【のぞみ】
−鳥の目−
鷹は鷹匠がとても好きだった。
彼は人に飼い慣らされているのではなく、自分がそうしたいから人に寄り添って生きているのだった。
鷹は、鷹匠が自分を心から好いてくれていることを知っていた。
だがときに、果てなく深く青い空から鷹匠の腕に帰るたびに、鷹は思う。
鷹匠は、なぜ自分の気持ちをわかってくれないのだろうか。
空を飛ぶのは好きだ。獲物を追い、鉤爪の下に命を感じるのが好きだ。
でも、よくやったと誉めてくれる鷹匠の笑顔のほうがずっと好きだ。
皮の厚くなった指で羽毛を梳いてもらうほうが好きだ。
自在に空を駆けながら、本当はいつでも鷹匠が呼んでくれるのを待っているのに。
鷹は鷹匠がとても好きだった。だから、自分の気持ちが鷹匠に伝わりきらないのがひどくもどかしかった。
ごめんな、本当はあのまま行ってしまいたかっただろうに。
自由にしてやれなくてごめん。
おれはひどい主人だな。
鷹匠はいつもそう言ってつらそうな顔をする。
ある日、こんな話を聞いた。
深山に住むヌシを倒し、その心臓を食うとなんでも望みが叶う。
鷹はふと思う。もし人間になりたいと願ったら、叶うだろうか。
言葉が通じればと、幾度も思った。
空なんかより鷹匠のそばがいいと伝えたかった。
人間になったら、もう鷹匠から離れて空を飛ばなくていい。
本当は空に帰りたいはずだなんて、鷹匠に言われることもない。
傍らに目をやると、鷹匠はひどく苦しそうにみつめ返す。
もうそんな目はさせない。
人間になりたい。
ずっとこのままでいるくらいなら、望みに賭けて、死んでも構わない。
鷹は獲物を探しに飛び立った。
ヌシは大きく強かった。
鷹は重くなっていく体を懸命に操って執拗な攻撃を繰り返した。
ヌシの巨体にひとつ傷を穿つためにふたつ傷ついた。
ヌシが太い腕をひと振りすると、鷹匠は木偶のように地面に転がった。
鷹は鷹匠の視線を感じていた。
見えなくても鷹匠が泣いていると知っていた。
鷹を案じて、自分を責めているのがわかっていた。
人間になりたい。
伝えたいことがある。
言いたいことがある。
だから早く、人間になりたい。力及ばず倒れるのでないなら、一刻でも早く。
ヌシの咆哮が断末魔の悲鳴に変わった。
人間になりたい。
−人の目−
鷹匠は鷹がとても好きだった。
彼は鷹を使って狩りをする人ではなく、鷹と共に生きるために狩りをする人だった。
人の言葉を理解するほど賢くて、決して逸りも怯えもしない勇敢な鷹。
柔らかな羽毛を梳いてやると気持ちよさそうに目を細め、そんなときはいっそう愛おしくてならなかった。
鷹匠は、鷹が自分を気に入ってくれていることを知っていた。
だがときに、鷹が悠然と空を舞うのを眺めるたびに、鷹匠は思う。
鷹は、本当は空に帰りたいのではないだろうか。
鷹がいちばん美しいのは空にあるときだ。自由を満喫するように、彼方まで一直線に飛ぶときだ。
生き生きとして、力に溢れ、喜びに満ちている。
それこそが本当の鷹の生きかたであろうに。
もう帰ってこないのではないか、思った瞬間に呼び戻してしまう。
鷹匠は鷹がとても好きだった。だが鷹を自由にしてやれない、我欲の強い自分は嫌いだった。
ごめんな。
本当はあのまま行ってしまいたかっただろうに。
ありがとう、そばにいてくれて。
自由にしてやれなくてごめん。
でも、だめなんだ。
離れたくないんだ。
おれはひどい主人だな。
ごめんな。
鷹はおとなしく翼をたたんで、もの言いたげな目でじっと鷹匠をみつめている。
ある日、こんな話を聞いた。
深山に住むヌシを倒し、その心臓を食うとなんでも望みが叶う。
鷹匠はふと思う。もし鷹に人の言葉を与えたいと願ったら、叶うだろうか。
言葉が通じればと、幾度も思った。
一方的に話しかけるのではなく、漠然と気分のほどを感じて心情を推し量るのではなく。
間違いようのないはっきりした答えがほしいと。
鷹は人の言葉を得たら、やはり自由になりたいと言うだろうか。
今まで見まいとしていた事実を突きつけられるのがたまらなく怖かった。
鷹は決意に満ちたまなざしでじっと鷹匠をみつめている。強くなにかを望んでいる。
鷹の願いは、自分がもっとも恐れていることかもしれない。
離れたくない。
鷹は強くなにかを望んでいる。
離れたくない。
鷹匠は狩りの支度をはじめた。
ヌシは大きく強かった。
鷹匠は引き裂かれて動かなくなった身体を地面に投げ出し、だいぶ見づらくなった目で鷹の姿を追った。
鷹ももうぼろぼろだった。ヌシの太い前肢が空を薙ぐと、斑に赤く染まった羽がまた舞い散った。
どうしてこの獣でなくてはいけないんだろう。
朦朧とした意識にまなじりの熱さだけが染み通ってくる。
どうして、自分の心臓ではいけないんだろう。
鷹は血の緒を引きながら戦い続けている。
どうして動けないんだろう。
どうして、大好きな鷹の望みひとつ、叶えてやれないんだろう。
どうしてこんなに役に立たないんだろう。
どうして、もっと早く鷹を自由にしてやらなかったんだろう。
どうして好きにさせてやらなかったんだろう。
どうして鷹が傷だらけになっていくのを止められないんだろう。
どうして自分の心臓には力がないんだろう。
鷹を苦しめるだけなら。
いっそ自分の心臓を捧げて鷹の願いが叶うなら、こんなに簡単なことはなかったのに。
ヌシの咆哮が断末魔の悲鳴に変わった。
鷹が呼んでいる。
獲物を捕らえたときいつもそうするように、甲高く誇らしげな声をあげて鷹匠を呼んでいる。
もういいんだ。
おまえは自由なんだ。
おまえの望みは叶うし、もうおれという足枷もない。
自由なんだ。
ああ、やっぱりおまえはきれいだな。
−鳥の目−
鷹はまだ温かいヌシの身体に爪をたてて、赤々と濡れた心臓をついばんだ。
人間になりたかった。
鷹匠は死んでいる。
人間になりたかった。
ヌシの心臓の、最後のひとかけらを飲み込んだとき、鷹は人間になった。
手の使いかたも足の運びかたも自然と身についていた。
鷹は血にまみれた口を拭い、傷だらけの体を起こして、足を引きずって歩きだした。
鷹匠の身体はもう冷えかけている。
抱き起こす力もなく、鷹はそのまま鷹匠の引き裂かれた胸に倒れ伏した。
人間になりたかった。
おまえと一緒に生きたいと、伝えたかった。
鷹は静かに目を閉じた。望みは叶った。人間になった。だから、いい。
身の奥で熾のように、魔力の残滓が燃えていた。
もういい。
望みは叶った。鷹匠は死んだ。だからもういい。
鷹匠がいないこの世界にどんな思いもない。鷹匠がいないなら自分の命も意味がない。
このまま死にたい。
共に生きられないなら、共に死にたい。
ヌシの心臓は最後ののぞみを叶えてくれた。
もらいものです。話を聞いて、載っけたくなって書きました。毎度ありがとう朋友。
彼女は鷹の視点で夢をみたそうで、そんなわけだから鷹匠のパートは創作。だいたいこんな感じかのう、と、聞いた話を元に作ってしまいました。違ったらごめんね。ちなみに文中の「ヌシ」は、夢の中では虎っぽかったそうです。