明日は遺跡へ行きましょうと、旅人が言った。
 晴れ晴れした声で淋しげに言った。

「思ったよりずっと早い仕上がりでした。よくがんばりましたね」
 たき火の明かりににじんだ旅人は、ちらちらと踊る火の舌先をみつめて言う。アルトールが相手の存在について見当をつけたせいか、光は半分かた彼の体を通り抜け、影を薄めていた。少なくともアルトールにはそのように見えた。
 ひぃん、細く高い鳴き声がした。今日鳴く夜鳥はふくろうではないようだ。
 アルトールは長めの薪を折って火に投げ込んだ。
 火の粉が飛んで、消えた。
「王のことを話してくれないか……あんたの知っている限り」
 旅人がアルトールを見る。
 ふ、と視線を落とした。

「よき御方でした」

 柔らかくしみる声が甘みを帯びた。
「善良で、まっすぐで……少々短気を起こされる傾向がありましたが、ご幼少の頃より過ちを素直に認められる勇気をお持ちでしたよ」
 ぱちぱちと細かな薪が爆ぜて火の粉が散る。
 ふいに風が首を撫でた。アルトールは肌をこする後れ毛を指で退けた。
 旅人の色あせた髪は揺るがない。
「さきの王がお亡くなりになり、あの御方が即位なされて――そして問題が起きました」
 ぴいん、と、高く澄んだ鳥の声が夜に響く。
「王のお心はいつまでたっても少年のままだったのです」

 ぴい……ん。
 ものがなしい夜鳥の声。

「子供ではなかった。しかしじゅうぶんに大人でもなかった……言動は王にふさわしい、威厳のあるご様子になられました。でも何かを考えるとき、決断するとき、どうしても稚さが顔を出してしまった」
 アルトールに触れた風は梢に届き、さらさらと音をたてて星空に広がっていった。
「王は少しずつお心を曇らせてゆきました。政治から目を背け、城の奥にこもってしまわれた。おそばに寄ることができたのは楽人や舞踊家、芸人たちばかりでした。外へ出るのは劇場においでになるため……それでも祭礼など最低限のお役目はこなしていらっしゃいましたが、ことに外政に関してはいっさいを拒絶なさり、使節と聞くや姿を隠してしまわれた」
 ばちんと大きく火が爆ぜた。
 一瞬強まった明かりに旅人の顔が照らされた。
「それでは国が立ちゆきません」
 火明かりが落ち着き、旅人にふたたび陰がかかる。
 アルトールは深い息をついた。
「……だから、か」
 国ひとつ傾けるにじゅうぶんな振る舞いだ。かの王は病没であると伝えられるが。
「暗殺だったのかもしれんな」
 そっと、旅人が笑みを落とす。
 優しくて悲しい。
「あんたはいったい何者だ」
 アルトールは旅人の双眸に映る火明かりをみつめる。暗い影に沈んだ眼窩のなか、緑の瞳そのものは決して見えない。まわりの何かが縁取ってやらねば旅人の姿は溶けてしまうのかもしれない。大気に広がり消えてしまう声のように。
「知りすぎている」
 旅人はゆっくりとまばたきをした。

「王のおそばにはいつも楽士が控えておりました」

 どこか近くで木の葉が一枚、ぱさりと落ちた。
「ご幼少の頃からずっとおそばにおりました。王は楽士といる間、本当に子供のような振る舞いをなされた」
 旅人は自分の手を見下ろしてしばし沈黙した。大きくて指の長い手。楽器を奏でるための形をしている。
「……甘え……と人には見えたでしょう。心の成長が止まってしまうなど、とうてい信じられる話ではなかった」
「信じたくないの間違いではないのか」
 アルトールはぽつりと呟いて、つまらぬことを言ったと思った。どちらでもたどり着く結末はいっしょなのだ。
 結末だけは。
「皆が必死だったのです。王に、真の王となっていただきたくて。最後の手段はあまりにもおそれおおく、かなうことなら致したくないと……王がお目をお覚ましくださるなら……だから楽士は国を追われました。二度と王の御前に出ることまかりならぬと、そう言いわたされた。それで王がお目をお覚ましくださるなら……」
「だが戻ってしまった」

 明かりの中にふわりと羽が舞い込んだ。羽虫だ。ひらひらと火に吸い寄せられていく。
 ぢっ、と音をたてて羽虫が燃え尽きた。
 夜鳥の長く尾を引く声。

「戻ったのだ。楽士は、王のもとに……違うか」
 この鳥の声はすすり泣きのようだとアルトールは思う。
「戻って、どうなった」
 旅人が顔を上げた。
 火明かりがふくれあがった。
 炎の舌が踊り狂った。夜鳥のすすり泣きをかき消して、風の悲鳴がアルトールの耳をつんざいた。
 どうどうと森が鳴り震えた。
 アルトールは腕で顔を覆った。
 まるで責められているようだ。

「湖の底で」

 旅人の声がすぐ近くで聞こえる。
 溶けずに、まっすぐに。
 はっきりと。

「長い時をかけて骨になりました――」

 しかし遠ざかる。
 また広がっていく。
 また溶けていく。

 ――長い時をかけて――長い時を――

 こだまするように遠ざかり、あとはもう。
 聞こえない。

 ぱちぱちと火が燃えている。
 静かだ。
 顔を上げればありふれた夏の夜が戻っていた。何事もない、少し肌寒い森の夜。
「……そうか」
 誰もいないたき火の向こうに、アルトールは呟くように語りかける。
「あんたも探していたのか」
 扉を開ける誰かを。
 夜鳥の細い鳴き声が遠くから聞こえた。





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