合同舘攻めオフ・遠野冬の陣
2003年11月22日(土)
第一部舘攻め
稲用様(奥州城壁癖 管理人)東京都八王子市
杉坂様(レオのHP 管理人)青森県八戸市

第二部迎撃オフ
ホテル鍋城オーナー様・専務様(ホテル鍋城)
座敷親父様(本間様)(本間果樹園)

稲用様・杉坂様
奥州城壁癖
 東北地方の城を紹介するサイト。特にマイナーな舘クラスを重点に丁寧に歴史背景を中心にご紹介されております。また没落諸家(氏)を扱ったコンテンツもあり、私が紹介する遠野阿曽沼氏関連の検証は遠野人の私でも参考にしたいほど詳しく掲載されております。遠野阿曽沼氏を全国へ紹介しているサイトは拙サイトと奥州城壁癖様しか今のところ確認しておりません。共に今後の研究などを通じて意見、情報交換の縁を結んでおります。
レオのホームページ
 青森県、岩手県を中心に実に三桁に近い城、舘を攻略されている本格派城郭サイト。
 レポ風の城紹介は、実にわかりやすく興味をそそられる内容となっております。ほとんど名の知れない舘などを全国へ紹介するいわば東北を代表する貴重なサイトという位置づけでもあります。また私の住む遠野とは縁が深い青森県八戸発信ということで拙サイトとも共通する事柄も多く、こちらもさらなる今後の拙サイトとのつながりが是非とも必要なサイトでもあります。
今回参加いただいた皆様は、拙サイト「遠野・松崎じぇんご」「奥州虎猫舘」とリンクいただいているすばらしいサイトの管理人さん、その関係者の方々です。特に東京都からお越しいただいた稲用さん、八戸市からの杉坂さんとは、歴史関連にて北奥羽について調べている関係上、何度かお会いし、稲用さんには2003年、5月に遠野地方の舘跡を御案内し、主要な舘を中心に城攻めを実施しております。また稲用さんと杉坂さんは、扱う分野が共通することから共同で現地調査をしておられます。杉坂さんとは稲用さんのサイトにて知ることになりますが、南部氏関連にての共通点もあり、相互リンクしておりますし、2003年、10月、八戸訪問の際にお会いしてさらなる縁を深めております。
遠野郷舘攻め合同オフ
 
 2003年11月22日、土曜日、天候 雨
 天気予報では、前夜からの雨は雪に変わり、本格的な降雪となる見込みで風も強く、大荒れの天候と伝えられ、本日の城攻めは悪天候との戦いであると覚悟を決めて、待ち合わせ場所である北上駅にマイカーを走らせ、自宅は7時45分出発となる。
 今回お越しの二人の管理人さんとは、ホームページで知り合い、共に共通する内容を扱っているということから、親しくお付き合いしていただいております。
 今年のゴールデンウイーク、桜花香るみちのくは紫波、岩手郡、八戸方面と稲用さん、杉坂さん達は泊りがけで城攻めを行い、その最終日、遠野地方の舘も調べたいとのことで稲用さんのみ、遠野入りし、宮守、遠野の主要な舘跡を御案内したのですが、当方の事前調査不足、認識不足で思うように回れず、次回の再挑戦を約した経緯もあって、枯葉のシーズンは比較的山に入りやすいということで、今回の遠野入りが決定、また北奥羽の城関連のほとんどを把握されている杉坂さんですが、遠野の城、舘はまだ未開の地ということもあって稲用さんにお誘いいただき、今回は私含め三名の城攻めとなったしだいです。
 実は前夜、妻、義妹、知人と共に仙台に行っておりまして、帰宅したのは夜中の1時、当日は朝9時15分、北上駅待ち合わせということで、慌しく家を出たのですが、昨夜からの雨、前日は20度近くまで気温があがり、半袖でも過ごせそうな暑さとはうって変わって、日中には気温が急激に下がって本格的な雪模様との予報、少し天候のことが気になるところでしたが、8時45分、北上駅に到着、まず稲用さんが乗ってくる新幹線の到着時刻を確認後、20分まで無料の駐車場に車を入れ、まずは駅のホーム入口にて一服タイム、そうしている間に何処かで見かけた方が歩いてくる。「あっ杉坂さんだっ」軽く手を振ると杉坂さんもわかったみたいでまずはご挨拶、ところが杉坂さん曰く、「待ち合わせ場所は東口では・・」あっ・・その通り」ここは西口でした。すると杉坂さんは、既に東口の舘跡ひとつを見てきたという、なんとも凄い、突風で傘が壊れたということで駅で新しい傘を買い、まずは車に乗り込み、東口へと向かう、「どうでしょうか、すぐ側ですので安倍時代の柵跡がありますから見ませんか」と声を掛けられ、「あっ、そうか、黒沢尻柵があったな」と思い起こし、杉坂さんのナビで黒沢尻柵跡へまずは行ってみる。なるほど駅からそう離れてない、地元である私としてはノーマークだったとことが悔やまれるが、まずは標柱と堀跡を画像に収めて、北上駅東口へと車を滑り込ませ、駐車スペースの空いた場所へ車を入れると、杉坂さんがまずは行ってみてきますということで、杉坂さんが先行で駅構内へと入っていく。私はまたもや一服、外で待っていたが、間もなく稲用さんが出口からひとりで出てきた、軽く挨拶後、迎えに行ったはずの杉坂さんが居ない、「いたっ、カウンターでなにやら調べている。稲用さんが再びホームへ入って行くと気付いたようで、二人でなにやら相談しているようだ、流石何度も城攻めを行っている仲間という印象がありましたが、翌日の行動に合わせる列車の時刻、帰りの電車の時刻を調べていたという、話はまとまったようで、杉坂さんはそれらの切符の手配に再び駅構内へ行きましたが、まず稲用さんをマイカーに導き、ほどなくして杉坂さんも合流、一路、遠野方面に車を走らせました。
 まずは車内で本日の予定を稲用さんと打ち合わせ的に話しましたが、これから雪に変わり荒れ模様となる見込みであるので、かねてからのご希望の住田方面へ最初に行った方が得策かもしれないと判断、住田町の気仙地方は割りと温暖な地域でもあるので、それほど雪が降るとは思われないこともあって途中の遠野市小友町の舘跡、前回中途半端に終わった平清水舘、新谷舘をみた後、住田入りということにして、特に住田の世田米城は是非みたいとの意向もあって一路国道107号を大船渡方面へと車を走らせる。途中の峠あたりからは予報どおり雨が雪に変わり、ついに雪かと一同、少し暗い雰囲気になるも杉坂さんは、道中の山間の突端や小高い場所が気になるらしく、おそらく舘らしい雰囲気の場所を探している様子、流石である。
 小友町と住田町との境であり、慶長年間の遠野合戦最後の舞台、樺坂峠が気になるようで稲用さんに樺坂峠には行けますかという質問、私も一度は行ってみたい気持ちもありましたが、確か車では越えられないと聞いたことがあって、また人々の往来も現在はなしという情報だったので、このことをお伝えすると今回での訪問はなし・・ということにして、まずは少し時間に余裕がありそうなので、少し皆さんも興味を抱けそうな遠野市小友町の鮎貝地区の鮎貝舘へ御案内となりました。
 この舘は、ひとつの説があって、この地域は五輪峠という要所を控え、江刺領との境に位置し、葛西氏、後は伊達氏との境を接する場所で、なんでも遠野阿曽沼宗家の招聘で対南部氏、家臣、一門の親南部氏一派への対抗措置として、伊達政宗配下の出羽国出の鮎貝志摩守を密かに招き入れ、この地に舘を築いたとされる内容です。
 お二人とも興味を示されたようですが、場所の特定は出来ているものの、舘跡の山への登口がどうも怪しい・・前もって知り合いからも聞いてはいたが、教えられたところからはそう簡単には入れそうもない、結局、車を止めた場所が一番入りやすく、この場所から入山、入ってすぐの場所には平段らしいものがある。堀のようなものが確認されたが、こちらは近世のものらしい・・周囲を少し調べたのみで決定打に欠けましたが、それでもお二人は満足と私なりに判断しまして、平清水舘へ車を向かわせました。途中、西来院というお寺を地図にて発見した稲用さんに読方を質問されましたが「さいらいいん」とお答えし、少し平清水氏とも関連ある寺でもあるので、最初に西来院へお連れして由来書の石碑をご覧いただきました。開基は平清水氏、これから訪問する平清水舘の小領主ということで、俄然盛り上がりの様子、さらに県北地方のと関わり、九戸の乱での関わりと杉坂さんも興味を示され、ご案内した甲斐がありました。実は「せいらいいん」でした。謝
 石碑を画像に収めると平清水舘へと向かい、舘跡と思われる場所にて車を止めてしばし山の感じなんかを話していると以前訪れた状況と違うことに気付き、思い出しました・・場所が違う、さらに車を走らせ次の峰へ、「ここだぁ」なんとか行き着きましたが前回はここまで来ながら何ひとつ舘であったという証拠をつかまなかったので、不安でもありました。お二人は道路下の杉林へ入られましたが、私は道路上の林に侵入、早速の山登り、春とは違って歩きやすいのですが、雨雪で滑りやすく、また行けども何もありそうもないので、やむなく撤退、元の場所に戻ると稲用さんが「堀跡発見しましたよ」との声、「やられた」思わず案内役の私としては少し悔しく恥ずかしい、でもその空堀跡をみると「なるほど」と納得させるものでもあったので、まずは安心、杉坂さんはしきりにメモをとっている・・図面を書いている、また精度のよさそうな計器も導入して本格的だ・・ここでも流石と頷く自分がおりました。 
 まずは前回の雪辱は一応果たしたと判断し、次の場所、新谷舘へ、少し標柱探しに手間取りましたが、傾きかけた標柱を発見、前回と同じで川を越える箇所探し、しかし中々行けそうな場所がない、再び車に乗って手前の橋から川向こうに渡り、地図上では舘が有った山の裏側らしき場所に進入、しかし何もない、また狭い悪路でもあるので、やむなくUターン、再び国道に出て、仕方なく標柱の200メートル程手前の人専用の木橋を渡って反対側に行くもここもなかなか難儀する行程、なんとか標柱の川向かいに達すると、空堀らしきものを道として使用する箇所を発見、堀跡なのか、近世に作られた道なのか、私は堀をそのまま近世に林道として使用したものではないかと判断しましたが、お二人もその方向で決まりつつあるようです?でも川の配置や山の構えから、おそらくこの場所が舘跡であったと思われ、後で私が地元資料等を探してお伝えすることにしました。

 この時点で午前11時45分、思ったより時間経過が早い、このままだと住田町を少しみてからの遠野入りは、予定よりもかなり遅れそうである。どうしても午後は私が数日前に調査している地元の舘跡二箇所をご覧いただきたい、そう考えてましたので、このまま遠野入りする了承を得て、物見山沿いの林道を使ってまずは綾織町の西風舘へと向かいました。ここも数日前から何度か訪れて調べてはいるのですが、下からみた場所と途中の林道から入った場所の特定が出来ないままの舘でした。当日、お二人にもみていただいて特定しようと考えてましたが、どうしても特定できず、次回また・・ということで、昼食場所としていた道の駅 遠野風の丘に向かい、ここのレストランにて昼食タイム、稲用さんと私はジンギスカンカレー大盛、遠野らしいメニューである。春の遠野入りでは稲用さんはジンギスカン系はダメということで、遠野一のおもてなしジンギスカン鍋は前回できなかったのですが、以後ジンギスカンは食べれるようになったとの事、今回はジンギスカンは準備してませんでしたが、次回は必ずジンギスカンにておもてなしいたします。杉坂さんは遠野名物丸いも鍋定食、丸いもとは・・と質問されましたが、実は全く知らず、今回はじめて知ったしだいです・・すみません。
 ところが店員さんが間違えたのか丸いも鍋定食が二人分運ばれてくる、3人しか居ないのにカレー含めて4人分、これはもう一人誰か連れてきたかもしれません・・汗・・大いに有り得る話でもありますが、正規に注文した内容にて一件落着、しかしジンギスカンカレーの大盛、ほんと大盛りで私は残してしまいました。少し身体が重く、午後の山登りは少し辛いかもしれません。

 お昼の一時も終了、物産店にてお土産や遠野特産をしばしみていただく、杉坂さんは丸いもが気に入ったらしくお土産として購入、午後も1時を過ぎ、いよいよ私のお奨め、松崎町の舘跡へのご案内となる。しかし雨雪が降り注ぐ最悪な天候、でもなんとかなりそうな感じあり、遠野南部家支配時代の女殿様、清心尼公の墓と隣接の諏訪神社をご案内、次に中世遠野領主、阿曽沼歴代公の碑をご案内、そしていよいよまずは第一弾、横田城の攻城戦がはじまるのである。
 まずは全景撮影のため、登戸橋途中の農道に車を入れ、撮影、だんだん空も明るくなってきている、これは行けると内心喜んでいました。横田城入口に車を止め、正規のルートではなく南側の山際の田んぼの畦道を進む、登口にはカモシカの遺骸があり、数日前に発見しておりましたが、お二人とも驚いた様子はみられない、少しガックシ・・遺骸を横目に見ながらまずは5メートルほどの斜面を登り、数日前に発見した城背面の空堀跡?らしき遺溝をご案内、お二人とも遺溝と判断したらしく、特に前回、背面の空堀等を探したにもかかわらず藪に阻まれたこともあったので稲用さんも満足された様子、杉坂さんも興味を示されていた様子でした。そのまま斜面を50メートルも登れば頂上の平場に到達しますが、斜面をよじ登るといった感じですので、ここは断念、来た道を戻り正規のルートにて本丸目指して進撃を試みました。稲用さんはカレーの食べすぎか、それとも早朝に自宅のある八王子を出たせいか、少しバテ気味、また少し気持ち悪い城のひとつとおっしゃる場所でもあるので少し歩みが遅いようである。平場の薬師堂に到着、杉坂さんは奥の藪に向かってドンドン入っていく、稲用さん、私とつづいて入るも、誰かが以前は行った形跡があり、そのルートには印のついた杭が間隔良く立っている、今回は相当奥まで行けそうだ、少し奥へ進むと、杉坂さんがなんとなく「やったあ」という雰囲気に変わる、稲用さんもすこし満足した様子、続いて私も行ってみると、空堀らしき堀跡、少し開けた場所に出た、これは・・・知らなかった、少し堀跡は土砂や枯葉で埋まってはいるものの他とは違う形状、それも結構大きい・・・流石当時は領主の城である、それなりに見ごたえのある光景が広がっている。杉坂さんもたいへん興味を示され、感動している様子、稲用さんも少し興奮しているようで、ついに念願叶ったというような表情、おふたりの城の形状についてのお話も熱を帯び、素人である私も結構いい感じの城だったのだと思わすにいられませんでした。杉坂さんはしきりに図面をとっている、私も後日、松崎町内の舘跡を限定アップと考えてますので堀の形状などとにかく画像に残し、少しだけ図面として書きました。

 遠野の主城である横田城攻めは、我々が落城させ、その支城たる松崎舘に向かう、こちらは自宅から直線で一キロもない近場、しかし、遠野はおろか地元でもその存在は皆無に等しい、一部山林の所有者や郷土史をかじった人々しか知らない隠れた名跡でもあります。数日前、二度にわたって私は松崎舘に入り、念入りに画像に収めたりしております。ここが今回一番のお奨めの舘であり、是非みていただきたい舘でもあります。
 養安寺跡を示す標柱脇に車を止め、畑を縦断して山へとつづく林道に入る、それほどキツクはないが、けっこう足にくる、稲用さんは、ここでもバテ気味のようだ、それでも地元である私は勢い勇み、最初の空堀跡をご紹介、お二人ともそれほど驚かない、この堀跡からさらに上部へ移動、這い上がるといった感じでけっこうキツイ、杉坂さんはなんとかついてくる、稲用さんはかなり効いているようだ、そういえば昼食時、風薬などを飲んでいたな、咳が止まらないとも言っていた、少し私が張り切り過ぎた感じもありますが、本番はまだまだもっと凄いものが待ち受けていると思うと張り切りざるをえないことでもあります。
 途中の平段を確認しながら早くも私は頂場に到達、さほど大きな舘でもないし、斜面はきついがそれほどでもないと思っている。杉坂さんも到達、側に来るとまたもや先を急ぐ自分が居る、後から来る人は休む暇もない・・・、まずは背面、北側の空堀跡が見えるところでお二人を待つ、杉坂さんが到着、少し驚いた様子、「けっこう立派な空堀ですね」そうなんです、これをご覧いただきたかったんです。稲用さんも到着、「立派ですね」との声、実はさらに先にも二重、三重の空堀が交差する割といい感じで残されているのです。そこもご紹介、小規模な舘にしては、かなり大きめで数のある堀、ここへ来てお二人も満足した様子、また複雑に入り組む空堀を含む全体像の形状を図面にする杉坂さんも難儀している様子、私もなかなかうまく書けない、稲用さん、杉坂さん共同でなんとか図面にしたようである。横田城ほどの感動はなかったものと思われますが、それでもご案内した甲斐はあって私としては満足でした。
 脇道に逸れますが、このようなすばらしい史跡、今まで知らなかった私も反省すべきですが、なんとか後世に残したい、伝えたい、私も今年からお二人のような城めぐりのサイトさんと知り合えて、それなりに遠野内の舘もみました、少しですが堀や遺溝の類の判別も判りかけております。そういった意味では、松崎舘はその跡が判然としている舘でもあり、せめて標柱と説明板くらいはほしいところです。なんとかしたいそう思う史跡です。
松崎舘の空堀跡
 私なりには松崎舘をご案内したということで、本日の満足度は90パーセントを越えておりますが、、もう二箇所、そして時間があったら鍋倉城と考えての本日の行動でもありますが、次は郷土史関連では超マイナーながら地元でも割りと規模の大きい舘とされている、日渡舘(火渡)、ここも知人に進入路や目印は聞いていたが、実際に登ったことはない場所でもあります。途中、私の住む駒木地区にある阿曽沼館をご案内、遠くからの画像のみとなりましたが、機会がありましたらいずれまたご案内ということで、目的の附馬牛地区に入り、日渡に着くと、まずは全景を画像に収めていただいて、神社のある南側から城攻めを試みる。
 ところが道というか、経路は神社で途切れている、頂上はまだまだ上に見え、途中平段のような感じも見受けられるが、隣の山も気になる、ひょっとすると隣も何かしらの舘として機能していて、それらの遺溝もあるのでは・・・杉坂さんと共に途中まで行ってみるも、こちらもどうみてもこれ以上、進めそうもない。また神社の前まで戻ると稲用さんが城の図面のコピーを持参している、それにてしばし検証すると北側に長く伸びている、北側は切通しになっていて民家が一件存在しているはず、こちらから登った方が早いかもしれないと判断するも、ここも一気に攻略しないと日没が近い、私はとにかく斜面を這い上がるように頂上を目指す、藪もなんのその、なんとか頂上に到達、しばらく周囲を歩くと、西側が五メートルほど下がり平場が広がっている。また二段にわたる平段も発見、ここだっ、早速神社の直上の場所から下を望むもお二人が見当たらない、これは困った、ひょっとして北側に向かったか、それならば頂上から北側に向かうと、忽然と視界が開けると下の民家の屋根が見える、「あっ、これは」空堀跡だ、間違いない、少し埋まっているがそれと判るものが残っている、早速またもや頂上を移動するとお二人が登ってきた。発見した喜びもあって、「間違いないです、ここが舘跡です」と思わず声を発すると杉坂さんが反応し、その平段をみて、納得した様子、さらに北側の空堀跡を示すと、間違いないという様子、稲用さんもやってきて、「ここですね」と声を出す、北側の方が断然入りやすいのも判った、画像に残しながら難なく下山、ここも落城と相成りました。
 
 まだ少し日没には少し早い、30分はなんとかなりそうだっ、雪も止んでいる、当初予定としていた海上の八幡舘、ここも実はご案内したいところでもある。稲用さんは東禅寺を見たいようだ、同じ町内でもあるので可能ではありますが、自分としては鍋倉城をなんとか杉坂さんに見せてあげたい、本日宿泊のホテルも近いのでギリギリまで城攻めは可能と判断したが、それでも東禅寺も見せてあげたい、ただ、林の中なので暗くなると少しやっかいでもある。ここは車で5分ほどで到着できる八幡舘が無難であるので、八幡舘の調査をお話しますと、お二人も納得、本日最後の城攻は八幡舘となりました。
 ただしこちらも数日前に事前調査したのですが、熊が通った獣道、前日にもすぐ近くにて熊が出没、おそらく八幡舘もその経路であろう、あまりいい気持ちはしないが、八幡舘は私の住む地区内でもあるので、なんとかこちらもご案内と考え、もう少し頑張っていただこうと思いました。
 こちらはさほどの山登りではないので、短時間で済ませることが出来る内容で、まずは数日前に発見した空堀らしき溝をみていただきました。しかし、あまり反応がない、近年に作られたものか、単なる窪みか、判断は難しいということかもしれませんが、私は空堀であると考えてます。何か飛び出てきそうな笹竹の群生、熊か何かが通ったと思われる萱や雑草が倒れている箇所を見ながら本丸とされる神社のある頂上を目指す、頂上までは明らかに人工的に手が加えられた平段が二段、杉坂さんも平段と認めているようだ、しかし他の堀などは発見に至らず、ここに来てかなり暗くなってきている、もう限界かもしれない。まずは全体像は把握したと判断し、こちらも落城と考えている。
 終わったと思ったら左足のひざ裏が痛い、少し無理したのか、けっこう痛みだしている。なんとか我慢は出来るし、車の運転にも支障はないみたいだ、お二人を今夜の宿、ホテル鍋城へお連れするため、遠野市街へ車を走らせる。
 ホテルの名からして鍋倉城から取ったものだと言いかけましたが、鍋倉城をご案内できなく少し心残りではありますので鍋倉関連の話はまた後と考えてのことですが、お二人は翌朝、早くに城攻めを行うということで、まずは安心、特に八戸にお住まいの杉坂さんには、懐かしい名前なども登場するので、是非、後日の攻城レポ拝見したいと思います。
 今夜の宿、ホテル鍋城さんには無理を言って、迎撃オフの第二部の料理などを作っていただくことにしておりました。ホテルのオーナーさん、また遠野発信のサイトの管理人さん等、数人でオフ会的なことを行う予定でもあり、4時30分、ホテルに到着、即チェックイン、オフ会は午後6時からということで、まずは着替え、お二人も相当疲れたご様子なので時間までくつろいでいただくこととし、私も一旦、帰宅いたしました。
今回の遠野市内城攻コース
午前・・・鮎貝舘→平清水舘→新谷舘(遠野市小友町)
午後・・・横田城→松崎舘→日渡舘→八幡舘(遠野市松崎町・附馬牛町)

               (阿曽沼館)
 さて、帰宅してまずは着替えをし、少し横になっていたら、もう午後5時半、迎撃オフ、夜の部は6時からということになっていますので、嫁さんに送られ、途中の酒屋で遠野産ホップ使用、某メーカーの毬花一番搾り500缶6本を購入、さらに地酒を一本、また宮守名物馬刺も準備していたので、これを持参で「いざっ、ホテル鍋城」予定時刻6時に到着、ホテルオーナーの奥様にご案内され3階の一室に通される。
 テーブルには各料理が豊富に並べられている、「これは凄い」ホテルに無理を承知でお願いしてしまいましたが、ここまで準備していただくとは、ほんと恐れ入りました。
 間もなく、杉坂さん、稲用さんも会場入り、ホテルの息子さん・・あえて専務さんと呼ばせていただきますが、専務さんが鍋の準備している間に、まずは毬花ビールを3人で乾杯、少しぬるかったのですが、城攻めの後のビールはそれでもおいしかったです。
 鍋の準備も出来、専務さんも席に着くとあらためて乾杯、ほどなくして拙サイトとリンクされてます、遠野発信サイト、本間果樹園の座敷親父さん(本間さん)が入室、いつもホームページを通じてお世話になっておりますし、サイトつながりのオフ会では度々合同のオフ会を開催しております。本間さんはりんごを持参、さらに天然のヤマメも持参、只今下の厨房で調理中ということで、市外からお越しのお二人には是非食べていただきたい逸品ではあります。
 当方準備の馬刺しも好評で、ただ杉坂さんは馬はダメとかで、その思いも述べられておりましたが、最後にホテルオーナーが加わり、一応、迎撃オフ会のメンバーが揃い、本番の乾杯、今回の迎撃メンバーは遠野勢4名、攻める勢力2名、私は遠野勢に入っているも昼は攻める側、夜は迎撃側に加わったしだいです。
 ホテルオーナーのお話、本間さんのお話、歴史関連はあまり話題となりませんでしたが、特に本間さんが作られるりんごのすばらしさ、聞きしに勝る出来でびっくりしました。稲用さん、杉坂さんも納得のりんごだったようです。
 しかし、言いづらいのですが、私は魚とリンゴがだめなんです。ですから本日、本間さんが持参の品は食べれない・・すみません。でもすばらしさは伝わりました。
 時間が経つのは早いもので、専務も本間さんも帰られ、私も昼の疲れが出てきたようです。杉坂さんもだいぶお疲れの様子、ホテルオーナーはまだまだ行けそうな様子でしたが、左足も疼いてくるわ、目は回るはでそろそろ限界、確か時刻は午後11時、タクシーを頼んで帰路に着きました。



 翌日は、稲用さん、杉坂さんは北上近辺の城攻めを行うとのこと、仕事でなければご一緒するはずでしたが、今回は仕事ということで残念です。
 また夜の部、大変なお手数をおかけした鍋城さん、ありがとうございました。本間さん、お付き合いいただきましてありがとうございました。この場をお借りして感謝申し上げます。
 今回は、遠野市内、主に西側、南側の舘跡を主に攻城戦を展開、私の住む松崎町を主に考えての内容となってしまいましたが、以前から稲用さん、杉坂さんは三陸沿岸の舘、城を攻めてみたいという意向があるようです。次回、残りの遠野の舘と合わせて釜石や大槌、さらに下閉伊地区の舘、城攻め敢行の場合は、是非お声をかけていただきたい、また住田町などの気仙地区も皆さんのサイトには登場しておりませんので、併せてこちらもご案内、同行と考えております。
 次回は来春、或いは晩秋か・・よろしくお願いします。

 霙が降る中、寒い中、ご苦労様でした。

なお、松崎町内の舘については後日、拙サイトでも掲載予定です。
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