上郷しし踊りの由来と紹介

日本の民俗学を大成した柳田国男がその著書「遠野物語」で紹介した「民話のふるさと」といわれる岩手県遠野市。周囲を山々に囲まれた静かな遠野盆地には、古くから伝えられた様々な伝統芸能があります。その中でも、この地方に伝えられ遠野を代表する伝統郷土芸能といえば「遠野郷(とおのごう)しし踊り」です。柳田国男の著書「遠野物語(第119話)」の中にも紹介されています。

 遠野郷しし踊りは、遠野古事記によると寛永の初め(1624年)には、既に踊られていたとあることから、今から約400年前の領主阿曽沼氏の時代に伝来したと考えられ、傘揃え・傘壊し(復活・滅亡)を繰り返しながら、現在に至っています。

遠野郷ししおどり保存会は市内に13団体ありますが、遠野郷しし踊りの由来によると、遠野三山(早池峰、六神石、石上)を霊山とする山岳信仰の所産として、それ以前より都に通じていた山伏たちが、都の知識や芸を持ち帰り、農民の豊年踊りと神霊の神楽を合体して踊り伝え、後になって氏子(農民)の手によって更に改良を加えられ、農民平和と泰平を感謝して、鎮守の氏神に、領主に、また祖先の霊位に奉納し、大切に継承されているとあります。

上郷町には現在3つの保存会が伝承活動を行っておりますが、上郷町のししの由来は、以下のとおりです。

現在の板沢地区に、田子助(菊池與五兵衛家の三代目であり、現在の佐々木國雄氏は13代目)という人物がおり、才知と行動力に富み、旅に出てはその土地の風俗、芸能に親しみ、持ち帰っては諸々に伝え歩いておりました。遠州掛川(現在の静岡県掛川市)に立ち寄った際、この地方に伝わる勇壮華麗な鹿踊り(しかおどり)に出会い、これに勝る土産はないと考え、鹿踊りを習得してこの地に持ち帰り伝えた(文化4年(1809年))のが現在の「上郷しし踊り」であると言われています。その後、しし踊りは、時の南部藩主の認めるところとなり、南部家の旧家紋(裏紋)である「九星(九曜)」の紋の使用を許され、分家に対しては「向かい鶴」を与えて区別しています。

この貴重な無形文化財をどうにか後世に伝承・保存できないかと昭和57年の夏、上郷町地域づくり関係者が上郷地区センターに集まりました。そして上郷しし踊り保存会(板沢、暮坪、佐比内、細越)を結成、58年には上郷中学校生徒によるしし頭製作、保育園・小中学校へのしし踊り伝承指導活動が始まりました。そしてほんもののお祭りに発表したいという願いは昭和59年にかなえられました。上郷まつりそして遠野まつりには、上郷の子どもたちの勇壮なしし踊りが繰り出されます。
 最後に、この伝承保存活動が実現したのは、保育園、小学校、中学校の先生方と保護者PTA関係者そして地域の郷土芸能関係者が一体となって「ふるさと学習」として粘り強く地道に活動を展開してきたことによるものです。また、しし頭製作にあたっては、地元の大工である金浜敏彦さんの献身的な指導があったからです。
 2002年6月16日(日)上郷しし踊り保存会結成20周年を記念した上郷まつりが上郷地区センター農村公園にて行われました。遠野市長、助役、教育長がお見えになり、盛んに拍手を送っておりました。また、この上郷まつりと上郷しし踊り保存会結成の親ともいえる当時の上郷地区センター所長白金久四郎さんも見えられました。感謝でいっぱいになりました。(筆者談)



01.09.14 遠野まつりパレードに上郷しし踊り保存会が出演した。