| 松崎町内の小田沢、海上、高瀬、蓬田には古代の遺跡が発掘され縄文時代から平安時代までの複合遺跡であることが分かっています。 特に奈良時代の古墳の存在及び稲作が行われていたことを示す出土品も確認されています。 矢崎地区には大同年間(806〜810年)に灌漑堰が作られ既に稲作を主とする営みがされていたと伝えられ遠野の歴史を語るうえで大同という年号が強く印象づけられている。 また、矢崎地区には北海道・東北にみられる原始的防塞・・チャシ「砦」の跡が残されている。 時代は下って文治5年(1189年)源頼朝による奥州平泉藤原氏攻めで勲功のあった下野国(現栃木県)佐野御家人、阿曽沼広綱は奥州閉伊郡遠野12郷の地頭職となり以来遠野地方は約400年以上も阿曽沼氏により統治された。 この遠野郷統治の中心が松崎町で、当初、阿曽沼主家に代わって下向したのは一族で家臣の宇夫方広房で、駒木に仮館を築き24年間住まいし、横田城(松崎町光興寺金ヶ沢)を築き以後天正年間に鍋倉山に居城を移すまで360数年間、遠野地方の政治・経済の中心であった。 江戸期南部氏藩政時代を経て、明治12年駒木村、松崎村は附馬牛村役場に属し、光興寺、白岩地区は横田村(遠野町の前身)に属した。 明治22年駒木・松崎・光興寺・白岩の4地区は合併し松崎村となり村役場は最初白岩地区に設けられたが松崎地区に移設する。(上閉伊郡松崎村) 昭和29年遠野地方の1町7ヶ村合併により遠野市となる(遠野市松崎町) |

| 駒 木 こまぎ |
松崎町の北部分の地域。 駒木の語源は、その昔、桔梗ヶ原とよばれ一帯が原野だった場所があり、阿曽沼時代に馬の小牧場が設けられたことから、小牧(こまき)の同音から駒木になったとも、放牧のための駒上げ野が転じて駒木となったともいわれているが馬関連によるものと解釈されている。 現在でも「遠野馬の里」のような馬関連の施設があり今でも遠野地方の馬産地の位置付の地域である。 松崎町の中でも伝承行事や遠野郷しし踊りの元祖(駒木しし踊り)や駒木神楽などの伝統芸能も色濃く残る地域です。 |
| 松 崎 まつざき |
村制時代は役場が置かれ、松崎村の中心的な地域 松崎の名の起こりは、太古の遠野は湖沼であったといわれ、松林が連なる岬であったとのこと、また、慈覚大師円仁が遠野七観音彫像のため附馬牛沢の口の松木を伐採したところ、その松木の先端が届いた地点を松の崎とよび、このことが転じて松崎となったと伝承している。 |
| 光興寺 こうこうじ |
横田城に代表される中世遠野の史跡が点在し猿ヶ石川西岸に開けた地域 興光寺と号す寺があり、この地域を興光寺村とよんでいたが後に再興の際に文字を逆用して光興寺となったといわれている。 |
| 白 岩 しらいわ |
松崎町というより遠野市においての中心的になりつつ地域で企業、公共施設、住宅地の開発も進んでいる新興地域でもある。 そんな中で遠野郷八幡宮・白幡神社・賀茂神社などの名勝地もある |

