綾辻 行人
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2001年5月9日(水) 「迷路館の殺人」(綾辻行人・著) |
本の中にもう一冊本があるへんてこな推理小説である。全体としての「迷路館の殺人」の作者は綾辻行人であるが、作中作とも言うべき、もう一冊の「迷路館の殺人」の作者は鹿谷門実となっている。鹿谷が意外な犯人の判明させ。殺人のつじつま合わせでお決まりのザ・エンドとなるが、綾辻がまったく別の犯人とエンディングを作る。フェアじゃない記述もその中で指摘される。 プロローグもエピローグも二つあり、冒頭に「後書き」がある。一つ目の後書きの後は通常最後のページにある、出版社名、著者、値段等が記載されたページがある。ご丁寧に、「この頁は乱丁ではありません」という注意書きもある。無理もない。その次のページから二つ目のエピローグや後書きが始まるのである。最後の最後は鹿谷門実のペンネームの謎が解き明かされ、ちょっと考えればすぐわかる謎(アナグラム・文字置換)であるが、なるほど、と思う。 いわゆる本格的ミステリーであり、推理小説のための推理小説である。頭が混乱してくるところもあるが、一気に読んでしまったほうがよい小説だ。完璧にだまされるが、心地よいだまされ方である。別の犯人と第3のエンディングを著名な推理作家が考え出し(パロディ的に)作者に挑戦したとか。 |
2002年3月13日(水) 「霧越低殺人事件」(綾辻行人・著) |
作者は「館」シリーズでお馴染みの、本格派の若手第一人者である。「館」シリーズと言ってもいい題名のこの「霧越低殺人事件」は紛うことなき古典的本格物である。時代遅れと言われようが何だろうが、やはり、名探偵、大邸宅、怪しげな住人たち、血みどろの惨劇、不可能犯罪、破天荒なトリック、座敷牢の狂人的謎の人間、大どんでん返しなど、こんな推理小説に酔いしれる。ワクワク、ドキドキしながら読み続ける小民的幸せ。ああ、やっぱり好きなんだな、ノン社会派本格的パズル小説。納得。 700ページにも及ぶ長編である。最初の殺人は200ページを越えるあたりでやっと起こるが、飽きることは決してない。それまでも様々な伏線や奇妙な符合(特に名前の謎がこの作品ではおもしろい)が興味を尽きさせない。名前の謎。頭取り、尻取り、アナクロム、字数の読み替え、逆さ読みなど、いろいろ考えてみたが、わからなかった。結局は、な〜んだ、もうちょとだったなあ。いいとこまで行ってたのに。又やられてしまった。 舞台はいわゆる「吹雪の山荘」的状態の豪華洋館、「霧越邸」。猛吹雪で外界とは完全に遮断された一種の密室状態である。その中で起こる奇妙な連続殺人事件。それも北原白秋の「雨」の詩の見立て殺人である。途中で「カナリヤ」の見立て殺人も。アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」などのマザーグース見立て殺人に対抗しようとするかのような切れ味がある。 そして解決編の第7幕では、「即ち、あの夜アリバイを主張した人間の中にこそ、この犯人はいる!」など、カッコよく終章に向かう。が、どっこい、そう簡単には終わらない。いったん犯人とトリック解明か、と思わせた後で、謎の人物が登場し、真犯人を暴いていく。う〜ん、たまんない。推理小説の醍醐味だ。 |
2002年12月15日(日) 「黄昏の囁き」(綾辻行人・著) |
「館(やかた)」シリーズを何冊か読み、期待通りにワクワクさせてくれた若手のミステリー作家・綾辻行人。彼の作品はすべて本格的謎解きミステリーと思っていたがそうではない作品もあるようだ。自ら「囁き」シリーズと言ってはいるが、まだシリーズ3作目のこの「黄昏の囁き」は、どちらかというと、ホラーかサイコ系ミステリーである。 どこかで読んだことがあるようなミステリーである。そうだ、高橋克彦の「緋い記憶」だ。似ている点や共通点があると思うが、まさか綾辻が「緋い記憶」の本歌取りをしたのではないだろう。またサーカス、ピエロ、ジンタ、黄昏、土管、赤い、などのイメージは江戸川乱歩の雰囲気だ。本格的謎解きを期待して読んだが、途中から「違う」と分かり、少し拍子抜け。最初から、これは子ども(?)の関係者の5人への復讐劇とすぐわかる。 だが、綾辻氏のことだ。誰が考えてもすぐに予想できるラストではあるまい。味付けはどんなこと?予想できない人間関係もあるはずだ。結局、犯人は誰? しかし、新しい展開に、さすが!と思ったのは中盤だけ。読み終わっても物足りなさが残り、いつもの満足感がない。綾辻のミステリーにしてはさほど長編ではない文庫本330ページ(中編)のせいもあるかな。綾辻の短編集も買ってあるが、次に読むのは別の作家にしようと思わせた作品だった。 |
2003年3月1日(土) 「どんどん橋、落ちた」(綾辻行人・著) |
本格物の若手第一人者、綾辻行人がお遊び感覚で書いたような中短編の「犯人当て」作品集である。中には怒り出す人もいるんじゃないかな。正直、ふざけが過ぎていると私も思うが、堅いことは抜き、抜き。単純にだまされ、綾辻くん、君は天才ですよと崇め奉ってあげようじゃないか。 「どんどん橋、落ちた」は、1992年申(サル)年、ポーのモルグ街の殺人、H**大学、M**村のイニシャルなどに注意(ネタバレ)。登場人物が、伴ダイスケ(バン・ダイン)、阿佐野ヨウヂ(佐野洋)、斎戸サカエ(斎藤栄)、リンタロウ(法月綸太郎)など、実在のミステリー作家の名前をもじったもので、人を食ったネーミングである。 「ぼうぼう森、燃えた」も「どんどん橋、落ちた」と同じような設定である。今度もエラリーやアガサ、カーといった名前の犬が登場する。そして、またも挑戦状付きである。今度はだまされないぞと考えてみるが、いとも簡単にギブアップ。解答編を読んで納得。だが、今度は「どんどん橋、落ちた」ほどの衝撃はない。 「フェラーリは見ていた」では、フェラーリを車だと決め付けないように。そしてなんといっても極めつけは「磯野家の崩壊」である。民兵、恒、松夫、笹枝、樽夫、和男、若菜、妙子、郁也などの登場人物は、漫画「サザエさん」一家のもじりじゃないか。その題名が示すように、事故や病気、自殺などでほとんどが死んでしまう、凄惨なストーリー。「サザエさん」ファンが読んだら、きっと怒り出すに違いない。 最後は「意外な犯人」。登場人物が氏の力作「霧越邸殺人事件」と一部同じである。そして綾辻行人自身もアヤツジユキトとして登場させる。なぜ漢字の綾辻行人ではなかったかが謎を解くポイント? |
2003年4月25日(金) 「十角館の殺人」(綾辻行人・著) |
作者が22歳(京都大学4年生だった)の時、初めて書いたという本格ミステリー。ある新人賞に応募し一次予選は通過したという。当時の題名は「追悼の島〜十角館の殺人〜」。それに若干手を加え、「十角館の殺人」として8年後に再発行されたものである。以後、「水車館の殺人」、「迷路館の殺人」、「人形館の殺人」と続く「館」シリーズとなる。その記念すべき第一作である。 孤島に建つ奇妙な建物「十角館」(以後のシリーズにも登場する中村青司が建築した)。そこに集まった大学ミステリ研究会の7人が、一人づつ殺されていく。半年前の凄惨な四重殺人の見立て殺人だ。犯人はこの7人の中にいるはずだ。 孤島での見立て殺人となると、かの名作、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」と同じシチュエーションだ。同じようなパターンに「吹雪の山荘」事件(綾辻行人にも「霧越邸殺人」という大作がある)なるものもあるが、私の大好きな古典的・本格的推理小説の一ジャンルである。 「十角館の殺人」が「そして誰もいなくなった」と決定的に違うところは、物語が島と本土で二重に進行するところである。本土では島田潔(以後のシリーズにも登場)という探偵役も登場する。事件の解決にこの本土での登場人物が大きな関わりを持ってくる(おっとネタバレ!)のだ。 果たして犯人は誰?7人は、エラリイ、ポウ、カー、アガサ、オルツィ、ルルウ、ヴァンと往年のミステリー作家の愛称で呼ばれ、作中でも最後まで本名が出てこない。本名が出てくるとまずいことがあるということはラストに分かる。ラストは犯人の独白ですべてが解明するのだが、名探偵・島田潔の出番が少なすぎたのが不満である。彼の推理による犯人当てがなく、それらしい結末を期待させながら中途半端に終わらせている。それはそれで含蓄のあるラストシーンであるがちょっと物足りなさが残った。 |
2003年5月10日(土) 「水車館の殺人」(綾辻行人・著) |
新本格派の第一人者・綾辻行人の世界が広がる館シリーズ第2弾である。 巨大な三連水車を持つ古城のような館。主人公は車椅子に乗った仮面の家主だ。その妻はまだ19歳の美少女である。長い間その水車館に幽閉される幼な妻だ。嵐による道路決壊で外部と完全に接触を断たれ、孤立した水車館で起こる奇妙な殺人事件は、これまた「吹雪の山荘」シチュエーション。おなじみのパターンである。まさに古典的、古きよき時代の探偵小説風「推理」小説だ。ワクワク。。 水車館には執事(今どき執事?雰囲気がある)が住み込み、家政婦と共に仮面の家主とその妻に仕える。”その日”、水車館に集まって来たのは島田潔を除き、みな胡散臭い奴らばかりだ。このシリーズでおなじみの島田潔は招かれざる客。彼が探偵役としてこの事件の解決を図ることになる。 変わった構成の推理小説である。事件は9月28日と29日の2日間で起こる。それに1年前の9月28日と29日の奇妙な事件を交差させ、両方の事件を島田潔が29日の朝には解決するという、大胆な設定である。1年前は客観(三人称)描写、現在の記述は仮面の主人公の一人称描写だ。混乱しそうな設定であるが、精緻な構成力のおかげか、分かりやすい展開である。結局、ある復讐劇だった。 仮面を付けた人物がラストは仮面を剥ぎ、Aだと思っていた人物が実はBだった、というラストになるだろう。行方不明の人物もいるが彼が実は仮面の男か?伏線をじっくりと整理していくとある程度までは推理できそうだ。しかし、トリックはそんなに単純ではなかった。人物すり替えも1対1じゃなかったから。 解説を、やはり京都在住の本格派、有栖川有栖(ありすがわありす)が書いている。かなり力を入れて書いているみたい。彼にも、「スェーデン館の秘密」など、外国名・館シリーズがある。 |
2003年5月16日(金) 「人形館の殺人」(綾辻行人・著) |
太田忠司なる人が書いている解説の中に次のような一節がある。「結末におけるカタルシスの深さにおいて、この作品を凌駕できるものは少ないでしょう。現実世界は粉々に砕かれ跡形もなくなります。エピローグを読み終えたとき、読者はどこでもない完全な空白の中に置き去りにされてしまいます」と。しかし、私は不満足。こんな結末あり? この作品は綾辻の館シリーズの4作目であるが、それまでのシリーズとは異なる異色の作品である。「人里離れた不気味な洋館で起こる連続殺人事件」を扱うものではない。人形館は京都駅からタクシーで30分ほどのお屋敷町の一角に建っている。例の奇人建築家・中村青司により建築されたものでもない(それを臭わせる記述はあるが)。文体も、意識してか、意識の中を表現する短い言葉を各行の最下位置に配置するなど、まるで「囁きシリーズ」じゃないか。 怪しい人間も限定され、途中までは本当に面白い。そしていつものカタルシスを期待しつつ、ラストに突入するのであるが。。おい、おい、それはないだろう!完全にだまされるのだが、これじゃあ肩透かし、人をバカにしおって! 賛否両論ある作品だとは知っていた。綾辻氏は「一番気にいっている作品」だと言う。完全に読者をペテンにかける点では確かに意外性の大きいラストである。しかし読後感は、(あくまでも私にとってはだが)ああ面白かった!ではない。だまされた、それも後味の悪い「だまされかた」だった。 |
2003年6月14日(土) 「黒猫館の殺人」(綾辻行人・著) |
館シリーズ6作目である。次の予定は「暗黒館の殺人」だと言うがまだ発刊されていないので、一応、シリーズ最後の作品である。鮎田冬馬の手記(1〜4)の間に鹿谷門美らの行動が交互に描かれるという構成である。 エドガー・ア・ランポーの「黒猫」をモチーフに、ルイス・キャロルとその作品「不思議の国のアリス」が謎を解くカギに使われる。ルイス・キャロルの本名も作品中にキーワードになる。様々に張り巡らされて伏線は丹念に読むと、おや?と思う部分が確かにある。が、もちろん鹿谷門美の解決編を読むまでその壮大なトリックに全く気付かない。 手記の作者・鮎田とはは一体何者?椿本を殺したのは誰?麻生の自殺は他殺では?他殺となると完全な密室殺人である。外界から完全に遮断された黒猫館での連続殺人事件の犯人は一体誰なんだ?興味はラストまで尽きない。 そして本当に意外なトリック。手記の奇妙な”居心地の悪さ”が一挙に解決を見る。圧巻である。作者はキーとなるすべての事実を手記の中で書いていたのだが気付かなかった読者が悪い?又もや完璧に綾辻のトリックに翻弄された。ペンネーム鹿谷門美が島田潔のアナグラムであるように、鮎田冬馬にも名前の秘密があった。ただしアナグラムではないので、念のため。 ポーとルイス・キャロルの作品へのオマージュということであろうが、もう一人偉大な作家へのオマージュが明らかだ。何と、日本推理小説界の大御所、江戸川乱歩である。彼の初期の短編「屋根裏の散歩者」が「黒猫館の殺人」の中で一人歩きするのだ。ポーに乱歩。綾辻の遊び心が心憎い。 スパイスが十分に効きわたった切れ味抜群の作品である。あ〜、面白かった。。 |
2003年6月5日(木) 「時計館の殺人」(綾辻行人・著) |
600ページを越える長編である。綾辻の作品では692ページの「霧越邸殺人事件」に次ぐ長さだが、長くても飽きない、だれない、トリックは新鮮(時間の流れを速める?)、意外なラスト(犯人)。つまり、本格ミステリーとして言うことなし、と言ったら褒めすぎか。前作「人形館の殺人」では少し興ざめしたが、第45回日本推理作家協会賞受賞のこの作品には大満足である。 無差別大量殺人を除いて、被害者数の数が最も多い作品は何だろう?答えは、アガサ・クリスティーの名作、「そして誰もいなくなった」の10人である。国産ミステリーでは、坂口安吾の「不連続殺人事件」と島田荘司の「占星術殺人事件」の8人が最多被害者数であるということだ。(ワニ文庫「真夜中のミステリー読本」藤原宰太郎・著によるが、現在ではもっと多いと思う) しかし「時計館の殺人」では3日間で何と9人(一人は病院で回復するが)も殺される。さらにその10年ほど前に9人が死んでおり、計18人も死者を登場させ、死者の数ではおそらく世界記録だろう。綾辻行人の本格ミステリー「時計館の殺人」への狂気的とも言える執筆姿勢が十二分に伝わってくるようだ。 窓もない時計館、玄関は頑丈に施錠され、完全に外界と遮断されている。中に居る人間は完璧に閉じ込められ状態である。そこで起きる連続殺人事件。登場人物はお互いに疑心暗鬼になる、もちろん犯人はこの中の誰かであろう。密室ならぬ密館状態で、一人また一人と殺される。 トリックはもちろん時計すなわち時間が絡む。偽装アリバイ工作も。綾辻の頭脳明晰ぶりがよくわかる。こんなトリックを考え付く綾辻はやはり天才?バガボンか。 カップメンがぱさぱさして美味しくない、という理由がラストに分かるが、なるほど。こんな伏線もあったなんて。。 |
2003年8月5日(火) 「フリークス」(綾辻行人・著)を |
「夢魔の手−323号室の患者−」、「409号室の患者」、「フリークス−564号室の患者−」の中篇集である。「館シリーズ」の綾辻行人のもう1つ得意分野、サイコホラー系ミステリーの3部作だ。3編とも精神病院の重症患者の日記や患者の創作したフーダニットのミステリーが入れ子状態になる。 それぞれ妙にひねった作品で最後まで気が抜けない作りになっている。しかし、いつも感じる、長編を読んだ後の爽快感はなし、だまされ感なし、満足感なし。要するにこの手の作品は自分のテイストに合わないのだろう。舞台が精神病院、入院患者が主人公のミステリー。こういった題材にはおのずと無理があり限度もあると思う。 ミステリーにはある種の美学が必要だと思うのだが、このシリーズ(シリーズと呼んでいいのかどうか)には、作者と読み手が共同で作り上げる美学がない。酔いしれる美学がないのだ。 ページ数を増やすためなのか、この本にはあとがきと解説が多すぎる。まずカッパノベルズとして発売された時の作者のあとがきがある。次にやはりカッパノベルズ時の解説(精神科医・香山リカ氏)が続く。その後に作者の文庫本あとがきがあり、最後に文庫版解説(野崎六助氏)もあるのである。解説なしの文庫本もある中、異例のことでは?作品を理解しより深めることになる後書きや解説が多いということは私にとっては歓迎すべきことだ。 |
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