| 第一世 佐々木宥尊師 福泉寺開祖の第一世・佐々木宥尊師は、明治36年仏門に入ることを決心し、遠野裁判所書記の職を辞し、妻とも離別し稗貫郡(現石鳥谷町)の五大堂光勝寺に入門し、住職赤塚宥天師より宥尊の法号をいただき、六年間の修行の後、真言宗豊山派本山、奈良の長谷寺に学び、下山にあっては江刺郡人首(現江刺市)に名跡のみ残す福泉寺の寺号をいただき光勝寺に帰る。 宥尊師は、今後について苦慮したが故郷である遠野へ帰り、早池峰山を仰ぎ見る駒木の宮洞に高野山を擬した壮大な構想の第一歩として寺建設を決意したといいます。 しかし、明治の廃仏毀釈の余波がまだ残る時代で新寺建設の認可を受けるまで30数回に及ぶ出願を要し、さらに迫害中傷、災難の連続で完成しかけた堂宇を嵐により倒されること二度、幾多の困難と辛酸を味わい努力と労苦の末、遂に大正元年に法門山福泉寺の完成にこぎつけ、大正6年9月末認可される。 昭和4年・新四国八十八ヶ所霊場を開設した。 第二世 尻石宥然師 第二世・尻石宥然師は下閉伊郡小国村(現川井村)に生まれ、宥尊師に弟子入りし、師共々忍苦の生涯を歩み、不屈の精神と努力の結晶ともいうべき、境内の面積六万坪という現在の福泉寺の威容を整えました。 新西国三十三ヶ所霊場の建設、山門、仁王門、多宝塔の他、苦行修行をしながら一本の松の大木から実に20年の歳月を要して完成させた十一面観音像は師自作にて木像観音像では日本最大(高さ17メートル)のものである。 この大観音には第二次世界大戦での戦没者慰霊と祖国再建、世界平和の願いが込められている。 第三世 尻石正全師 (現住職) 第三世・尻石正全師は、二世住職宥然師の甥にして後継者として修行に励み宥然師と共に数々の施設建設に携り、特に興行大師800年を記念して五重塔を建設、遠野初の五重塔は遠野観光のシンボルとして福泉寺の名を一層高めております。 さらに毘沙門堂の落慶、参拝者、観光客に配慮した寺院整備に努め四季折々の草花に彩られた環境を作り上げました。 第四世(予定) 今渕隆堂 高校卒業とともに仏門の道に入り、丸二年の本山長谷寺での修行を終了、日々僧としての修行、精進に励む若者です。 |



| 由緒 早池峰山妙泉寺が明治維新の廃仏毀釈の法令により早池峰神社に改宗されたが、かつての妙泉寺檀家信徒総代であった附馬牛小出集落(遠野市附馬牛町)の佐々木紋右衛氏は妙泉寺再興を願っていたといわれ、氏の孫で佐々木源吉(佐々木宥尊師)が祖父の意思を継いで仏門に身を投じると厳しい修行と幾多の苦難を経て、大正元年(1912)8月、駒木村の宮洞の地に一宇を建立し法門山福泉寺を開山する。 御本尊「不動明王」 寺宝 「福徳十一面大観音・白衣観音 等・・」 |
| 穀断行 | 一月元旦開白八日結願 |
| 節分会 | 二月三日 |
| 初大師 | 旧正月二十一日 |
| 花まつり | 四月二十九日〜五月五日 |
| お盆棚行 | 八月十四日〜十六日 |
| 秋季大祭 | 十月十七日 |
| もみじ祭 | 十月十五日〜十一月五日 |
| 星供祭 | 十二月二十二日より一週間 |
| 不動尊縁日 | 旧六月二十八日 |
| 大観音縁日 | 毎月十七日 |
| 桜 | 4月下旬から5月上旬 |
| 躑躅 | 5月中旬から5月下旬 |
| 紫陽花 | 7月上旬から7月下旬 |
| 山百合 | 7月中旬から8月上旬 |
| 紅葉 | 10月中旬から11月上旬 |







| バス 早池峰バス、大出行きまたは坂下行き、福泉寺バス停下車 遠野駅より約15分 お車 国道340号線足洗川バス停付近交差点より遠野ふるさと村に 至る県道に入り約2キロ・・・ |
| 遠野定期観光バス・・・(各コースとも福泉寺が組み込まれています) 土日祝日運行・・5月連休〜7月中旬 毎日運行・・7月中旬〜9月下旬(その年により変更有) Aコース・・大人4,500円 小人3,000円 Bコース・・大人4,000円 小人2,500円 各コース、昼食費、各施設入場料込み 詳しくは遠野駅前観光案内または早池峰バスへお問い合わせください。 福泉寺大観音拝観料(入山料) 大人300円(20名以上団体一人250円)小学生200円、中高生250円 車での入山は大人500円(一人につき)、20名以上団体一人450円 入山時期 4月中旬〜12月末、正月三箇日(元日は無料) 午前8時〜午後5時・・・・夜間、冬期間閉鎖 |