1章・密室宣言」から「第12章・凶器の話」まである。目次を見て長編だと思って購入したが、実は、東野圭吾の遊び心がたっぷりと詰め込まれた短編集だった。人を食った設定やストーリー、オチは、綾辻行人の「どんどん橋、落ちた」に似ているが、こっちはさらに短編であり、シリーズ物だったらしい。探偵役は天下一大五郎、ボケ役は大河原番三警部である。
 さまざまな推理小説のパターンを徹底的に笑いものにする。読者をもバカにしている。読んで怒り出す人もいそうだ。私は随所でゲラゲラ笑いながら読んだ。血祭りにあげられる推理小説のパターンは、
 密室殺人(陳腐すぎて)、意外な犯人(読者が真相究明など無理)、吹雪の山荘、館もの(犯人はなぜこんな場所を選ぶ?)、ダイイング・メッセージ(犯人名をずばり書き残せ)、時刻表トリック(時刻表なんかきちんと見るか)、童謡殺人(見立て殺人、ストーリーに無理が生じる)、孤島での10人の運命(いくらなんでもそれは)、花のOL湯けむり温泉殺人事件(2時間ドラマへの皮肉)など。完璧にお遊び感覚である。
 しかし東野圭吾がそんな本格物を書いていないのかと言えば、全くそうではない。「ある閉ざされた雪の山荘で」、「仮面山荘殺人事件」、「白馬山荘殺人事件」、「十字屋敷ピエロ」など、山荘もの、館ものなどいくらでも書いている。密室殺人だってダイイングメッセージものだって書いているじゃないか。そんな自分への反省も含めて、既存の本格物への強烈な皮肉なのだと、そんなふうに取っていいのかな。推理小説ファンには、これはこれで十分に楽しめる一冊であることに違いはない。
 
2003年1月26日(日) 「放課後」(東野圭吾・著 第31回江戸川乱歩賞受賞作)
 私立女子高校・校内の更衣室(密室)で生徒指導の教師が青酸中毒により毒殺される。そして体育祭仮装行列で第2の犯行。今度の被害者は体育の教師だ。直前の被害者すり替えは巧妙に仕掛けられたワナなのか?
 犯人は教師か生徒。容疑者と思われる人物は生徒の方に多い。秀才、不良、キャプテンなど。そして古典的とも言える密室の謎。密室殺人の第1の解決策はアリバイ工作にもなる囮(オトリ)だった。ストーリーの中ごろで解明されるが速すぎると思ったが、それも犯人の筋書きだった。もったいない。十分に納得できる密室トリックの解明になっていたのに。
 第2のトリックは「心張り棒」に関するものだ。よくある紐などによる遠隔操作+アルファ(あるスポーツの競技用道具)がトリックになる。理論的には可能であろうが第1のトリックほどスマートではない。1つの密室殺人に2つのトリックを与えるこの余裕。東野圭吾のデビュー作だということだが、すでに本格派の趣きを感じさせる。
 しかし2人を殺す動機がまったく見えてこない。ラストで明かされるのだが、えっ、こんな動機?。女子高校を舞台に繰り広げるミステリーだからこその動機であるが、荒削りの感は否めない。
 ラストのラスト、まだ意外な展開が待っていた。でもそこまで必要だったのか。本筋とは関係がないじゃないか。伏線から彼女も絡んでいるのではと思っていたが、そこまでやるのかという感じである。
 セリカダブルエックスという懐かしい車が登場する。昔大ヒットしたスペシャルティカーであるが、時代を感じさせる。
 
2003年1月19日(日) 「ある閉ざされた雪の山荘で」(東野圭吾・著)
 綾辻行人の本格ミステリー「霧越邸殺人事件」を思わせる題名である。ミステリーファンなら誰でも読んでみたくなる題名だ(と思う)。で、内容は?
 豪雪に襲われ孤立したと想定される山荘での連続殺人劇。演技するのはあるオーディション合格者たち。だが、一人また一人と現実に仲間が消えていくにつれ、彼らの間に疑惑が生まれる。最後は、アガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」になるのか。疑心暗鬼の仲間達。はたしてこれは本当に芝居なのか、それとも現実に起きている連続殺人事件なのか?
 けっこう本格的な謎解き推理小説だ。しかし密室化した山荘での殺人事件はおなじみのパターン。新しいトリックで読者を納得させることができるのか。
 作者の東野圭吾はこの作品を本格物のパロディのつもりで書いたそうだ(解説の法月綸太郎)。なるほど古典というべきクリスティ、ヴァン・ダイン、クイーンの小説を作中で使ったり、「ノックスの十戒」に関するコメントを登場人物に言わせたり、作者の遊び心は随所に感じられる。そして、(いかにネタバレ感想を書いているこのMyDiaryであっても)絶対言及してはならないラストのある秘密が明かされるのだが。。
 結局、私はその秘密(トリック)に、えっ!と驚くもやはり納得できなかった。「ノックスの十戒」に照らし合わせると、厳密にはこの作品は推理小説ではなくなる。「おもしろい、好きだな、この展開」と思わせ一気に読ませておきながら、ラストにキレを欠いた画竜点睛のミステリー。こんなところもパロディとして読むと楽しいのだろうが。
 
2003年8月24日(日) 「白馬山荘殺人事件」(東野圭吾・著)
 「外部と接触を絶たれた吹雪の山荘で起こる連続殺人事件」を予想させる題名である。しかし、山荘が舞台となることはなるのだが、事件の後はすぐ警察官や鑑識班が警察車両で駆けつける。季節は冬であり積雪が若干あるものの孤立するほどではない。殺人事件はもちろん起きるが連続ではない。2年前、1年前、そして今年と3年間にわたり1人ずつ殺されるだけである。限定される登場人物が1人また1人と殺されお互いを疑心暗鬼に陥れるサスペンスがない。つまり古典的「吹雪の山荘」ものではなかった。
 東野圭吾の作品の中では「ある閉ざされた雪の山荘で」という作品があるが、これこそまさに吹雪の山荘もの(作者は本格推理もどきと言っているが)である。「白馬山荘殺人事件」は、山荘を舞台に、謎を解く暗号となるマザーグースと密室殺人事件が中心となる本格ものである。ラストをひねろうとする意図か、ラストがストンと終わらない。ラストが二転三転し、終わりそうで終わらないのだ。しつこいくらい解決編の記述があり、さらにエピローグ1とエピローグ2が続く。全員を登場させ、犯人は○○だと言ったら、一気に最後まで突っ走りたいのに。
 マザーグースの謎にはそそられる。アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」を引き合いにだすまでもなく、本格ものミステリーに童謡を挿入するのはよくあること。普通に読んでも謎だらけのマザーグースであるが、ミステリーの中ではさらにその謎が相乗効果を生む。
 しかしこのマザーグースの謎。さらっと読んだだけでは説得力に乏しい。作者のこじつけ、ご都合主義も見え隠れする。大学生2人があの詩からある物の隠し場所を解き明かすのは無理があるというもんだ。マザーグースの研究者でもない限りあんなにはうまく推理できるはずがない。結局あの詩の謎を理解するためには、我々読者もじっくり時間をかけて英語の詩を読む必要がある。従って読後のカタルシスは中途半端感を否めない。
 
2003年12月27日(土) 「仮面山荘殺人事件」(東野圭吾・著)
 この年末のあわただしい時に推理小説なんか読んでていいのか。大丈夫、年賀状は宛名も文面もほぼ印刷終了、明日一日かけて一言を手書きすればいいだけ。昨日も書いたが、今年は余裕ある26日の御用納めのお陰で、例年とは違って2日間儲かった気分。読みかけの推理小説を読む余裕、余裕。
 東野圭吾の作品は、本格物の触れ込みでも、言うなれば、直球勝負ではなく変化球で勝負するタイプが多い。”吹雪の山荘物”のスタイルを取るこの「仮面山荘殺人事件」も、しかりである。
 8人の男女と逃亡中の2人の銀行強盗が山荘という限られた空間の中で対峙しあう。そして殺人事件、犯人は状況から考えて決して銀行強盗ではない。と言うことは8人のグループの誰が?
 ラストは大どんでん返しが待っている。でも、こんなラストありか?意外性の大きいラストほど現実的ではなくなる。それにしても山荘に集まるのが劇団員というパターンはよくあるな。おっと、これはネタばれ。秘密、秘密。
 解説をあの折原一が書いている。彼は、「嫌いな作品だが東野圭吾の作品の中で3本指に入る傑作だ」と言う。褒めているのかけなしているのか。さすがに彼は、第一幕の途中まで読んでトリックを見破ったそうだが、凡人の我々にはまったく気が付かない。読後に、目次の第一幕〜第六幕を見て、なるほどとうなずいたり。
 それにしても、あのトリックはまさに変化球、いや、隠し球でタッチアウトになった気分である。ルール違反ではないが、汚えぞ、この野郎!だ。
 
2004年1月2日(金) 「どちらかが彼女を殺した」(東野圭吾・作) 悩むミステリー
 今年初めてのミステリは東野圭吾の「どちらかが彼女を殺した」。先日読んだ折原一の「倒錯の死角」は本文ラストの16ページが袋綴じになっていたが、この「どちらかが彼女を殺した」では解説(推理の手引き)が袋綴じになっている。解説が袋綴じになっているミステリも珍しい。もちろん私は初めて読む。
 袋綴じのまま、つまり解説は読まずに本文を読み始める。三角関係のもつれから自殺と見せかけた殺人事件が発生する。殺されたのは女性。状況から犯人は被害者の親友か、元恋人だった男のどちらかだ。
 しかし「どちらかが彼女を殺した」という題名は読者へのミスディレクションかも知れない。男か女か、動機も犯行状況もどちらとも取れる設定だ。が、実はどちらでもなかったりして。つまり女性は本当に自殺していた?いや推理小説だからこれはないか。
 意外な真犯人が他にいるのか?復讐を目論む被害者の兄(交通課警察官)か、まさかとは思うが、真相を暴こうとする練馬署の敏腕刑事(加賀)か?2人の対決は、まるで「刑事コロンボ」か、古畑任三郎だった。
 加賀刑事は他の東野圭吾の作品にも登場するお馴染みの刑事だ。彼が真犯人ということは絶対にありえない。じゃあ被害者の兄、康正か?妹の死体を最初に発見し、犯人を突き止め復讐をしようとする人間が犯人であるはずもない。いったい東野はどんなラストで我々を陥れようしているのか。
 そしていよいよラスト。二転も三転も、いや四転も五転もする。挙句の果てに、な、なんだ、このラストは!こんな推理小説ありかよ。ルール違反じゃないのか。あと2、3ページあるのに落丁本か?もう一度初めから読み直せと言うのかい?あ〜、やっぱり東野圭吾の作品だった。