| 六神石神社 | ||||||||||||||||||||||||
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| 御祭神 | ||||||||||||||||||||||||
| 表筒男命 中筒男命 底筒男命 息長帯姫命 大己貴命 | ||||||||||||||||||||||||
| 宮司 | ||||||||||||||||||||||||
| 千葉 雄孝 | ||||||||||||||||||||||||
| 鎮座地 | ||||||||||||||||||||||||
| 遠野市青笹町中沢17−131 | ||||||||||||||||||||||||
| 例祭日 | 9月23日 | |||||||||||||||||||||||
| 由 緒 | ||||||||||||||||||||||||
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人皇第51代平城天皇の御代、大同2年(807)時の征夷大将軍坂上田村麻呂 蝦夷地平定のため蒼生の心伏を願い、神仏の崇拝をすすむ。時に六角牛山頂に薬師如来山麓に不動明王、住吉三神を祀る。爾来陸奥の国中の衆民、衆団をなして登山参拝あとを絶えず、霊山として山伏の修行者多く集まる。 第54代仁明天皇の嘉祥年代(848〜851)元住吉といえる地に社殿を建立し住吉祭神を遷し奉り住吉太神宮と称す。山頂の堂宇再三の山火事に被災し、後鳥羽天皇の文治5年(1189) 阿曽沼公石洞の地に神地を寄進し神殿を建立、山頂の祭神を遷奉り六角牛新山宮と称し、六角牛山善応寺を創設し祭事を司掌させ、後に住吉太神宮の新座地を川向い(現在の六神石神社の地)に定 め奉遷す。 寛文年中(1661〜1673)南部領となるに及び社領95石を寄納さる。六角牛新山宮は 住吉太神宮に合祀される事となり、享保10年(1725)奉遷。明治5年(1872)青笹村社 六神石神社と改まる。大正4年(1915)9月、供進神社に指定される。 |
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