佐々木忠夫氏慰労の夕べ

2000年11月23日(木) 宮古高校前監督、佐々木忠夫氏 慰労の夕べ
 約140人が宮古高校野球部前監督、佐々木忠夫氏を慰労するために浄土が浜パークホテルに集まった。佐々木氏は昭和37年第34回選抜高校野球大会にセカンド2番で出場し優勝候補、松山商業に延長15回3-4で敗れはしたものの、宮古高校野球を全国に知らしめた一人である。高校卒業後は立教大学に進み、主将として六大学春季リーグ制覇という輝かしい実績がある。昭和43年、佐々木氏は24歳の若さで宮古に戻り母校の監督を務め、何度かのブランクはあったものの、都合28年間の長きにわたり監督を務めた。その間、秋季県大会準優勝(昭和45年)、選手権大会北奥羽大会出場(昭和47年)、春季県大会優勝(昭和50年、51年、59年、63年)、選手権大会準優勝(昭和57年)、そして平成3年秋季東北大会準優勝、平成4年選抜甲子園大会出場という数々の実績を挙げた。
 私は昭和60年から佐々木監督とともに宮古高校で微力ながら野球部の指導に携わった。昭和63年のチームと平成4年のチームが最も印象に残る。決勝戦で専大北上高校を7-2でくだし春季大会5度目の優勝を飾ったのが昭和63年のチームである。増坂、石田、佐竹という3人の好投手を擁し、クリーンナップは沢田(厚)、芳賀、佐々木であった。キャッチャーは野球センス抜群であり1年生からレギュラーの沢田(厚)がおり、ショートストップには県内屈指の内野手と言われた井上がいた。春優勝の後、夏の選手権大会は実質上の決勝戦と言われた3回戦、高田高校と対戦した。8回無死満塁というビッグチャンスをつぶし結局0-3で破れ、その高田高校が甲子園出場を果たした。非常に悔しいゲームとしていつまでも記憶に残るゲームである。