阿部 和重
2005年2月24日(木) 第132回芥川賞受賞作「グランド・フィナーレ」(阿部和重・著)を読む |
作者の阿部和重氏は過去に3度、芥川賞の候補に挙がった作家だという。4度目の正直で受賞し、これで文字どおり、グランド・フィナーレを迎えた、というわけか。 現実に奈良で怒った少女誘拐殺人事件とリンクするような内容と聞いていた。主人公はロリコンの30男。暗くドロドロした、退廃的な小説だろうと思っていた。前回の受賞作、モブノリオ氏の「介護体験」を思い出した。あれには参った。途中で投げ出したくなったものだ。なんで、あんなのが芥川賞を受賞するのだろうと思った。 しかし「グランド・フィナーレ」は、軽いタッチの、読みやすい小説だった。異常性愛、ドラグ、自殺マニュアルなど、怖い、暗いテーマを、さらっと、ほのぼのとしたタッチで描いている。これは作者の力量のなせる業だろう。どこかうそ臭い感じは否めないことも確か。 私小説のスタイルを採る。私、沢見は少女性愛嗜好者、いわゆるロリコン男だ。その性癖のため家族を失い、仕事も失った。しかし、親権も無くなった一人娘には会いたい。人目でも会いたくてたまらない。 このあたりが分からない所だ。沢見は自分の娘の裸の写真も撮っていたが、いったい、ロリコン男は自分の娘にも異常な性愛を感じるものなのか。会いたいという感情が親子の愛から発生しているのか、幼児性愛から発しているものなのか。 前半の都会の夜の描写と彼らの会話がタイムリーで面白い。救いようのないダメ男、沢見。 後半はすべてを失くして田舎に帰ってきた沢見が、小学校6年生の美少女2人にあることを頼まれる。更生しようとする沢見に、過去を思い出させるのか。元の木阿弥になるのか。先の展開に危なさを感じる。小説として面白いと思う部分であり、ページを繰る手が止まらない。そしてあの美少女2人の関係も、また”危ない”関係かも知れない。思わせぶりだ。 しかし、あれでラスト?まだ数十ページあるだろう。次から数ページの広告になっている。そのページを急いで飛ばし、次をめくってみる。やはりあれで終わりだった。だったら、(了)ぐらい、入れてくれよ。誰もが終わりと思わない終わり方である。結末は自分で考えてくれということなのか。 中途半端、尻切れトンボ、欲求不満。賛否両論のラストであろう。 |
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