
| 注釈遠野物語(遠野常民大学) 口語訳遠野物語 松崎歴史がたり・駒木 宥尊と福泉寺(成田龍光) 遠野物語、遠野物語拾遺 阿曽沼興廃記 阿曽沼家乗(口語訳) 遠野南部家物語 北斗太平記全二巻 没落奥州和賀一族 定本附馬牛村志 綾織村志 住田町史2 宮守村史 遠野市史 江刺市史 岩手県史 上閉伊郡志 新遠野物語 遠野市図書館所蔵資料多数 因縁の菊池一族・・等 その他 |
| 福泉寺と我家 我家は菩提寺である福泉寺とは、最もゆかりのある家である。古くより霊山として名高い早池峰山にて修業に入る、行者や山伏等が早池峰への道沿いにある我家に一夜の宿を求めることもあったと伝えられておりますが、明治中期、早池峰山にて3年間の修行を終えて山を下りた真言行者、島根県出身といわれておりますが、前川慶喜師が我家に草履を脱いで滞在が長期にわたり、7年間滞在したと伝えられております。当時の当主は、私から数えて五代前の先祖になりますが、菊池清作といい、盲目に近い状態だったのが、不思議なことに前川慶喜師の祈祷、法力によるものとされていますが、目の状態が回復し、以来我家は真言宗に傾斜していきます。 この前川師の滞在期間中に福泉寺開祖の佐々木宥尊師を見出し、ふたりは石鳥谷の光勝寺に移り、宥尊師はその後、6年の修業に励み、故郷遠野へ帰ってきます。宥尊師は遠野に高野山を模した壮大な寺院建設の志があったとされておりますが、前川慶喜師と関わりがある我家、そして古から宮洞と呼ばれる一種独特な聖域たる雰囲気を漂わせるこの地(松崎町駒木・宮洞)、さらに霊峰早池峰山を仰ぎ見る絶好の場所として寺建設の地として、我家に滞在しながらその準備をしていたそうです。寺建設では我家は最大の後援者として宥尊師と苦楽を共にし、大正元年福泉寺が開山となり以来我家は事あるごとに福泉寺との関わり深き家として現在に至っております。 私は及ばずながら先祖の偉業によりまして、檀家数十家の筆頭的な位置に座らされております。 なお、我家への郵便物は「福泉寺下」でも届きます。 |


| お名前 | HN 宮洞とらねこ・・別家サイトでは虎猫舘主、通称虎猫・・本姓 菊池 |
| お住まい | 奥州陸奥国閉伊郡遠野保・・現岩手県遠野市松崎町駒木 |
| 趣味 | お風呂の類全般(風呂の名のつくもの全部)、史跡、寺社、都会めぐり |
| 嫌いなもの | 食物・・・魚介類全般(海老、蟹、海藻類はОK) |
| 仕事 | 地方公務員と農業(先祖伝来の僅かな農地、山林を後継したのみ) |
| 生年月日 | 中、高とクマとあだ名されていたが、今は虎猫? |
| 趣向 | マイルドセブン(地元葉タバコ農家に協力)酒類、晩酌は滅多にしない |
| 趣味2 | 海釣り、スキーSAJ一級(最近はアフタースキー) |

