早池峰神楽の奉納
大出神楽の由緒
 大出神楽は、藤蔵の後裔始閣家が伝えた。この始閣家は早池峰山信仰の法脈を天台宗の法印
にゆずった後、祢宜として新山宮に奉仕する。後には上禰宜、下禰宜とに分かれ、縁組みをし
ないことによって忌みが重なることを避けて、神事に支障がないようにした。また始閣の姓は
二軒のみとして、別家にもこの姓を許さなかった。
 宝暦八年(一七五八年)第五十五代の法印宥全が寺社奉行に提出した口上之覚書を見ると、
神楽は始閣家およびその縁者によって営まれていたことがわかる。
江戸時代の『良巌院文書』では大出神楽を社家神楽といっている。遠野郷の内でも最古とい
われる大出神楽は、早池峰山妙泉寺・新山宮の神楽で、そこの禰宜の始閣家が早池峰開山のころ
より伝えたものであった。神道神楽の宗家の大出神楽はゆっくりした拍子(五拍子という)で
古い形を色濃く伝えておる。
神社に戻る