遠野南部流鏑馬由来
遠野南部流鏑馬は建武2年8月15日、遠野南部4代の祖、師行が青森県八戸市の櫛引八幡宮に奉納施行したものをもって創始としている。その由来は、元弘の乱で盛岡南部茂時が北条高時の滅亡に連座して鎌倉で討死にしたので、盛岡南部は一時失権した。それで、新田義貞とともに鎌倉攻めに功あった南部師行は八戸に下向し、盛岡南部に代わって南部領を統治した。当時南部氏の氏神の櫛引八幡宮は、盛岡南部の没落で祭典を中絶していたが、南部師行はこれを復活し、かつ、その祭典に鶴岡八幡宮の流鏑馬に模して流鏑馬を奉納施行した。その後盛岡南部も復活して、南部領を統治することとなり、従って櫛引八幡宮の祭典も主催することとなった。しかし、正平21年盛岡南部守行は、南部信光に、「櫛引八幡の流鏑馬は貴家師行の創始であるから、今後も引き続いて従前通り貴家で行うように・・・」と譲ったので、従前通り施行してきた。
 年移って寛永4年、八戸南部は遠野に移封を命じられたが、盛岡南部利直は「櫛引八幡の流鏑馬は、従前通り貴家において行うように・・・」と重ねて譲ったので、その後もわざわざ八戸に出張して施行した。寛永4年南部直栄は遠野に移転したが、当時の遠野八幡宮は創建者の前領主、阿曽沼氏の衰退で荒廃していたのを寛文元年、現在地に遷宮し、馬場を造り、祭典に櫛引八幡宮と同様に流鏑馬を奉納した。爾来8月15日は櫛引八幡、9月15日は遠野八幡と、明治の廃藩まで連綿と施行してきたのである。
 昭和28年これを惜しむ有志によって流鏑馬保存会が結成され、古式通りに復活施行して、現在に至る。
流鏑馬の様子 介添奉行
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